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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十一章 農業の喜び

2011年12月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
第四十一章 農業の喜び

一般的に言えば、中国の労働改造所は恐ろしくて悲惨な場所でした。中国の中東部の安徽省の碭山果樹園も例外ではありませんでした。最初、私は白湖農場の医務室で働くように割り当てられていましたが、私は「犯罪」を告白していないので(私はカトリックの信仰を否定するつもりはありませんでした)、彼らは私に罰を与えるために私を医務室のポストから追い出して、菜園に私を送りました。ところが、きつい作業の四ヶ月後に、それを耐え難いとは感じませんでした。それどころか、私はそれが暖かくて容易であることが分かりました。それは奇妙に思えるでしょう。その理由を説明いたします。

1970年、多くの「対面」批判闘争の後に、共産党の幹部は私が矯正不可能であると考えました。彼らは、私はカトリックの信仰を放棄するのを拒否していたことを非常によく知っており、さらに彼らは、私が仲間のカトリック教徒の「犯罪者」と交流しているのを見付けました。囚人仲間との交流は、労働改造所では厳禁されています。

罰とは、医務室のポストから私を外し、菜園で最低のポストにつけることでした。何人かの仲間の労働者は、私の降格を悔やみました。確かに、医務室のポストは労働改造所で最高の一つです。仕事はそれ程重くはなくて汚れてはおらず、尊重されて騒音の多い混雑した宿舎の代わりに、きちんとした医務室で食事を食べることができました。

彼らは私が「貴重な」ポストを失ったと考えました。しかし、共産党員は私にその楽な時間を過ごすことを許さないのを知っていました。彼らの目的は精神的にも肉体的に私を痛めつけることだったのです。天主様の御恵みによって、私はそれが自分のせいではなかったことを知っていました。それは天主様の御節理で、霊的な旅に人間を導く天主様の方法でした。新しい罰や状況に新たな埋め合わせがあるのを見出したのは、実に天主様の私への御慈悲であると気が付きました。それは見た目ほどには悪くはありませんでした。

今、私はより易しく、より平和な生活を送っていました。そこには、もはや真夜中に起きて患者の世話をしに慌しく出ていくことはなく、また私が煩わしい「休暇届」を対処する必要がありませんでした。たった一日の休息を得るために、囚人は医務室で休暇届の同意書を請求することになっていました。私が病人に休暇届を与えなかったら、私の良心は穏やかではありませんでした。もし、休暇届が必要な人たちに何枚かの休暇届を付与したら、共産党員の看守の気持ちを苛立たせ、怒らせました。それに加え、菜園で仲間の労働者と一緒に暮らすことは簡単でした。彼らにスパイや情報提供者はいませんでした。彼らは友好的で同情的でした。労働改造所での一定の虐待や洗脳後に、多くの「犯罪者」である労働者は、利己的で思い遣りがありませんでした。それ程重労働ではない仕事に変えるか、もう少し多くの小遣いを得る等の共産党員から少しばかりの世俗的な利益のために、人は自分の仲間の行動について共産党員に報告していました。共産党員は、古代の格言の一部である「分割して統治せよ」、すなわち、私たちがお互いに裏切ったり、戦うように促しました。

言い換えますと、他の部門のように、菜園での物事は恐ろしいものではありませんでした。私たちはフレンドリーで親切でしたし、合理的で心の温かい職長である馬さんと作業をしていました。私たちの作業は積極的に行われ、共産党員の看守はしばしば菜園に私たちを調べに来ず、私たちの農作物は毎月公式の標準を満たしました。物事は確かにはるかに簡単でした。

私たちの夕方の学習時間では、共産党員は、労働者に共産主義理論を学ぶよう強制しました。私たちは、それを長い休憩として使うものだと認識しました。私たちが当局に監視されていなかった時、我々はいくつかの熟した果実を採りにスイカ畑に行きました。ナイフは要りませんでした。熟したスイカは、拳の一撃で簡単に割れました。私たちとって何という御馳走だったでしょう!私たちは何人かの労働者が昼間に捕まえた蝉を焼いてひっくり返すのを楽しみながら、少なくともしばらくの間、私たちの奴隷の状態の存在を忘れてしまっていました。おいしかった!

かつて、私はこの菜園にそのような世俗的な楽園があったことは想像もしませんでした。冗談で仲間の労働者に言いました。中国の諺に、「3年乞食をすれば、役人にすらなりたいとは思わない」というのがあります。 私はたった3ヶ月間そこにいただけでしたが、確かに今の医務室のポストに戻りたくはありませんでした。これは最初の農業の喜びでした。その一方で、今私は新しい任務についていたので、非常に未熟だったことをしなければなりませんでした。私は野菜の苗を植えることや、芽の傾けたりや育った植物を収穫することが出来ませんでした。これは専門家のための仕事でした。中国の農民の古くからの習わしである一組の肥桶を運ぶ単純な仕事をしたほうがましでした。

肩に肥料を担ぐために、バランス良く肩の上で一つの棒により繋がれた二つの桶が、肥料を運ぶために必要な道具でした。私は強くはありませんでしたので、小さな桶の組を選びました。何人かの年上の労働者は思慮深かったです。彼らは私の肩の皮膚やシャツを保護して私の仕事をよりつらいものでないようにするために、布きれと綿で肩パッドを縫い合わせてくれました。彼らは自分の妹のように私を扱いました。

彼らは私の布団がとても汚れていたことを見たとき、彼らは聞きました。「どうしてこうなんだい?あなたは看護人だよ!医者は清潔をありがたいと思うのを知っているの?あなたの汚れたシーツを見てごらん!」彼らは自分たちの任務があったので、私のキルトやシーツを洗うために外へ持っていきました。正直に言いますと、私は家で甘やかされていました。私が逮捕されるまで、ハンカチの一枚も洗ったことがなかったと聞いたら、私のことを恥ずかしいと思うでしょう。ここ労働改造所では、誰もが自分の服やリネン類を洗濯しなければなりませんでした。自分のベッドカバーを外して洗濯し、再びそれを縫い合わせるのは謎でした。それは私が役立たずだと思わせ、悲しく感じさせました。しかし、多くの司祭や信者は同じ苦境にあったのです。私は自分自身のことで言い訳する理由はほとんど持っていませんでした。私は、名家で裕福な家庭出身の朱育徳神父様や、労働改造所で盲目になろうとしていた厳神父様が同じ問題を抱えていたことを考えました。彼らのシーツは、私のように汚れていたでしょうが、彼らの霊魂の清らかさに焦点を当てるのには無関係でした。しかし、この少しの言い訳は、自分の不器用さを容赦するのに使うべきではありませんでした。私は自分たちの服の汚れを奨励するのではありませんでしたが、自分の信仰を保ち、天主様に完全に自分自身を御捧げすることが、私が優先することであるとはっきり知っていました。何の快適さも考える必要はありませんでした。それにも拘わらず、自分のキルトを洗濯して日光にさらした後、それはとても気もちの良い香りがしました。私は特別な甘い夜を過ごし、お金で買うことができなかった心地よくて明るく、感謝すべき喜びがありました。

私の仲間の労働者は本当にとても親切で、さらにもっとしようと望んでいました。過去に一度、ある人が医務室におり、親切な労働者がその人の困難を見て、何着かの服を洗うのを手伝いました。彼女は自分のトラブルを恐れて怒鳴ったので、あきらめざるを得ませんでした。しかし、菜園は「忘れられた一角」でした。彼らは私を助けるのに自由でしたし、彼らは多くのことをしました。彼らは私の重い冬服を全て洗濯し、私の服のいくつかの穴が粘着テープで継接ぎされているのを見ると笑い、そしてきちんとした布のパッチで穴を縫い上げました。私は微笑んで言いました。「私のためにそこまでやっていただき、ありがとうございます。今、共産党員がこの菜園に私を入れたことは本当に必要だったと思います。そうでなければ、私の汚れた服にノミが潜り込んだり出て来たりしたでしょう。正直に言えば、あなたたちと一緒になりたいですし、医務室に戻るようにと警告しないでください。」これは私の第二の農業の喜びでした。

4ヶ月間、生活はこのようにスムーズに行きました。最初、共産党員の看守は、私は骨の折れる農民の仕事に耐えられないと考え、彼らは私の告白と医療のポストに戻るという要望を待っていました。彼らは私が打ちひしがれて消耗していたかどうかを確認するために数回降りて来ましたが、彼らが見たのは自分の肩に肥料を載せ、そして時には自分で鼻歌を歌いながら裸足で足早に歩く若い女性でした。彼らは明らかにこの罰がうまく働かず、私が簡単に時間を過ごしていたことを考えたのではないでしょうか?やがて、共産党の看守が来て言いました。「明日、おまえの義務は、肥溜めの穴を空にして掃除することだ。おまえは穴の中に降りなければならない」肥溜めは私たちの肥料の貯蔵場であり、1メートルの深さで約34平方メートルの広さがあり、ほとんど人間の排泄物で蓄積していました。それを掃除するには、大人8人が肥料の液に浸たりつつ、次から次へと肥料を鋤で外へと掻き出す必要がありました。

翌朝、すぐに私たちの朝食の後、気のいい職長の馬さんが私のところに来て、「彼らはあなたの足を引っ張って、恥をかかせようとしている。あなたが肥料の中に立つのが難しいのなら、休暇届をもらえばいい。私は言いました。「あなたの心遣いに感謝します。彼らは私を穴に下りるように割り当てました。私はいるほうがよいと思います。私は最善を尽くします。私はあなたの親切に感謝します」

実際のところ、私の肌はむしろ繊細かつ敏感で、しかもアレルギーでした。私の肌は汚れたものに触れた後、発疹で膨れ上りました。一九五一年に私は上海で、かつてのアメリカのミッションスクールである聖約翰大学で学んでいました。その学校の施設は一流でしたが、私は学校の洗面所等のような公共のものを使うのには慣れませんでした。時々、私は必要な時は、むしろ自分の家のトイレを使うために家に急ぎました。今、私は、彼らが私に割り当てることは何でもするために、自分のカトリック信仰を保つために農村の労働改造所で囚人となっていました。

共産主義者は、私が面と向かっての集団の批判で、残酷な屈辱を受けるのを恐れていなかったことを知っていました。しかし、彼らは私が肥溜めに浸かるのを恐れるかもしれないと考えました。確かに、私の告白が来るに違いありませんでした。私はそのことについて考え、そして、私は耐えて苦難を受ける必要があり、天主様へ自分自身を犠牲にしようという結論にたちしました。私はためらう事無く、自分を犠牲にするべきでした。自分自身を犠牲にすることは、必要ならば自分の尊厳を犠牲にすることを意味します。私がこの試練を前にしり込みするのならば、共産主義者は私をあざ笑う機会を持つことになります。「ほら、その女は無敵ではない。さあ、我々は彼女の弱点を見つけたぞ」臆病なカトリックである時ではありませんでした。私は、いつも私たちをご覧になっている天主様を信頼しました。天主様の恩寵があれば、どんな苦難も耐え難くはありません。

ですから、他の労働者の例に従って、私はズボンをたくし上げ、肥溜めの中に飛び降りました。私の仲間の労働者は同情しました。「風下に立って、あまり力を出すんじゃないよ。疲れてしまって、滑って転んだら、とても汚れてしまうよ」共産主義の看守は、私たちが働いていた間に再びやって来て、私たちが積極的に肥料をシャベルで掻き出すのを見ていいました。「美玉はかなり経験豊富なようだ。彼女は風下の一角を選ぶ方法を知っている。いくらか肥料を喰らうのが怖いのか?」私の顔に肥料のしぶきがかかっているのを見たとき、彼は喜んでいました。「まあ、ブルジョアの知識人は、この種の労働を通して彼らの骨(それはイデオロギーを意味します)を改めることが出来る」自分の口を開こうとすれば、汚れた液体が妙な味と共に口の中に入り込むので、私は一言も答えませんでした。私たちは2時間働いて、掃除の仕事を終えました。そして、自分自身を洗うようにきれいな水の流れに飛び込みました。シャンプーはなく、コンディショナーもありません。私たちはきつく洗ったりこすったりしましたが、嫌な匂いを取り除くことは出来ませんでした。私たちは、臭いが二週間自分たちの体に留まるだろうと考えました。

少なくとも、私はほっとしました。糞尿は私たちの肉体を汚しても、それは私たちの霊魂を清らかにしました。私は今回の天主様の御慈悲によって、あわれな罪人である私が、肥溜めに飛び降り、試練を切り抜けたことに感謝していました。地球は廻り、時間が刻まれるにつれて、全てのこの世の幸福は瞬たく間に衰え、風と共に過ぎ去ります。この世の試練は無限ではありません。共産主義は、私に自分の全生涯を肥溜めの中に浸かるように強制することは出来ませんでした。すべてはやがて離れて通過するので、私たちにはあまり多く心配するか恐れるべきではありません。私たちが恐れれば恐れるほど、負担がより重く見えます。真実は私たちを自由にします。私たちは、この人生で多くの苦難を経験しなければなりません。あきらめてはいけません。天主様への信仰を持ち、何よりも天主様を愛しなさい。天主様は、私たちが奈落の底まで落ちることを御許しにはなりません。私はこの日まで生き、天主様の御慈悲と共に試練を切り抜けたことを感謝しています。


私は泥のように謙虚になりたい
一日一日と、人々の足の下に踏みにじられ
それが道になります
道が泥だらけあっても
天主様は常に最も卑しいものを挙げられます
もし、私の人生の物語が天主様の御慈悲に気付くのに
役立つのでしたら
私の足跡を辿ってください
私が出来ることを、あなたは天主様の御加護と共に成し遂げます
決してイエズス・キリストとは離れません!
天に登るまで、あなたは天主様の報いを受けます。





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