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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十八章 これはおとぎ話ではありません

2011年12月25日 | カトリックとは
第四十八章 これはおとぎ話ではありません

あなたは、何隻かの漁船に何が起こったのかという面白い話を知りたいですか?読んで下さい。それは一九九九年聖母の被昇天の祝日で、中国の南部の江蘇省で起こりました。そこに住んでいる信者のほとんどは漁師です。そこには家はなく、あるのは漁船だけです。魚を捕るのは、何人かの使徒のように彼らの人生です。彼らは単純な生活を送っていますが、また非常に信心深いです。

 それより以前の一九九五年八月十五日、彼らはミサを捧げる司祭を彼らが借りた汽船に招きました。数百人の信者がミサに与り、多くの照明とキャンドルで歌って祈りました。夜になると、人々は遠い距離から聖歌が聞こえ、彼ら信者が何をしているかを非常にはっきりと見ることが出来ました。突然、強い光があちらこちらで点滅し、巡視船がそこにやって来ました。巡視船が近づくにつれ、サイレンが「ウー!ウー!ウー!」と鳴りました。

 警察官は何枚か写真を撮り、そして去っていきました。ミサが終わってから直ぐに、司祭は信者の家に行きました。二人の警官が入って来て司祭に言いました。「おまえは法律で禁止されたことをした。我々は証拠を持っている。おまえは逮捕されている」彼らは司祭に手錠をかけ、後に公然とミサを捧げただけで3年の刑を下しました。

この司祭は誰でしょう?彼は七十歳のパウロ神父様です。信じられるかどうかわかりませんが、彼はこれまで信仰の為に五回逮捕されました。

  一九九九年までに、八月十五日の為に神父様はこれらの経験から学び、一隻の大型の汽船を使う代わりに彼らは長さ約二十メートルで幅六メートルのメインボートを持っていました。二百二十人以上がボートの中にひしめき合いました。司祭と祭壇はこのボートにあり、周りには四隻の小型のボートがありました。ミサに与った人は五百人近くだったに違いありません。ミサは、非常に小さなフラッシュライトを使用して捧げられましたが、猛暑と魚の悪臭のために多くの虫や蚊が引き寄せられて、司祭の顔の上に止まりました。それは、ミサを捧げる一方で、非常に忍耐強く、かつ静かに立っていなければならない時でした。四艘の小型ボートには、全く明りがないという合意がなされました。信者は沈黙を守り、司祭が暗闇で行っていたことに続くように試みました。最も感動的な部分は、司祭が信者に御聖体を配られた時で、彼は侍者とこちらのボート、またそちらのボートに移る必要がありました。非常に多くの人々が跪き、司祭はチボリウムを持って非常に弱い明りの下で、慎重にボートからボートに乗るのを余儀無くされました。時々、彼らは行ったり来たりする巡視船の音を聞きました。警察は何の光を見たり、何も聞いていないので、典礼を妨げませんでした。素晴らしく神秘的な犠牲が静かに五百人の前で捧げられていると、誰が想像出来るでしょう?

数年前、私がパウロ神父様に会った時。私は彼に言いました。「あなたは長年の間、警察とかくれんぼをしています。多く逮捕した後も警察はあなたを変えられませんでした。このような状況下では、天主様は常に勝者です。あなたは私の最高の模範です」中国のため、そしてパウロ神父様のために祈りましょう!

二〇〇三年九月八日。


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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