私は世田谷の小学校の6年生に
「いのち」について
1時間の授業をしました。
聴診器を20本用意して、
子供達にお互いの心音を聴かせたところ
40人のにわか医師たちは、
自分たちの心音と私の心音とでは
ピッチや音程が違うことまで
指摘できるほど優秀で
教室は大いにお盛り上がりました。
そこで私が、
「鼓動は私たちが
生きていることの、一つの証。
けれど、この生かされているからだは
土の器のようなもので、
壊れたら、そのときが死ぬとき。
歳をとった私の器はひびもあり
欠けているから早く壊れるけれど、
いずれ君たちもそうなるよ」
「生き方上手」
日野原 重明 著
聴診器を20本も用意して
子供達に「いのち」の授業をするとは
なんと素晴らしいこと
日野原先生流の授業は
さぞや盛り上がったこと...!
ところで僕自身も
自分の鼓動はいつも
脈拍をチェックしているから知っているけど
自分の心音を聞いたことはない
ましては他人の心音がどうなのか
自分とどんな違いがあるのかなど
知る由もない
日野原先生の授業を受けた子供達は
実に素晴らしい経験をしたことと思う
その授業で「生きていること」とは
どういうことなのか
考えたにちがいない
小学生がたかだか1時間の授業で
理解したとは思えないが
「いのち」について、
「生きていること」について
考え、そして互いに語り合ったこと
これはすごい経験という
一生涯忘れない授業だったことだろう
早起き鳥
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