Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

私たちの主イエズス・キリストの御降誕

2011年12月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の御慶びを申し上げます。今年、多くのお祈りとサポート、援助、応援、本当にありがとうございます。

 こちらマニラでは、クリスマスにはほとんど司祭一人で三つのミサ聖祭を捧げました。真夜中のミサ聖祭の間は、バラン神父様が告解を聴いていてくれました。

シャザル神父様はソウル、マック神父様は、コタ・キナバル、バラン神父様はタナイとバギオ、ヘラ神父様はレイテで、クリスマスのミサ聖祭を捧げました。


 クリスマスには、マニラで、日本の方が一名洗礼の恵みを受けました。日本の聖ピオ十世会では今年、4人目です。天主様に感謝します!! 日本からは11名の方々がマニラに来てくださいました。マリア様に感謝します!!


 マニラでは7名の男性が、ただ今、霊操の黙想会に与っています。12月26日から31日まで。

 一昨日は、総長第二補佐のネリ神父様がフィリピンに着かれました。

 カガヤン・デ・オロは最近、台風で大きな被害を受けました。聖ピオ十世会の信徒の方々も被害にあい、ファイファー神父様がカガヤン・デ・オロにて、援助活動中です。


 愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、来年の1月2日から30日の霊操に入ります。お祈りをよろしくお願いいたします。

以上、近況報告でした。

愛する兄弟姉妹の皆様に善き祝福された新しい2012年をお祈り申し上げます。天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第五十二章 東方のルルド –佘山(シェシャン)

2011年12月29日 | カトリックとは
第五十二章 東方のルルド –佘山(シェシャン)

佘山の聖母のバシリカは、一八六三年に佘山(シェシャン)(北京語の発音)の上に建てられました。それは清朝時代に上海教区が教会の災難を免れるように助けて下さった聖母に感謝の意を示すために建設されました。一八七一年に教会は再建されてその規模は拡張され、それは上海の主要な教会となりました。オープンニングミサは、その年の五月一日及び二十四日にランギヤ司教(Adrien-Hyppolyte Languillat, 郎懐仁)により司式されました。一八七四年に教皇ピオ九世は、毎年五月に巡礼者としてそこに行った人に全免償を与えました。元の古い聖堂は一九二五年に解体され、そして新たな大聖堂の建造を始めました。完成するまでに十年以上かかりました。一九四六年、この大聖堂は教皇ピオ十二世によって小バシリカであると宣言され、一九四八年に教皇大使リベリ大司教(Antonio Riberi, 黎培理)によって献堂されました。それは極東初のバシリカと呼ばれていました。何千人ものカトリック教徒が中国各地及び世界中から巡礼に来ています。上海教区のカトリック教徒は、一九五〇年代に一つの慣習を始めました。彼らは、聖母の月である五月とロザリオの月である十月、そして毎月の第一土曜日か、または特別な意図のために祈る必要があった時は、いつでも佘山(シェシャン)の大聖堂に行きました。最初に三聖亭、特に聖母亭の前に跪いて、私たちをお守り下さるように聖母に祈り、私たち罪人を憐れんで下さるように天主様にお願いしました。

佘山(シェシャン)の聖母は、私の守護聖人であり、私の生涯は彼女の保護の下にあります。私は高校生だった頃、頻繁に佘山(シェシャン)へと巡礼に行きましたが、とりわけ一九五二年のレジオ・マリエの事件後に私が学校に行くことが出来なかった時はそうしたのを覚えています。その期間、私は天主様に祈るように佘山(シェシャン)に行くための時間が沢山ありましたし、しばしばそこで私は三日間の黙想をしました。何回かの黙想は、張希斌神父様が指導されました。私はそこから無限の恩寵を得ました。私が長期の労働と拷問生活の下で自分の信仰を保つための強さを持っていたのは、そのためでした。私がひどい試練に直面している間、私は失望し、殆ど打ちひしがれてしまいました。御自分のマントの下に私を保護され、死の谷の中をずっと導いて下さったのは聖母でした。私はアメリカに来て以来、私は二回中国に戻りました。

私はそこに到着する度に最初にする重要なことは、巡礼のために佘山(シェシャン)の大聖堂に行くことでした。私は初めて、漁船からやって来た多くの信者に出会いました。彼らは漁網をしまうと、家族や子供たち、そして年配の人を自分たちの船で旅をしました。旅の途中、彼らは聖母の連祷を唱え始め、次にイエズスの聖心の連祷、そして聖ヨゼフの連騰を唱えました。彼らが山の上の半分まで辿り着いた時、誰もが非常に敬虔に聖母亭の前に跪きました。何人かは、全く自分の膝の痛みを気にせずに岩の上に跪き、次から次へとロザリオの祈りを唱えました。そこから彼らは、十字架の道を辿って山の頂上まで登りました。彼ら信者は一年中船の上に住んでおり、非常につつましくて単純な生活を送っていましたが、彼らは自分たちのカトリックの信仰に熱心でした。とても幼い子供ですら、「主の祈り」を暗唱出来、同様に「めでたし」を大きな声でよどみなく祈ります。彼らは、佘山(シェシャン)に行くために丸一日漁を諦めますが、彼らが「私たちは天主様に祝福されています。収入は異教徒たちよりも少ないですが、私たちの生活は彼らよりも平安で意義があります」と言うように、お金のことを気にしません。

 私は、ここアメリカで多くの信者に会い、彼らは佘山(シェシャン)にフランスのルルドのような泉があるかどうか私に聞きました。私は「ありません」と言いました。そこで、彼らはまた「あなたは佘山(シェシャン)で自分の目で聖奇蹟を目撃したことがありますか?」と聞きました。私は「ありません」と答えます。「では、佘山(シェシャン)はどうしてそんなに国内外の多くの信者を巡礼へと引きつけることが出来るのか」私はそのことを繰り返し考えました。これまで、佘山(シェシャン)には未だ泉がありません。一つの理由は、聖母の時がまだ来ていないからかもしれません。もしかしたら将来ある日、山に泉が現れるかもしれませんが、私たちはそれはいつになるか分かりません。

 他の理由は、佘山(シェシャン)には奇跡の水の源はありませんが、脱力草と呼ばれる多くの病人を治す薬草の一種が生えているということです。この薬草は山のふもとで販売され、多くの病気の巡礼者はそれを購入して家に持ち帰り、煎じてお茶として飲みます。弱くて病気な人は直後に回復します。有名な医師である呉雲瑞は、熱心なカトリック教徒でもありました。彼はそのような薬草から止血治療法を発見し、効果は非常に良好でした。前にも言いましたように、私は目撃してはいませんが、佘山(シェシャン)には多くの奇跡があり、私は肝臓や肺の癌から回復した何人かの患者に会ったことがあります。彼らは聖母に感謝の意を示すために戻って来ましたが、彼ら患者が自分たちの治癒の証拠を出すために、病院に行くことが出来なかったことを非常に残念に思います。その一方で、中国には宗教の自由が無く、信者や司祭は立場の低い人々であったため、たとえ彼らが病院で検査を受けたとしても、医者は確実に進んで彼らが奇蹟によって癒されたかどうかを証明する認定書を与えようとはしないのに、どうして証明されることが有り得るでしょうか?

聖母は、未だ公に知られていない数多くの奇跡を私たちに与えて下さいましたが、世俗的な名声を気にしません。佘山(シェシャン)の大聖堂に行ったことがある信者は皆、はっきりとこのことを知っています。私たちの天の御母は、私たち一人一人の面倒を見て下さり、わたしたち、特に佘山(シェシャン)に行って聖母を訪問する者の願い事を、決して拒んだことはありません。そのことで、聖母の母親の心はこれらあわれな中国の人々、またはどんな哀れな人をも愛して止みません。私たちの涙を拭き、私たちの重荷を軽くし、そしてカルワリオへの道を歩き続けるように強めて下さるのは聖母です。聖母は、私たちが彼女の息子のために苦しんだことを御存じですので、飛び抜けて寛容です。聖母はこの世でさえも、私たちに報いて下さいます。どのようにでしょうか?私は労働改造所で、薬や医者の無い時に重病に罹りましたが、私は何度か奇跡的に私たちの天の御母によって癒されました。

 一九九八年に上海に帰った時、私は一つの奇蹟を耳にしました。張朴橋という名前の一人の信者がおり、彼には一人の四歳の子供がいて、生まれた時からずっと耳が聞こえず喋れませんでした。ある日、彼等一家はこの子供を連れて佘山(シェシャン)に行って聖母に礼拝し、一人の王という地下教会の神父に出会いました。子供の父親は、子供を抱いて神父に対して言いました。「神父様、どうか祝福を」王神父は子供の額の上に十字を切って言いました。「父と子と聖霊の御名によりて、アーメン」突然、この子供は口を開いて「ママ」と呼びました。そこで、周囲の信者は皆、「佘山(シェシャン)の聖母が奇蹟を起こした、奇蹟だ!奇蹟だ!」と大声で叫び始めました。この家族が再び王神父を探した時、王神父はもう視界の中にはいませんでした。この神父と私は長年の友人です。私が奇蹟のことを彼に尋ねた時、彼は言いました。「それは確かに私ですが、私が起こしたのではなく、聖母の御取次によるものです。マリア様がその子を癒されました」上海教区の范忠良司教は、人を遣わせて病院に行かせ、その子供のカルテを調査させました。その結果、子供は耳と口が生まれつき不自由であると記録されていました。今は聞いたり、話したり出来ます。このことは、既に范司教の許可を得ているので、広く宣伝することが出来ます。

実際に、佘山(シェシャン)の聖母を通して起こった数々の奇跡があります。ひっくり返されない石を残さない位、中国共産党は教会を迫害していますが、教会は一日一日と持ちこされています。無数の殉教者は天国に昇りました。多くの信者の種が植えられました。いつの日か、それらが聖母の御取次によって豊かな実りになると私たちは信じています。



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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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