1988年7月、関東地区に新型爆弾が使用され、第三次世界大戦が勃発した。 31年後- 2019年東京湾上に構築されたメガロポリス、ネオ東京は翌年にオリンピック開催を控え、かつての繁栄を取り戻しつつあった。 健康優良不良少年のグループリーダー・金田は、荒廃したこの都市でバイクを駆り、暴走と抗争を繰り返していた。 |
鉄雄救出のために研究所へ潜入を試みる金田。だが、彼はそこで、過度の人体実験により新たな「力」に覚醒した、狂気の鉄雄を見る。
一方、研究所内の特殊ベビールームでは、実験体の少女が、「最高機密=アキラ」の目覚めを予言。 鉄雄は自らの力の謎に近づくべく、地下深く眠る「アキラ」への接近を開始した-
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まさか本作を劇場で見ることができるチャンスがあるとは... そんなことを思いながら、劇場に出向いた。
僕はAKIRAを劇場で見ていない。TVでも、ビデオでも見ていない。今回が初見である。同作の封切り日は1988年7月16日。なんと、昭和63年なのだ。’16年5月18日に「シネコンじゃない映画館」でも書いたことだが、本作が公開されたころ、僕は映画との縁が切れていた。
ストーリーについては、上記の作品紹介以上の知識はない。クラシック(Classics,古典)と呼べる作品。現在でも命のある作品。様々な評価がある作品である。わくわくドキドキしながら、ユナイテッド・シネマ浦和で鑑賞した。
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ものがたりについては書かないことにする。
AKIRAとは何か、なぜ鉄雄は覚醒したのか。。。 一切書かない。映像のすごさは書こうと思う。
本作の舞台は、2019年のネオ東京。1988年に新型爆弾が炸裂したことにより第三次世界大戦が勃発。それから31年後の東京である。
世界は混乱が収束していない。ネオ東京も治安が安定せず、社会の階層化が深刻である。近代的な高層ビル群と廃墟(復興に取り残された地域)の対比は、劇場(IMAX)で見るとやはりすごかった。
ネオ東京は東京湾の大部分を埋め立ててできている。
スクリーンで見たとき、一瞬バビロンプロジェクトかと思った。
金田のバイクが闇夜を疾走する。
テールライトの残像。TRON、何するものぞ。バイクの疾走シーンはやはり素晴らしい。
第三次世界大戦後30年、それは「現在」である。
一世代後である。バランスのいい復興ではなく、貧富の差・社会格差が固定化されたネオ東京。ものがたりの設定も色彩も、現実時間で30年以上前の作品である。それなのに現在でもほとんど違和感がない。一体これはどういうことなんだろう。そんな不思議な感覚が映画を見ながらわき上がってきた。現実の日本もAKIRAの世界と同じく、多様な問題を抱える。その場にいる人々は、目をそらしている。そんな感じがした。
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2020年に鑑賞する意味。
絵の動きは現在のアニメーションとは雰囲気が異なる。実写のカメラワークのようだ。人の動きは、ことばの選択が難しいが、やや荒削りな感じ。その分、リアルである。もちろん全設定が、現在鑑賞して違和感ゼロとは言わない。コンピューターのデータが連続用紙で印刷されているところは、さすがに違う感じがするが、大した問題ではない。
ものがたりのクライマックスで、鉄雄が肥大化する。もはや人間の姿を保てないほど、能力が暴走した結果のようだ。彼は膨張する肉と機械の塊のような怪物になる。何かを象徴していると感じた。覚醒し、暴走した鉄雄(の力)は、僕には原子力を象徴しているように見えた。公開時予想もできなかった東日本大震災と原子力災害を経験し、post 3.11の日本に住んでいるからだろう。
時代を超えても劇場で、IMAXで見る意味、価値はある。