全英連参加者のブログ

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章 新星篇

2019-03-16 04:00:00 | 全英連参加者 2019
「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」第7章ポスターイメージ  大帝ズォーダー率いる戦闘国家・帝星ガトランティスと激闘を繰り広げてきた古代進ら宇宙戦艦ヤマトのクルーは、ガトランティスを滅ぼす力を秘めたゴレムを奪取しようとする。そして都市帝国の中枢へと突撃し、トランジット波動砲を用いた攻撃を行う。しかしヤマトは無数の砲火を受けることになり、古代たちはある決断を強いられる。

 ’17年3月からの「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」、本作で完結である。わかりきったことだが、本作は「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年8月公開,以下「旧作」)ベースとしている。
 同作のラストはこんな感じだった。


「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」ポスターイメージ  古代は、沖田の教えによって一人で巨大戦艦に向かった。ヤマトの前方にテレサの姿が浮び上がり、古代を激励する。
 救命艇の中の島たち地球の人々が、涙を流しながら、ヤマトを見つめている。雪の身体を抱き前方を見つめる古代。二人の顔は至上の倖せに溢れている。
 ヤマトは宇宙の闇に溶け込むように進み、その姿が消えると、一条の閃光、遅れて天地を揺るがす万雷の轟き--「西暦、2101年、ヤマトは永遠の旅に旅立って行った」(映画.comの作品紹介)

 本作は設定が前作の「2199」からのものを含め、いくつか旧作と変更部分があるが、本作は旧作の影響から逃れ得ない。あのラストをどうするのか、正にその一点に「2202」全7章のものがたりとしての成否がかかる。そんな予感がしていた。
 僕は「2202」のベースである旧作を、リアルタイムで劇場で見た世代である。古代と森だけではなく、多くのクルーが死亡した印象が残っている。ベースとなるコンセプトは『自己犠牲が至高。愛するものために命をかけるのが当たり前。』というきわめて強いメッセージ。白色彗星にヤマト(古代と森)が突っ込むシーンと沢田研二の歌う主題歌が印象的だった。しかし、当時でも死を賛美しすぎであるとか、人が死にすぎという批判があったように思う。時代が変わり「愛の戦士たち」にどんな解釈が成立するのか。人類(地球人、ガミラス人)とガトランティス人の愛の解釈の相違はどうなるのか。また各種映画サイト等で旧作と本作を比較、批判する傾向も見られるがどうか。そんなことを考えて映画館に出向いた。

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 感想
 『21世紀のヤマト、これでいいのかもしれない。

 TV放映では最終第26話に相当する部分は、旧作とは相当違う。旧作への解答のようである。
 ややネタバレになるが、第7章のパンフレットで福井晴敏さんが書いているが、「2202」は「旧作」ベース、「全滅特攻」なし。「主要キャラクターは生き残る」が前提である。そこから導き出される古代と雪の運命も異なることになる。

 やはりこうなるのかな。そう感じた。

 シリーズ全体として古代進のビジュアルに、やや安定性が欠けていたこと。森雪の活躍の場面が少なかったことは残念な感じ。

 ’19年は「宇宙戦艦ヤマト」が1974年10月の放送開始から45年である。「2202」の評価もこれから定まっていく。
 僕は全7作鑑賞した。本作、正解と思う。


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