Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会総長の報道発表:教皇様の2009年3月10日付けカトリック司教たちに送った手紙に関して

2009年03月13日 | カトリック・ニュースなど
聖ピオ十世会の総長の報道発表


 教皇ベネディクト十六世は、2009年3月10日付けでカトリック教会の司教たちに手紙を送りました。この中で、2009年1月21日の教令がなしている重要な一歩において教皇を動かした意向が何だったのかを司教たちに明かしています。

 最近の「雪崩のような抗議が堰を切って起こった」後で、教皇様が議論をその置かれるべき高みに、つまり信仰の高さにおいて下さったことを、私たちは心から教皇様に感謝していました。

 私たちは教皇様の最優先の気配り、つまり「あたかも燃料となるものもなく消え尽きてしまおうとしている炎のように、この地上の広大な地域において信仰が消えうせてしまう危険がある現代において」信仰を説教することが最優先であるということにまったく同感であります。

 事実、カトリック教会は信仰の完全性と純粋性とに立ち戻らなければ決して解決することができない重大な危機の時代を通り過ぎています。聖アタナジウスとともに、私たちは次のように信仰宣言いたします。「救われんと欲するものは、誰といえども、まづカトリック信仰を擁せねばならぬ。この信仰を完璧に且つ欠くことなく守りし者でなくんば、誰といえど、疑うことなく永遠に滅びるべし。」(聖アタナシウス信経

 聖伝を1962年において停止させてしまおうなどと思うどころか、私たちは第二バチカン公会議と公会議後の教えを、聖伝の光に照らして、つまり過去との断絶のない完全に同質な発展におけるものとして聖ヴィンチェンチオ・デ・レラン(Saint Vincent de Lérins)が「常にどこででも全てによって信じられてきたこと」(コンモニトリウム)として定義したこの聖伝の光によって考察することを願っています。このようにしてこそ、私たちは、主イエズス・キリストから要求された福音宣教(マテオ28:19-20)に効果的に協力することができることでしょう。

 聖ピオ十世会は、1月21日の教令によって「必要である」と認識された教義に関する話し合いに、全ての人々(キリスト者であろうとなかろうと)に対して明らかにされるべき第一の愛徳である真理に、つまり啓示された真理に奉仕するそぞみを持って応じる意思を、ベネディクト十六世に保障いたします。聖ピオ十世会はペトロの後継者の信仰が揺らがないようにそして兄弟たちを固めることができるように(ルカ22:32)、教皇様のための祈りを約束いたします。

 私たちはこの教義に関する話し合いを、「信頼の聖母」の御保護のもとに置きたいと思います。聖母が私たちが受けたものを忠実に伝達する「私が受けたことを伝えた」« tradidi quod et accepi »(コリント前書15:3)ことができる恵みを私たちのために勝ち得てくださるという確信とともにそういたします。


メンツィンゲンにて、2009年3月12日

+ベルナール・フェレー


教皇ベネディクト十六世の2009年3月10日付けカトリック教会の司教たちに送った手紙 フランス語

教皇ベネディクト十六世の2009年3月10日付けカトリック教会の司教たちに送った手紙 英語

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Communiqué du Supérieur Général de la Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X


Le pape Benoît XVI a adressé une lettre aux évêques de l’Eglise catholique, en date du 10 mars 2009, dans laquelle il leur fait savoir les intentions qui l’ont guidé dans ce pas important que constitue le Décret du 21 janvier 2009.

Après le récent « déchaînement d’un flot de protestations », nous remercions vivement le Saint Père d’avoir replacé le débat à la hauteur où il doit se tenir, celle de la foi. Nous partageons pleinement son souci prioritaire de la prédication « à notre époque où dans de vastes régions de la terre la foi risque de s’éteindre comme une flamme qui ne trouve plus à s’alimenter ».

L’Eglise traverse, en effet, une crise majeure qui ne pourra être résolue que par un retour intégral à la pureté de la foi. Avec saint Athanase, nous professons que « Quiconque veut être sauvé, doit avant tout tenir la foi catholique : celui qui ne la garde pas intègre et inviolée ira, sans aucun doute, à sa perte éternelle » (Symbole Quicumque).

Loin de vouloir arrêter la Tradition en 1962, nous souhaitons considérer le Concile Vatican II et l’enseignement post-conciliaire à la lumière de cette Tradition que saint Vincent de Lérins a définie comme « ce qui a été cru toujours, partout et par tous » (Commonitorium), sans rupture et dans un développement parfaitement homogène. C’est ainsi que nous pourrons contribuer efficacement à l’évangélisation demandée par le Sauveur. (cf. Matthieu 28,19-20)

La Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X assure Benoît XVI de sa volonté d’aborder les entretiens doctrinaux reconnus comme « nécessaires » par le Décret du 21 janvier, avec le désir de servir la Vérité révélée qui est la première charité à manifester à l’égard de tous les hommes, chrétiens ou pas. Elle l’assure de sa prière afin que sa foi ne défaille pas et qu’il puisse confirmer tous ses frères. (cf. Luc 22,32)

Nous plaçons ces entretiens doctrinaux sous la protection de Notre Dame de Toute Confiance, avec l’assurance qu’elle nous obtiendra la grâce de transmettre fidèlement ce que nous avons reçu, « tradidi quod et accepi » (I Cor. 15,3).

Menzingen, le 12 mars 2009

+ Bernard Fellay

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Press Release from the Superior General of the Priestly Society of Saint Pius X



Pope Benedict XVI addressed a letter to the bishops of the Catholic Church, dated March 10, 2009, in which he makes known to them the motives which guided the important step of the January 21, 2009 Decree.

After the “avalanche of protests unleashed” recently, we wholeheartedly thank the Holy Father for having placed the debate back on the level on which it must be held, that of the Faith. We fully share his main concern of preaching the Gospel “in our days, when in vast areas of the world the faith is in danger of dying out like a flame which no longer has fuel.”

Indeed the Church is going through a major crisis which can be resolved only by an integral return to the purity of the Faith. With Saint Athanasius, we profess that “Whosoever will be saved, before all things it is necessary that he hold the Catholic Faith. Which Faith except everyone do keep whole and undefiled, without doubt he shall perish everlastingly.” (Athanasian Creed)

Far from wanting to stop Tradition in 1962, we wish to consider the Second Vatican Council and post-conciliar teaching in the light of this Tradition which St. Vincent of Lérins defined as “what has been believed at all times, everywhere and by all” (Commonitorium), without rupture and in a perfectly homogenous development. Thus we will be able to contribute efficaciously to the evangelization requested by the Savior (see Matthew 28; 19-20)

The Priestly Society of Saint Pius X assures Benedict XVI of its determination to enter into the doctrinal talks recognized as “requisite” by the Decree of January 21, with the desire to serve revealed Truth, which is the first act of charity to perform towards all men, Christians or non-Christians. It assures him of its prayers so that his faith fail not and that he may confirm his brethren. (cf. Luke 22:32)

We place these doctrinal talks under the protection of Our Lady of All Confidence, with the assurance that she will obtain for us the grace to hand down faithfully what we have received, “tradidi quod et accepi.” (I Cor.15:3)

Menzingen, March 12, 2009
+Bernard Fellay

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聖伝ミサDVD

2009年03月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖伝ミサ(トリエントミサ)のDVDは、マスターは完成しましたが、ただ今シンガポールで複製中です。日本には御復活の後に届く予定です。

 クチュール神父様には、200枚注文してあります。カトリックの司祭の方には無料でお分けする予定です。ご希望の方は、トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)宛てにご連絡下さい。よろしくお願いいたします。

願わくは、日本中の小教区で聖伝ミサがもう一度、普通に捧げられる日が早く来ますように!

愛する兄弟姉妹の皆様の御協力とお祈りをお願いいたします!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.10.信教の自由: 間違った定義

2009年03月11日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


信教の自由: 間違った定義

 信教の自由に反対してなした闘いこそは、ルフェーブル大司教が特に「勇気と洞察力とを兼備したカトリック真理の守護者」としての卓越さが発揮された所で、一枢機卿がルフェーブル大司教を veritatis catholicae defensor acerrimus (いとも果敢なカトリック真理の守護者)だと称したほどだ。

 大司教は、ルッフィーニ(Ruffini)枢機卿、バッチ (Bacci) 枢機卿及びブラウン枢機卿ら、友達の意見をしばしば支持しながらも、自分の個人的な考え方、そして最も聖伝に適う意見を提言した。

 レオ十三世が回勅『 Immortale Dei (不死なる天主)』で伝えた教理にあくまでも忠実にルフェーブル大司教は次のように教えた。

「人間の自由は、すべての拘束からの解放であると定義されることができません。何故なら、そのようなことをすれば、すべての権威を崩す危険に陥ってしまうからです。ところで、拘束には、精神的なものと肉体的物理的なものとがあります。精神的な拘束は、宗教の領域においては、極めて有益であって、聖書には終始一貫して発見されます。例えば、“天主を畏れることは智慧の始めである”(詩篇 110, 10)。権威とは、人間が善を行い悪を避けるように助けるためにそこにあるのです。つまり、権威は人間が各自の自由をよく使うことができるように助けるためにあるのです。」(42 & 75)


 こうして、概要の立案者たちが自分たちが発見したと思った、真理の自由な探求における「新しい根拠」は、目くらましと同じだった。

「この節は、はっきりそのような宣言文が非現実的であることを見せてくれます。この世の中に生きている人間において、真理を探求することとは、なによりもなにがしの権威に自分の知性を服従させること、従順であることを意味します。この権威が、家族の権威であれ、宗教的権威であれ、甚だしくは政府の権威であろうともです。一体どれ程多くの人々が、権威の助けなしに真理に到達することができるでしょうか?」(43 & 75)

 事実、この「新しい根拠」については、

「この宣言は、一種の相対主義に基盤を置いています。.... それは今の時代の特別な変化する情勢を考慮し、一つの特別な場合、例えば合衆国の国民であるかのような場合を想定して、私たちの活動を指導する新しい原理を模索しています。しかし、状況は変化しうるし、変化しています。」(76)


 この鋭い指摘はジョン・マーレイ (John C. Murray) 神父の論説を狙ったもので、マーレイ神父は国家の宗教的理想を、宗教的多元主義の、及び一般化された相互寛容の、アメリカ式モデルに土台を置こうとした。

 ルフェーブル大司教の指摘は、変化しつつある環境という砂の上に立てられた仮説の脆さを証明していた。それと同時にこの指摘は、真理が持つ権利という盤石の上に立てられた聖伝の教えの堅固さに光を当てていた。

「その宣言文が、真理の持つ権利の上に築かれたものではないので、そして真理の持つ権利だけがいかなる状況においても真のそして堅固な解決を与えることができるのであるから、私たちは不可避的に極めて困難な状況に直面することになります。」(76)

 言い換えると、信教の自由とは、教理ではなく、純然たる日和見主義であるということだ。

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

聖ヨセフへのノベナ

2009年03月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 今日から聖ヨセフへのノベナを開始いたしましょう。

 特に、ベネディクト十六世教皇様は、カトリック教会を正常化しようと、少しずつ動き出されております。近日中に大きなバチカンの人事移動があるそうです。

 聖ヨセフよ、ヨセフ・ラッチンガー、ベネディクト十六世教皇様を守り給え!

 聖会の保護者よ、悪魔の恐れよ、ベネディクト十六世教皇様を守り給え!我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.9.この世の一致の秘跡としての教会

2009年03月10日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


この世の一致の秘跡としての教会

 1965年 9月 9日、大司教の発言 -- 公開的に朗読されなかった -- には、有名な概要 XIII(これは将来『現代世界憲章』となる)に対する批判が多数あったが、その中でも特に、新しい教会論に反対する攻撃が二つが入っていた。

「38ページ 22行目及び 23行目で、教会は「天主との親密な交わりの秘跡であると同時に全人類の一致の秘跡」であると定義されています。この概念には説明が必要であります。何故なら、教会の一致とは、人類の一致のことではないからです。」

【註:教会が「天主との親密な交わりの秘跡であると同時に全人類の一致の秘跡」であるという考えは、既に『教会憲章』の1番で「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具である」と述べられ、この概要 XIIIで再び取り上げられた。この概念は『現代世界憲章』の42番の第3段落に引用され、残ることになる。この文章を起草したのは、オランダの神学者たちであり、すなわち P. Smulders, B. Willems, E. Schilleceecks, J. Witte, さらに K. Rahner であった。】

 大司教はいつもの直観力で、他のいろいろな概念と同じく、概要のこの曖昧な概念の下に敷かれている精神を見分けた。


「多くの数え切れないほどの命題は曖昧さを内包しています。何故なら、現実のところ、これらを起草した人々の教理はカトリックの教理ではなく、新しい教理、つまり唯名論、近代主義、自由主義、テイヤールディズム(テイヤール・ド・シャルダン主義)の混ざりあわせの教理だからです。」


 様々な曖昧な文章の中で、大司教はテイヤール・ド・シャルダン (Teilhard de Chardin) とカール・ラーナー (Karl Rahner) の考え方に来由する次の文章を取り上げた。つまり、「托身(受肉)によって、天主御父の御言葉は全人間、肉身及び霊魂を完全に自分のものとした (これは確かに正しいとルフェーブル大司教は言う)、そのことによって、天主の御言葉は、すべて天主によって創られた全自然を、単なる物質を含めて、全ての存在するものがそれ固有のやり方でその救世主を呼ぶような仕方で、聖化した (これはルフェーブル大司教の強調)。”(39ページ、19-22 行) という箇所である。

【註:K. Rahner, XXe siecle, siecle e grace? Recueilde conferences, Mame, 1962, pp. 63, 84, 85 を見よ。更に、Un theologien en liberte (Jacques Duquesne interroge le P. Chenu), Centurion, 1975, p. 186. の中のシュニュ神父の解説を見よ。】


 公会議は、宇宙的曖昧さを削除してこの言説を訂正する。しかしながら人類学的な曖昧さはそのまま残すことになった。すなわち、「天主御子は托身により、ある意味で自分自身を全ての人間と一致させた」と。

【註:ラテン語原文 Ipse enim, Filius Dei, incarnatione sua cum omni homine quodammodo Se univit. 日本語の公式訳は、神の子は受肉によって、ある意味で自分自身を全ての人間と一致させた。】


 ここですでに、普遍的贖いに関するウォイティワ式神学のライトモチーフが明らかになっている。この普遍的贖いにおいて、救われるために、罪の贖いと洗礼の必要性とは省略され、また同様に教会に所属する必要性も略される。


 ルフェーブル大司教は、概要 XIII (pp.6-10) において、正に、「原罪とその結果に対して沈黙し続けること」、「洗礼と超自然の聖寵による義化については何も言及せずに人間の召命について語ること」、或いは、完全な、そして救いのために必要な社会として教会を定義せずに、全人類における福音的パンだねとして定義していること」を非難した。残念ながら、この発言は公会議会場では公に読まれることはなかったが、次のような特別の訴えをもってその結論とした。


この司牧憲章は... 人々も、キリスト者たちをも、福音的かつ使徒的真理によって牧していません。... 教会は未だかつて、このような言い方で語ったことは一度もありません。これはキリストの花嫁の声ではありません。従って、私たちはそれに聞き従うことができません。私たちは私たちの牧者であるキリストの声をよくしっています。他方、この声を私たちは知りません。服は牧者の服です。しかし声は牧者の声ではなく、もしかしたら狼の声あるかもしれません。以上です。

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.8.嘘に満ちたエキュメニズム

2009年03月09日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


嘘に満ちたエキュメニズム

 同じ発言の中で、ルフェーブル大司教はこう言った。離れた兄弟たちが保存しているかも知れない「聖化の要素」を探しだしそれを高く評価しようとすることで、彼らをその間違いのうちに維持させる、と。

 かくして、プロテスタントたちに対しては「あなたたちは洗礼によって再生したキリストの弟子だ」と言うことで、私たちは彼らを欺いていることになる。何故なら、彼らの洗礼は非常にしばしば「形相や質料あるいは意向の欠陥によって無効」であるからだ。また、善悪の区別が付くような年齢に達すると天主よりのカトリック信仰が欠如しているために聖寵に対する障害(obex)を持ち、その洗礼は概して何らの実を結ぶことができないからだ。

 私たちはまた同様に「首位権を損傷しその中身を空にしようとする」「嘘に満ちたエキュメニズム」により、正教徒たちを欺瞞している。

 このエキュメニズムは人々をして「ローマの司教は、平等の司教たちの間の第一(primus inter pares)にすぎないと思わせ言わせている。これによれば、教皇様の首位権は「ほとんど一体化した不可分の位階秩序を維持するための奉仕としてのみ」つまり「外的な一致の絆」としてのみあるとしている。

 ルフェーブル大司教はこう言った。公会議が「一致を励ますために本質的な真理を」つまり教皇の首位権についての真理を、「不完全にしか述べない」ことによって、これらの真理を減少させてしまうなら、離れた正教徒たちに「首位権から由来する全ての結果を全て完全に受け入れることなく」一致の間違った概念のうちに押しとどめてしまうことになる、と。

 私たちは後日、ヨハネ・パウロ二世がその回勅『彼らが一つとなるように Ut Unum Sint』のなかで、正教徒たちによって「受け入れられることができるような首位権の行使の方法が探されなければならない」と求めたのを見て、この要求が第二バチカン公会議による減少された真理の線をどれ程真っ直ぐに従っているかを見て取ることができる。

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


ルフェーブル大司教の伝記13.1.7.キリストの教会はもはやカトリック教会ではないのか?

2009年03月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


キリストの教会はもはやカトリック教会ではないのか?

 公会議が付したもう一つ別の主要な討論は、カトリック教会の定義あるいはカトリック教会の本質それ自体に集中した。1963年に教父たちに対して送付された教会に関する概要は、1962年 11月の第一総会において、準備委員会の作った文書(これは却下された)に取って代わったが、しかしそれでもこれの概要は、まだ、使徒信経が「一、聖、公、使徒継承」と呼ぶところの教会は、唯一であり、「この世の中において社会として制定され秩序付けられたカトリック教会である」と主張していた。
 しかし 1964年 7月には、教父たちに送付された文書が反発を引き起こした。その文書には、キリストの教会が「カトリック教会のうちに存在する」となっていたからだ。

 同一性を現わす ‘est’(=である)が ‘subsistit’(=存在する)という言葉に取り替えられたのだ。従って、キリストの教会はただカトリック教会のうちに存在するだけ、あるいは、カトリック教会のうちに継続する、あるいは十全に構成するといういうことになった。

 用語をすり替えすることはプロテスタント牧師であるシュミット(Wilhelm Schmidt)がフリンクス(Fings)枢機卿の神学者であるラッツィンガー(Ratzinger)神父に提案したのだった。

 教理委員会(Doctrinal Commission)はこう説明した。
「他の所にも存在している教会的要素を断言することとよりよく符合するように est 代りに subsisitが使われた」と。


 第三総会の最初にカルリ司教がもっとも的を得た反論をした。

「のうちに存在する(subsitit in)という用語は受け入れることができない。何故なら、あたかもキリストの教会とカトリック教会とが区別された別個のものであるかのようであり、前者(つまりキリストの教会)が後者(つまりカトリック教会)のうちにあかたも基体においてあるかのようにとどまっているかのように思わせるからである。単純に、そしてもっと正確に、である(est)と言わなければならない。何故なら、基本文書がそう言っているからである」(Acta Synodalia, III, I, 653)


 彼が「基本文書」と言ったものは、教導権の最近の文書のことを言ったのであり、1964年に 7月に教父たちに送付された文書では教導権の最近文書たちを言及しながらもこれを守らなかった。例えば、ここにはキリストの教会とカトリック教会とを完全に同一であるとした (§13) ピオ十二世の回勅書『ミスティチ・コルポリス Mystici Corporis』、そして同教皇の回勅『フマニ・ジェネリス Humani Generis』(Dz 2319)などである。

 伝統的な教えから離脱することで、公会議は教会を正確な境界線がない雲のようなものししていた。つまり、カトリック教会という濃い核とそのまわりにぐるぐる回っていながらも、カトリック教会のような特別の独立した存在を持たないが、矛盾するが教会的存在を持っているような「教会的現実、つまり真の地方教会と様々な教会的共同体」とから構成されている、と。

 ルフェーブル大司教は 1963年 11月エキュメニズムに関する討論において、この間違いに反対した。その概要は敢えて次のように断定していた。

「これらの教会及び離れた共同体は、救いの神秘における意味を些かも奪われることはなく、キリストの霊は、これらを救いの手段として使うことを拒否しない」と。(Schema decreti de oecumensismo, 1963, p. 8, n.2; cf. Unitatis redintegratio N3.)

 公会議事務局 (Council Secretariat) に提出された数行の説明でこの主張に対する論駁が成り立った。

「共同体は、離れた共同体としては、聖霊の助力を享受することができない。何故なら、この分離は聖霊に対する逆らいであるからだ。聖霊は、霊魂に各々直接に働きかけるだけ、或いはそれ自体として分離の印を少しも持っていない手段を使うだけである。」

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

ピアノを弾くウィリアムソン司教様の動画

2009年03月07日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ウィリアムソン司教様がアルゼンチンの神学校でピアノをお弾きなっている動画をご紹介いたします。


Monseignor Williamson joue au piano.




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2008年11月12日、聖ペトロ大聖堂の大広場でベネディクト十六世教皇様との一般謁見

2009年03月05日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会のアジア管区のブラザーとともに2008年11月12日、聖ペトロ大聖堂の大広場でベネディクト十六世教皇様との一般謁見に参列しました。その様子をご紹介いたします。


教皇様のご入場
Holy Father coming at the general audience at Vatican, November 12th, 2008 (1)



教皇様のご入場(続き)
Holy Father coming at the general audience at Vatican, November 12th, 2008(2)



聖ピオ十世会のブラザーたち
General Audience of the Holy Father at Vatican, Nov. 12, 2008



イタリアの巡礼グループ紹介(ミラノの巡礼団)



イタリアの巡礼グループ紹介



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ベネディクト十六世教皇様と聖ピオ十世会総長フェレー司教様


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聖ピオ十世会のボドー(Baudot)神父様の御説教2009年2月22日ソウルにて

2009年03月05日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会韓国のソウルのチャペルでの主日の聖伝のミサの様子を Youtube でご紹介します。
 聖ピオ十世会の本部の会計長であるボドー神父様が司式し御説教して下さいました。
 このビデオではボドー神父様の御説教をフランス語の部分だけが編集されています。

Mes bien chers frères,

Nous avions la joie d'avoir parmi nous Monsieur l'Abbé Baudot, l'économe général de la Fraternité Sacerdotale Saint Pie X, qui a célebré la messe de dimenche à notre chapelle de Séoul, Corée de Sud, lors de sa visite le 22 fevrier 2009. Les films ci-dessous sont édités pour qu'ils soient uniquement en frainçais.


Father BAUDOT's sermon SSPX 1of2



Father BAUDOT's sermon SSPX 2of2



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ウィリアムソン司教様が2009年2月26日にロンドンでなさった宣言

2009年03月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ウィリアムソン司教様が2009年2月26日にロンドンでなさった宣言をご紹介致します。
(訳:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭))


宣言


 教皇様と私の長上であるベルナール・フェレー司教とは、私が4ヶ月前にスウェーデンのテレビ局にした発言を考え直すように求めました。何故なら私の発言の結果があまりにも重大だったからです。

 これらの結果を見ると、私はそのような発言をしたことを後悔していると真実に言うことができます。そしてもしもその発言によって起こる全ての損害と傷つき、特に教会に対する、またヒトラーの支配下のドイツで不正義を受けた犠牲者の存命している方々とその犠牲者の御家族の方々とに対する損害と傷つきとを私が事前に知っていたなら、私はそのような発言をしてはいませんでした。

 スウェーデンのテレビ局には、私は歴史には素人の意見として(・・と思う、・・と思う)、20年前に入手することができた証拠を根拠にその当時に形成した意見を述べたにすぎませんでした。そしてこの意見は20年以来ほとんど公に述べたことはありませんでした。しかしながら、最近の出来事と聖ピオ十世会の先輩の方々とは、私をして多くの残念な事態が引き起こされたことの責任を取るように説得するに至りました。私が言ったことにより誠実な躓きを起こしてしまった全ての方々に対して、私は天主の御前で謝ります。

 教皇様がおっしゃった通り、一人の人間に対する不正な暴力の全ての行為は全人類を傷つけます。


+リチャード・ウィリアムソン
ロンドンにて、2009年2月26日

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DECLARATION


The Holy Father and my Superior, Bishop Bernard Fellay, have requested that I reconsider the remarks I made on Swedish television four months ago, because their consequences have been so heavy.

Observing these consequences I can truthfully say that I regret having made such remarks, and that if I had known beforehand the full harm and hurt to which they would give rise, especially to the Church, but also to survivors and relatives of victims of injustice under the Third Reich, I would not have made them.

On Swedish television I gave only the opinion (…„I believe“…„I believe“…) of a non-historian, an opinion formed 20 years ago on the basis of evidence then available and rarely expressed in public since. However, the events of recent weeks and the advice of senior members of the Society of St. Pius X have persuaded me of my responsibility for much distress caused. To all souls that took honest scandal from what I saidbefore God I apologise.

As the Holy Father has said, every act of injust violence against one man hurts all mankind.

+Richard Williamson
London 26 February 2009.

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Déclaration de Son Excellence Mgr Williamson


Le Saint-Père et mon Supérieur, Mgr Bernard Fellay, ont demandé que je reconsidère les remarques que j’avais faites à la télévision suédoise il y a quatre mois, parce qu’elles ont été si lourdes de conséquences.

En observant ces conséquences, je peux dire en toute vérité que je regrette d’avoir fait de telles remarques et que si j’avais su d’avance tout le mal et la douleur qu’elles susciteraient, surtout pour l’Eglise, mais aussi pour les survivants et les parents des victimes de l’injustice commise sous le Troisième Reich, je ne les aurais pas faites.
A la télévision suédoise, j’ai seulement donné l’opinion (… « Je crois »… « Je crois ») de quelqu’un qui n’est pas historien, une opinion formée il y a 20 ans et basée sur les preuves disponibles à l’époque et rarement exprimée en public depuis. Cependant les évènements de ces dernières semaines, et les conseils des membres plus âgés de la Fraternité Saint-Pie X m’ont convaincu de ma responsabilité pour tant de détresse causée. Je dis à toutes les âmes qui se sont honnêtement scandalisées de ce que j’ai déclaré que devant Dieu je présente mes excuses.
Comme le Saint-Père l’a dit, tout acte de violence injuste contre un homme blesse toute l’humanité.

+Richard Williamson

Londres, le 26 février 2009
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Declaración de S. E. Mons. Williamson


El Santo Padre y mi Superior, Mons. Bernard Fellay, me solicitaron que reconsiderara las declaraciones que había hecho a la televisión sueca hace 4 meses, en razón de la gravedad de sus consecuencias.

A vista de dichas consecuencias, puedo decir en toda verdad que lamento haber hecho tales declaraciones, y que si con antelación hubiese sabido todo el mal y el dolor que ellas provocarían, sobre todo para la Iglesia, aunque también para los sobrevivientes y los familiares de las víctimas de la injusticia cometida bajo el Tercer Reich, no las hubiese hecho.

A la televisión sueca yo sólo dí la opinión (… « yo creo »…. « yo creo »….) de alguien que no es un historiador. Una opinión formada hace 20 años, basada sobre las entonces pruebas disponibles y raramente después manifestada en público.

Con todo, los acontecimientos de estas últimas semanas y los consejos de los miembros más antiguos de la Fraternidad San Pío X me convencieron de mi responsabilidad por tanta angustia causada.

Pido perdón delante de Dios a todas las almas que honestamente se escandalizaron por lo que dije.

Como afirmó el Santo Padre, todo acto de injusta violencia contra un hombre hiere a toda la humanidad.

+Richard Williamson

Londres, 26 de febrero de 2009

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Erklärung von Bischof Williamson

Der Heilige Vater und mein Oberer, Bischof Bernard Fellay, baten mich, die Bemerkungen, die ich vor vier Monaten im Schwedischen Fernsehen gemacht habe, zu überdenken, weil sie so schwerwiegende Folgen hatten.

Angesichts dieser Folgen kann ich wahrheitsgetreu sagen, daß ich die Aussagen bedaure und daß ich sie nicht gemacht hätte, wenn ich vorher gewußt hätte, welchen Schaden und Schmerz
sie anrichten würden – besonders in der Kirche, aber auch für die Überlebenden und Verwandten der Opfer von Ungerechtigkeit im Dritten Reich.

Im Schwedischen Fernsehen habe ich nur die Meinung (… „Ich glaube“… „Ich glaube“…) eines Nicht-Historikers wiedergegeben.

Die Meinung hat sich vor zwanzig Jahren aufgrund der damals verfügbaren Beweise gebildet. Sie ist seitdem in der Öffentlichkeit kaum besprochen worden.

Doch die Ereignisse der letzten Wochen und der Rat meiner älteren Mitbrüder in der Priesterbruderschaft St. Pius X. haben mich von der Verantwortung für das verursachten große Leid überzeugt.

Ich entschuldige mich vor Gott bei allen Seelen, die über das, was ich gesagt habe, zutiefst empört waren.

Wie der Heilige Vater gesagt hat: Jeder Akt der ungerechten Gewalt gegen einen Menschen verletzt die ganze Menschheit.

+ Richard Williamson

London, 26. Februar 2009

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【参考資料】ウィリアムソン司教様のインタビュー2009年2月9日【一部抜粋のみ】

2009年03月04日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ウィリアムソン司教様が、もうすでに1ヶ月前ですが、2009年2月9日にシュピーゲル誌にしたインタビューを参考資料として、ほんの一部だけをご紹介致します。詳しくは次をご覧下さい。
SPIEGEL INTERVIEW WITH BISHOP RICHARD WILLIAMSON

シュピーゲル:バチカンはあなたがホロコーストの否定を撤回することを求め司教としての活動をすることを許さないと脅迫している。あなたはどう反応するのか?

ウィリアムソン:人生を通して、私はいつも真理を求めてきました。だからこそ、私はカトリックに改宗しましたし、司祭になりました。今のところ私が言うことができる何かがあるとしたら、それは私が確信した真理だけです。私は、多くの誠実な知性的な人々が別の考えをしていることを理解したので、私はもう一度、歴史的証拠を見直さなければなりません。私は同じことをスウェーデンのテレビ局とのインタビューで申し上げました。歴史的証拠が今問題になっているのであって、感傷ではない、と。そしてもしも私がこの証拠を見つけたのなら、私は自分の発言を訂正します。しかしそのためには時間がかかります。


シュピーゲル:教育を受けたカトリックがなぜホロコーストを否定することができるのか?

ウィリアムソン:私はこのこのことについて1980年代に関わりました。その時さまざまな書類を読みました。私はインタビューで、ロイヒター・リポート(the Leuchter report)を引用しました。私にはそれがありうると思われました。今ではこれが科学的に論破されていると言われました。そこで私はそれを調べる計画です。

(中略)


シュピーゲル:教皇ベネディクト十六世による破門の撤回はあなたたちにとって何の意味を持つのか?

ウィリアムソン:私たちはただカトリックでありたいと望んでいます。それ以外の何ものでもありません。私たちは自分の教えを作り上げてきたわけではなく、教会が常に教えて実践してきたことをそのまま続けてきたにすぎません。そして1960年代と70年代に、この公会議(第二バチカン公会議のこと)の名前によって全てが変えられたとき、今までのことが突然にスキャンダルになりました。その結果、私たちは教会の脇に追いやられたのです。そして今では人気のない空っぽの教会と高齢化している聖職者の現実はこれらの変化が失敗だったと明らかになりました。私たちは今、中心に戻りつつあります。これが私たち保守的なものたちにとっての見方です。私たちが長い間待てば待つほど、私たちは正しかったと証明されるということです。

(中略)


シュピーゲル:第二バチカン公会議はカトリック教会の偉大な業績の一つだと数えられている。何故あなたたちはそれを完全に認めようとしないのか。

ウィリアムソン:私たちが認めなければならないとされているものは、全く不明です。重要な文書の一つは『現代世界憲章』と呼ばれています。ラテン語の題は『喜びと希望』です。その中でその著者たちは多くの人々を一緒に移動させる大衆旅行の可能性について謳歌しています。しかし保守的な社会がそのような群衆移動を受け入れるだろうとはあまり期待できません。この文書は恐れと困難について語っています。そこで超大国間の核戦争が言及されています。御覧になって分かるように、この多くのことは既に昔の話となってしまっています。これらの公会議文書はいつも曖昧です。これが意味するとされていることが何か正確には誰にも分からないのです。そこで第二バチカン公会議直後から自分の望みの通りに従って誰も彼も好き勝手なことをし始めました。このために今の神学的大混乱に陥ってしまったのです。私たちは何を認めなければならないのでしょうか? 曖昧であるということですか?それともこの大混乱に陥っていると言うことでしょうか?


シュピーゲル:あなたはその極端な見解で教会を分断しているということに気がついているのか?

ウィリアムソン:ドグマを犯すこと、つまり、不可謬の原理を犯すことだけが信仰を破壊します。第二バチカン公会議は新しいドグマを宣言しないと主張しました。今日、リベラルな司教たちは、第二バチカン公会議がすべてにわたる超ドグマであるかのように行動しています。そして彼らは第二バチカン公会議を相対主義の独裁を正当化するために使っています。これは公会議の文書と矛盾しています。

(中略)


シュピーゲル:あなたの発言とあなたの破門解除は世界中の抗議を呼び起こした。あなたはこれを理解できるのか?

ウィリアムソン:スウェーデンのテレビ局での一つのインタビューが、ドイツでのニュースを毎週にわたって独占していました。はい、このことに私は驚いています。ドイツの法律の違反について全てこうなのでしょうか? そうではないでしょう。私はここで単なる道具にすぎません。聖ピオ十世会と教皇様とに反対する行動を起こすための道具です。ドイツの左翼のカトリックはラッツィンガー枢機卿が教皇になったことを赦してはいないようです。



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【関連記事】

ベネディクト十六世教皇様のために祈りと励ましをお願いします。

2009年03月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ただ今ベネディクト十六世教皇様は、世界中のマスメディアから攻撃を受けておられます。愛する兄弟姉妹の皆様の応援とお祈りを宜しくお願い申し上げます。

ベネディクト十六世教皇様への
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(↑ここをクリックして、署名欄にご芳名をご記入をお願い致します。)

2009年3月4日現在署名数は : 48315 名
署名した方々の子供の数は : 88747 名とのことです。


This letter gathers different Catholic faithful, from different tendencies, who wish to support the pope in his brave gesture. The authors of this site assure you of the complete confidentiality guaranteed to the names of the signatories, the list of which will be transmitted only to the Holy See.

On January, 21st, You decided, Holy Father, to put an end to the excommunication which pressed on the bishops of the The Society of Saint Pius X. By this brave gesture, You acted the Good Shepherd of the flock entrusted to You by God.

We are men and women invested in the life of our city, we are fathers and mothers with a family or unmarried and, after stormy times, when "the boat seemed to take the water everywhere ", we wish to build with You the Church of tomorrow with its Tradition for a foundation. This project includes inevitably the transmission of the Faith to the future generations, by the love of the Catholic Liturgy and by the defence of human life.

By this letter, we wish above all to express to You our deep gratitude. Although Your historic gesture has been met with hostility and confusing opinions from certain media and persons, it arouses in us a tremendous joy and fills us with Hope. We prayed for Your intentions, according the request You made at the beginning of Your Pontificate: " Pray for me, that I may not flee for fear of the wolves.(1)"

We wish, by affixing our signature to this letter and indicating our age and the number of our children to say to You that with You, we want to build Christendom for the generations which will follow us, hoping wholeheartedly that future Christians will be self-confident and will proclaim to all the World the Credo.

So, in a spirit of filial respect, we bring You our support and our daily prayers for the pursuit of Your Pontificate, that God's Church will may emerge increased by it.

(1) Benedict XVI, April 25th, 2005

"Nothing emboldens more the audacity of the naughty ones than the weakness of kind people"Leo XIII, encyclical Sapientae Christianae, January 10th, 1890

【関連記事】

聖伝のミサ(トリエントミサ)のチュートリアルDVDの日本語の動画クリップ(聖ピオ十世会作成)

2009年03月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アジア管区で作成した聖伝のミサのチュートリアルDVDの日本語の動画クリップを全てYOUTUBE にアップするのが完了しました!

 このチュートリアルDVDは、日本語も含めて、韓国語、中国語、ベトナム語、タイ語、インドネシア語、英語が一つのDVDに含まれており、自由に言語を選べるようになっています。

 ベネディクト十六世教皇様の言うように、私たちは教会が過去愛してきたものを愛し続けていかなくてはなりません。

 願わくは、聖ピオ十世会だけではなく、世界中の全ての小教区で、聖伝のミサ聖祭が復活 しますように!

 聖伝のミサが日本中に広がりますように、愛する兄弟の皆様の寛大なご協力とお祈りをお願い申し上げます。このDVDが存在することを、お知り合いのカトリックの神父様たちに是非お話し下さい。聖伝のミサが、世界中で復活することに協力することによって、ベネディクト十六世教皇様を助けてさし上げましょう。

 このチュートリアルDVDの制作のために力を尽くされたアジア管区長のクチュール神父様、この制作の実現のために、翻訳や朗読をなさった方々、経済的にも技術的にも援助して下さった後援者の方々に深く感謝いたします。

日本の上に、日本中の小教区の上に、天主様の祝福が豊かにありますように!
どうぞ、良き四旬節をお過ごし下さい。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画 (4)



聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画 (5)



聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画 (6)




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四旬節第一主日

2009年03月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 今日は四旬節第一主日ですね。今日のミサ聖祭の聖福音で私たちの主イエズス・キリストが40日の断食のあと受けられた試みについて読みます。これについて、以前、「マニラのeそよ風」321号に書いたことがあります。どうぞお読みください。

 カトリック教会は言わばいろいろな試みを受けているようです。第一の試みは、石だらけのようなこの地上を楽園(人間中心主義)に変えるように、犠牲を捧げる石の祭壇を楽しい食卓(新しいミサ)に変えるように、また私たちの主イエズス・キリストがその上にご自分の教会を立てた磐であるペトロを司教団(司教団体主義)に変えるように、試みを受けているようです。

 また第二に、人間の良心を絶対化し言わば「神格化」して人間の人格の尊厳による自由の絶対化(信教の自由)の試みを受けているようです。真理の高みから降りてみよ、真理から自由を切り離し、自由だけを絶対化せよ、と。

 第三の試みは、私たちの主イエズス・キリスト以外の宗教でも救われるのではないか、アシジの精神(エキュメニズム)の方が、教会は皆から愛され受け入れられるのではないか、という試みです。

 願わくは、ベネディクト十六世教皇様が、私たちの主イエズス・キリストに倣ってこれらの試みを退けますように!

 愛する兄弟姉妹の皆様、聖なる四旬節をお過ごし下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ダバオにて

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】