Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

2009年02月10日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?ご質問がありましたので、遅ればせながらお答え致します。

【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

http://www.radiovaticana.org/より

教皇ベネディクト16世は、マルセル・ルフェーブル師によって1988年叙階された4名の司教の破門の解消を承認された。

教皇庁司教省は21日付でこのたびの破門解消に関する教令を発布した。

教皇庁広報局の24日の声明によれば、これはバチカンと聖ピオ10世司祭兄弟会の対話を経て決定された。

同会は、第2バチカン公会議によるいくつかの改革に異議を唱えていたルフェーブル大司教が1970年に創立した。

教皇は破門を解消することで、同会のフレー師をはじめとする4人の司教が2008年12月15日付で提出した、カトリック教会に留まり、主イエス・キリストの教会への奉仕に全力を尽くし、教皇の首位を固く信じる意志を表した書簡中の願いに応えられた。

教皇は、2005年8月にフレー師と個人的に会見するなど、一致を取り戻す道を常に模索されてきた。
 とあるのですが....


【御返事】
 教皇様が聖ピオ十世会についてどのように思われているか、教皇様のお立場から、反対派の司教様たちを考慮して心中のお考えをそのままはっきりと表明することができないでおられるかも知れません。

 例えば、聖伝のミサについての自発書簡(モートゥー・プロプリオ)は、出る出ると言われながら世界中の司教様たちの反対に押され、1年以上出されませんでした。しかも、自発書簡という名前は付いていますが、内容は、他の反対意見を取り入れさせられ自分の考えをそのまま出したとは必ずも言い切れない書簡となってしまいました。

 しかも、聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」は、発布の後も世界中の司教たちから無視され、適応に制限を加えられ、妨害され、骨抜きにされつつあります。

 さて、聖ピオ十世会の4名の司教様たちの「破門」の撤回については、バチカン内部では様々な反対の意見がありました。私の聞いたところによると、国務長官のベルトーネ枢機卿やカスパール枢機卿などが反対していたそうです。

 聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」同様、教令発布の後も世界中の司教たちから、妨害され、骨抜きにされることでしょう。


 ベネディクト十六世教皇様のお考えを、過去の発言や行動から推測することが許されるとしたら、以下は私、トマス小野田圭志神父の個人的な推測でありますが、以下にしてみたいと思います。


 【ラッツィンガー枢機卿時代】
(1)教会の危機:ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、現在カトリック教会に危機があることを認識していました。例えば、聖金曜日の十字架の道行きで、次のように言っています。

「あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。」

「私たちはどれほど多く、彼を考慮に入れることなく、自分たちだけを祝ってきたことだろうか。」(ここで「彼」とはイエズス・キリストのことをさしており、会食の集いに変わってしまった典礼によって忘れ去られたその方のことを言及している。)

(2)新しいミサ:ラッツィンガー枢機卿は、新しいミサ・典礼について、オープンに厳しい批判的な発言をしていました。例えば、
「私たちが今日経験している教会の危機は、「あたかも神が存在していないかのような」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっている」(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ)。

(3)聖ピオ十世会:ヨハネ・パウロ二世の命を受けて、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、枢機卿時代から聖ピオ十世会を直接知っています。例えば1987年5月にはパリでルフェーブル大司教様と直接会い対話をしています。ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、ルフェーブル大司教様が聖伝の信仰、秘蹟、ミサに固執したが為に「処罰」を受けていたことをよく知っていました。そして司教聖別も聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるためであるということも知っていました。
 そこで、例えば次のような事件がありました。ハワイで聖ピオ十世会の信徒の方々が聖ピオ十世会の司教様にお願いして旧典礼のやり方で堅信を受けたことです。ハワイの司教様はこの堅信を組織した6名の平信徒を「破門」しましたが、教義聖省長官であったラッツィンガー枢機卿は、アメリカ教皇大使を通じてこの「破門」が無効であることを繰り返して発表させたのです。

(4)第二バチカン公会議:第二バチカン公会議については、1988年7月13日チリのサンチアゴで、チリの司教評議会に「(第二バチカン)公会議はいかなる教義をも決定したわけではありません。そして故意に、単なる司牧公会議としての慎ましいレベルに止まることを選んだのです。しかしながら、多くの人々はこれをそれ自身で、その他の全ての(公会議の)重要さを取り除くある種の超教義(スーパードグマ)であるかのように取り扱っている」と発言しています。

(5)枢機卿時代の行動:イタリア人サンドロ・マジステルの書いた「ベネディクト16世:教皇とそのアジェンダ(行動予定)」によれば、
「・・・ベネディクト16世は、自分の前任者であるヨハネ・パウロ2世の行ったミサの典礼についても自分の疑念を隠したことはなかった。ヨハネ・パウロ2世の下のローマの諸聖省で、ラッツィンガー枢機卿以上に自由に、批判的に発言したものは誰もいない。そしてカルロ・ウォイチワはこの理由のためにも彼を非常に尊敬した。・・・信仰教義聖省の長官としてラッツィンガーはヨハネ・パウロ2世をいろいろの点で批判した。しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を。
 ラッツィンガーは1986年のアシジの諸宗教の最初の集いには行きさえもしなかった。・・・
 新しい教皇がヨハネ・パウロ2世と同意しなかった別の点は、教会が過去の罪の赦しを求めたことである。・・・ラッツィンガーは別のやり方で自分の批判の声を上げた。つまり彼は上げられた反対意見に、一つ一つ答える神学的文書という形で、だ。・・・
 ベネディクト16世は枢機卿として、ウォイチワ教皇が祭壇の名誉まで高めた聖人や福者たちの終わりを知らない連続をも批判した。・・・
 彼は「政治的正しい言い方(politically correct language)」をいつも無視してきた。1984年、マルクス主義の根がある解放の神学に反対した文書では、彼は共産主義帝国に「現代の恥」とか「人間の恥ずべき隷属化」などとラベルを貼って致命傷的な打撃を与えた。・・・
 ラッツィンガーは、管理者ではなく、偉大なヴィジョンを持つ男として、常に際だっていた。彼は官僚機構の用語としてより簡素な教会を見たいと思っている。彼は教会の中央及び周辺機構―――つまりバチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会など―――が、「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」になることを望まない。」
(詳しくは、マニラの eそよ風 第280号を参照してください。)

 【ベネディクト十六世教皇時代】
(1)ベネディクト十六世教皇様は、フェレー司教様にその謁見の時、特にドイツ、フランスで教会の危機が無いと言えるだろうか?と反語の形で教会の危機を確認しました。

(2)2007年7月7日、世界中の司教たちの反対を押し切って、聖伝のミサが一度も法的に廃止されたことがなかったという事実を確認しました。聖伝のミサこそが、実は、ベネディクト十六世にとって「わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」

(3)ベネディクト十六世は、ルフェーブル大司教様が聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるために司教聖別をしたということも知っていましたが、もしも、聖伝のミサが「一度も廃止されたことがなく」、「神聖であり、偉大なものであり続ける」のなら、ルフェーブル大司教様の受けた「処罰」は、無効であるはずです。従って、論理的に、ベネディクト十六世は教会法上の効力が無いと宣言することを望んでいました。そして、遂に、バチカン内部の反対を押し切って2009年1月21日に、司教聖省長官をしてそれをさせました

(4)第二バチカン公会議の解釈については、今に至るまでカトリック教会中に混乱がある、と認めています。これはベネディクト十六世が2005年12月に枢機卿たちに言ったコメントによってこれが分かります。第二バチカン公会議に教父の神学顧問として参加したベネディクト十六世は、聖ピオ十世会と第二バチカン公会議について自由でオープンな議論を行いたかったはずです。それが、2009年1月21日の教令のこれから聖ピオ十世会とオープンな議論について「必要な話し合いを深める」という言葉にも現れています。


(5)ベネディクト十六世教皇様が必要としているものは何か:世界中の司教たちの反対やその他の脅迫が予想されていたにもかかわらず、ベネディクト十六世にとって、自分がヨハネ・パウロ二世に対して取った行動を取ってくれる人を必要としていたのではないでしょうか。

 御自身が、枢機卿時代にヨハネ・パウロ二世を誰よりも自由に批判的に発言し、信仰教義聖省の長官として教皇様をいろいろの点で、しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を批判したように、ベネディクト十六世も、そのような誰かを必要としているのではないでしょうか。

 カトリック教会を愛する心から、神学的に、自由に、批判的に発言してくれるだれかを。「政治的正しい言い方(politically correct language)」を無視して、真理をそのまま発言する勇気がある誰かを。

 カトリック教会を愛するが故に、カトリック教会の偉大なヴィジョンを持つ誰かを。
 「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」に、バチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会などが教皇様の動きを妨げることを望まず、むしろ、ダヴィドが選んだ武器としての石ころとなることができる誰かを。

 僭越な言い方ではありますが、ベネディクト十六世の心中は、カトリック教会の危機の克服のために、聖ピオ十世会からの自由な神学的な発言を必要とし求めていたのではないでしょうか。

 聖ピオ十世会は、ベネディクト十六世のカント的啓蒙主義に対して、或いは第二バチカン公会議の革新について、同意せずに自由に批判的に発言することでしょう。しかし、それこそをベネディクト十六世教皇様はお求めになっていると思われます。ヨハネ・パウロ二世教皇様が御自分にお求めになっていたように。

 以上が、今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられるか、ということへのお答えですが、回答になっていれば幸いです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

【関連記事】

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。