Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十七章 天主様は二十六年を御返しになります

2011年12月24日 | カトリックとは
第四十七章 天主様は二十六年を御返しになります

アメリカ合衆国で落ち着いてから、私は以前知っていた何人かの司祭を探しました。エイダン・マグラス神父様は、間違いなく私の最も親しい友人でした。私は十五歳の頃から彼を知っていました。彼は半世紀以上も私の世話をして下さいました。今、私は彼に会って、自分の長い苦しみの歳月について語りたくてたまりませんでした。私の五番目の兄は、マグラス神父様がアメリカのグリーンカードを与えられたので、彼は二年ごとに米国に来る必要があると私に言いました.神父様は一九九一年に姉と私が滞在していたところを探し当てました。一九五一年以来私たちは神父様に会っていませんでしたが、彼は私たちを見た途端、私に言いました。「あなたは美玉、霊名はローズ、そして最年少の一人です」それから彼は姉を指して、「あなたは美珍、マグダレナ」と言いました。彼の簡単な言葉は、私たちをとても感動させました。彼は四十年間私たちに会うか、便りを耳にしたことすらありませんでしたが、いとも簡単に私たちの名前を呼び、最年少が誰であったかを正確に知っていました。私たちが彼の心の中に常にあったことは、言うまでもありません。私たちの最後と現在の出会いの間に何が起こったかを考えると、それは最もエキサイティングな再会でした。

 彼は続けました。「私は二番目と四番目の兄に会ってきました。マグダラのマリア、あなたは二番目の兄とまったく同じように見えます。四番目の兄アウグスティヌスは、彼が香港にいたときにマッケルロイ神父を訪ねました。そして、現在のあなたの家族の両方がここにいます。それはあなたのための天主様の計画です。カトリックの歴史の証人として、次世代のために何かを残すために、あなたは自分の過去について書かなければならないことを忘れないで下さい。あなたは肩に大きな責任を背負っています。ちょうどその時、私たちは肉体的にきつい仕事のために、毎日八時間立ったままセント・ビンセンシオ・ア・パウロのお店で働いていました。その上、私たちは家事をしなければなりませんでした。毎日、私たちは死ぬほど疲れていました。どうして、誰もがこのような状況下でものを書くエネルギーを持っているでしょう?私はすでに医学的な問題がたくさんありました。神父様の言葉は、苦難に満ちた存在であるもう一つの負担という火を付けるマッチのようでした。私は彼に非常に正直でした。「私はかろうじて生計を立てることが出来る程度です。何かを書くどころではありません。過去は過去のことです。それは、天主様の目の前に書かれています。なぜ、私たちがそれを全て書き留める必要があるのでしょう。私たちは共産主義者の刑務所にいたときに劣らず、未だに苦しんでいます」マグラス神父様はとても謙虚な司祭でしたので、辛抱強く私の苦情に耳を傾けて私を全く咎めませんでしたが、それでも私たちに書くことを主張しました。この機会に、彼は一つの方法を用いました。次は、彼が自分のアプローチを変えました。何であれ、彼はあきらめるつもりはありませんでした。

 神父様は九十歳以上でしたが、フィジー諸島、台湾、およびマレーシアとどこにでも飛んでいき、そして彼はアメリカに来る度に私を訪れるようになりました。私は言いました。「あなたがそれほど高齢ならば、多分あなたの年間飛行マイル数は、ギネス世界記録を破ることが出来るでしょう。あなたが中国でNo.1の犯罪人でなければ、すでに中国に戻ってきたでしょう。あなたは龔司教様より大分前に逮捕されました。中国共産党があなたを逮捕した時、中国共産党は大きく躍進しました。あなたは一九五〇年代で最も有名な人物でした」神父様は急に笑い出しました。「私は中国、そして上海へ戻って、あなたの震旦女中を見たいです」

 一九九八年に神父様が私の家に足を踏み入れた時、彼はしばらくの間私を見つめ、そして私を暖かく抱きしめました。「何て綺麗な金髪の娘!」私は一本の毛もない禿げた頭を見せるために、無言でかつらを取りました。神父様は私の頭をやさしくなで、私の頭の上に涙をこぼしながら愛情を込めて言いました。「可愛いローズ、私はあなたが再び苦しんでいることを知っています。がんを患って手術を受け、今は化学療法を受けています。聖母へ全ての苦しみを捧げなさい。これは私たちの御母を喜ばせる最高の贈り物です。あなたは獄中で二十六年間苦しみました。安心なさい。聖母はその二十六年間をあなたに返して下さいます」これらの言葉は何と感動的だったことでしょう!私はさらに六年か十六年、または二十六年を生きるか気にかけませんでした。実際、私の手術は癌の後の段階に来たのです。癌細胞はすでにリンパ腺に転移しており、その段階で私ほど深刻な症状でなかった多くのがん患者は相次いで死にました。非カトリックの二人の医師は、彼らの医学的知識によれば、手術後七年という長時間を私が生き伸びられたのを説明出来ないと言いました。何と慈悲深い天主様でしょう!天主様はその僕に奇蹟を行ってきました。どうして、私は天主様に感謝の意を示さずにいられるでしょうか?今、私は仕事から解放されて時間が沢山あり、書かないことを弁解する余地は有りません。

マグラス神父様は、二〇〇〇年のクリスマスにアイルランドのダブリンで亡くなりました。その夜、彼は三回連続でミサを捧げました。彼はミサを捧げ終わった途端に心臓発作を起こし、二時間後に亡くなったのです。「親愛なる神父様、私はあなたが私にするように望んだことを決して忘れません。私は自分の人生の最後まで書き続けるでしょう。あなたが私の最初の英語の記事 'Human Suffering Is a Spiritual Joy'(人間の苦しみは、霊的な喜びである)を読んだ時のことを、私は覚えています。あなたはどんなに興奮されたことでしょう。それは私の表現能力を超えていました。あなたは多くのレジオ・マリエの会員に配布するコピーを数百部を作りました。私は、あなたが頻繁に天主様に自分の苦しみを捧げ、私たちの祝福された御母を愛するように求めたことを決して忘れません。私は今、そして永遠にそういたします」

やってくる二十六年、過ぎ去る二十六年
二十六年がやって来て、二十六年が過ぎ去ります
二〇〇七年の今年は中間点です
過ぎ去った二十六年で
もし私が屈するのならば
共産主義者は常に私たちを外に出すように
門を開けました
私たちはいつでも外に出られます
実際には外に出ています
物質的な世界から
世俗的な名声、豊かさから
それは天主様との完全な交流です
二度目の二十六年が過ぎ去れば
私は完全に愛という牢獄の虜になります
私は自由意志と全生涯を捧げました
外に出ましたが、私は天主様の心の中にいます
三度目の二十六年には、自分に何が起こるか分かりません
どんなにやって来ようとも過ぎ去ろうとも
天主様は最後の最後まで常に私と共におられます!


-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】