全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

Bud Fowler and William Edward White

2013-10-25 05:32:10 | 全英連参加者 2013

 10月12日の、「MOSES FLEETWOOD WALKER」を書くために、ウォーカー選手についていろいろ調べた。知らないことばかりだった。
 ウォーカー選手以前に、マイナーリーグ球団でプレ-したアフリカン・アメリカン選手のこと、メジャーリーグ球団でプレーしたアフリカン・アメリカンの選手が存在した可能性があるという記事が、いくつも見つかった。

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 一人目はバド・フォウラー(Bud Fowler)という選手。こんなふうに書かれている。

 A black man pitching for the Lynn (Mass.) Live Oaks, of the International Association, in 1878.
 (インターナショナルアソシエーション、マサチューセッツ州のリン・ライブオークス所属の黒人投手)

 これは、今年の9月1日にThe Philadelphia Inquirer(電子版)に掲載された記事(*1)による情報。1878年なので、ウォーカー選手の6年前である。ただし、インターナショナルアソシエーションは、メジャーリーグとは見なされないリーグ。でも、プロのアフリカン・アメリカンの選手であることは、間違いなさそうだ。
 記事に写真が出ていたが、外見的にはアフリカン・アメリカンであるように見えた。

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 二人目はウィリアム・エドワード・ホワイト(William Edward White)という選手。The Bladeという新聞社のウェブサイトに掲載された、2005年2月7日付け記事(*2)に登場する。この新聞社は、ウォーカー選手の所属したトレド球団本拠地、トレドを地盤としているようだ。

 For many years, Moses Fleetwood Walker - and part of Toledo's baseball history - has been tied to one of the great trick questions in all of baseball: Who was the first black to play in the major leagues?
 (長年、モーゼス・フリートウッド・ウォーカーいう名前とトレドの野球史の一部は、『メジャーリーグで最初にプレーした黒人選手は誰でしょう』という、野球に関するなぞなぞで結びついている。)

 この記事にホワイトという名前の選手が出てくる。
 Wikipedia英語版等でも記載があるのだが、彼は、当時すでに存在していたナショナルリーグ所属、プロビデンス・グレイズで、1ゲーム(1日)だけ出場しているのだ。
 彼は1860年生まれ。没年不明。投打の左右も不明である。でも、試合に出場した記録は残っている。1879年6月21日(土)なので、明治12年である。4打数1安打、1得点1三振。一塁手として出場している。
 彼は当時ブラウン大学の学生。なぜかこの1試合しか出場していない。後にも先にも1ゲームのみなのだ。松井秀喜選手のニューヨーク・ヤンキース引退試合の時、「1日契約」が話題になったけど、それとはどう考えても違う。アマチュアチーム所属でプロチームの試合。日本などでは考えられないことだ。でも、当時のアメリカでは大丈夫だったのだろう。
 国勢調査の記録等を調査すると、1870年時点で9歳。父親(アンドルー・ジャクソン・ホワイト氏)は白人で、プランテーションオーナー、母親は家政婦(奴隷)だったようだ。出生時、リンカーン大統領の「奴隷解放宣言」発布前である。アンドルー・ジャクソン・ホワイト氏は遺書で、ホワイト選手を含め3名を、自分の子供であるとしている。氏はジョージア州の人だが、子供は北部で教育を受けるように書き残している。ホワイト選手は、mulato(*3)ということになる。

 記事にも出ているのだが、ブラウン大学の野球チーム集合写真に、ホワイト選手とされる人物が写っている。彫りが深い、黒人のようにも見えるが、アラブ系か南欧系の人にも見えなくもない。言われてみれば、そんな感じかなという印象である。もしも写真の人物が、プロビデンスの試合に出場したホワイト選手としたら、出自から、確かにカラー・ライン(バリア)を打ち破った第1号と言えなくはない。でも、彼はプロ契約をしたのだろうか。なぜ1試合のみなのだろう。控え選手としてチームに帯同していたのかどうかもわからない。ひょっとして自分の出自を隠して出場し、それがばれて1試合のみだったのかもしれない。詳しいことはわからないことだらけ。だから、カラー・ラインを破った「かもしれない」なのである。
 1900年、1910年の国勢調査では、ホワイトはシカゴに移っている。この国勢調査では人種区分が白人、1920の国勢調査では黒人となっている。1870年、1900年、1910年、1920年の国勢調査にでてくる「ホワイト」氏が同一人物としたら、どうしてこういうことが起きるのかわからない。

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 *1,*2は記事名で検索をかければ、見つかる。

 *1 'Color Blind' tells story of an early integrated ballclub
   Stan Hochman, Daily News Columnistによる。
 *2 Prestige of 1st black major leaguer likely no longer belongs to Toledo
   Clyde Hughes,BLADE Staff Writerによる。
 *3 白人と黒人の混血(ハーフとは限らない)人のこと。


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