第四十二章 彼女は労働改造所の顕著な例でした
張依成シスターは煉獄援助修道会の修道女でした。 一九五八年に、シスターと私は2人共同じ労働改造所にいました。彼女は洗練された優雅な物腰で外見がとてもエレガントであり、彼女は皆の尊敬を得ました。非カトリック信者でさえ、泥から育っても純粋さに満ちた白い蓮の花であると彼女を讃えました。
彼女が持っていた最大の美徳は、沈黙を守っていたことです。彼女はしばしば、沈黙が強さであることを私に思い出させてくれました。当時、私たち約15人のカトリック教徒は、白湖農場で農作業をしていました。私たちはちょうど、オオカミの間にいる柔和な子羊のようなものでした。朝、私たちが鋭い道具を選ぶ方法がわからないために、囚人たちはしばしば私たちに最も厄介な仕事を残しました。私たちは皆大都市で育ち、そして私たちの誰もが農業について何も知りませんでした。私たちが一日の割り当てを終わらせなかった場合、労働改造所では罰がありました。夜の間、強制的に1時間か2時間外に座らされ、この間、私は疲れ果てて、そして時には冬の天気がひどく寒かったので、私はとても耐え難く感じました。他の人は眠れましたが、私たちは出来ませんでした。マザーはしばしば、その間により多くの祈りを唱え、私たち自身と他人の罪のためのより多くの痛悔を行うことを思い出させてくれました。
一九六二年に、シスターと私は白湖農場から碭山果樹園に追放されました。彼女は十七年の刑期を終えた後、ほかの部隊に移されました。共産政府は、法津で私たちが刑期を終えてもまだ故郷に帰ることを許されず、労働改造所に留らまければなりませんでした。就業者は非常に少額ですが、およそ2米ドルのいわゆる賃金を得ることが出来ましたし、二年おきに一週間家族を訪問することを許されました。張依成シスターもそうでした。
シスターは、私の部隊の隣の就業者の部隊にいました。以前に述べましたように、碭山果樹園はその反宗教で有名でした。シスターは細心の注意を払って規制を守り、一生懸命働きましたが、幹部はいつも彼女に難問を突き付けました。彼女は自分の信仰を否定するつもりはなかったので、彼らは単に彼女を嫌っていたのです。彼らは、毎日彼女を見張って事務所への報告書を作成するために、誰かを割り当てました。この人は、肉体労働をする必要はなく、単に報告書を作成するだけでした。シスターが何も言わない場合、彼らは彼女が余りにも狡猾なので、喋らないことで自分の罪を告白するのを拒否したと言い、もし彼女が誰かに話しかけた時、彼らは彼女が他人に付け込んだと言いました。彼らの目には、シスターが何をしようがそれは完全に間違っていました。このように、彼女はあらゆる批判大会で標的となりました。沈神父様。張シスターと私は4回、同じ大きくて恐ろしい批判大会にいました。彼らは、わたしたちの非常に醜い絵を描き、何人かの人々が会議でそれらを掲げていました。彼らは世界の終わりのリハーサルのように、驚異的なマイクを設定しました。私たちは皆、恐怖や憎悪を表す事無く非常に平安で穏やかなままでした。
驚いたことに、彼らはシスターが自分の部隊に戻った時、彼女を苦しめ続けました。ある晩、共産党幹部は、「我々の敵、依成の素顔を暴く為に」という大会を誂えました。そこの就業者は明らかに怯えました。彼らは依成が彼らの間で最も親切な女性であり、彼らは困りごとがある度に、他人の為にぼろを繕ったり、手紙を書けなかった人に手紙を書いたことをはっきりと知っていました。彼女を酷く扱う人々には、彼女は決して不平不満をこぼすことはなく、その代わりに彼らを愛しました。多くの人々は、重圧の下に臆病で盲目となりました。共産党指導者の命令に従うために、彼らは繰り返し「羊の皮を着たオオカミの依成を倒せ!キツネの依成を倒せ!」と叫びました。その時、幹部はシスターがそのような重圧下で降伏するだろうと思っていましたので、彼は彼女に聞きました。「おまえはまだ神を信じるか?」すると、力強く明確な応答が返ってきました。「信じます」彼は怒って何人かの人々に、身動き出来ないようにシスターの両手両足を縄で縛り、さらに梁の上からぶら下げるように命じました。この罰は、以前は労働改造所のか弱い女性に行われたことはありませんでした。今、彼らは囚人が示したような何の悪いこともしなかった熱心なカトリックの修道女を殺そうとしていました。地球が動くのを止めたように見えました。誰もが息をこらしていました。次に何が起こったのでしょうか?しばらくすると、幹部は再び尋ねました。「よく考えたか? 我々はおまえを本気で死なそうとしたのではない」シスター答えませんでした。
約5分後、一人が幹部のところまで行って、シスターの顔が極端に青白く、彼女がほとんど失神したように見えたと伝えました。その人は、「あなたが彼女の縄を解かなければ、彼女は確実にすぐに死ぬでしょう」と言いました。幹部はシスターがすぐに死ぬことを恐れていましたので、彼は彼女を解放するよう伝えました。シスターは解放された後、彼女は身体的には非常に弱かったのですが、彼女の表情は彼女が精神的な強さと自信を持っていたことを示しました。カトリック信者は死やいかなる種類の苦しみを恐れませんでした。どうして、彼女が他の事で恐れることが有り得るでしょう。結局、天主様の御恵みと共に依成シスターは勝者となりました。
その後、労働改造所でのシスターの日々はまだ非常に困難でした。彼女が喜んでするかしないかに関係無く、幹部はいつも彼女に最もきつい仕事をするように割り当てました。 一九八〇年代後半、労働改造所で二十五年以上過ごした後に、彼女は自分の故郷である上海に戻ることを許されました。夫と私は彼女を訪問し、彼女が残りの人生を私たちと一緒に暮らすように招きましたが、彼女の義妹は私たちを拒否しました。彼女の言い訳は、シスターが自分の家族を手伝うためのするための、家庭の用事がたくさんあるということでした。私たちはそれを聞いて愕然としました。シスターは長年もの間、苦しんできました。今、彼女は自分の家族の世話をする必要がありました。どうして、彼女の家族は彼女を召使として扱うことが出来たのでしょう?私たちが一九九〇年代にアメリカに移住した後、私はシスターが認知症で苦しんでいると聞かされました。間違い無く、彼女の苦しまれるイエズス様への信心深さが一因でしょう。この段階で、彼女は非常に劣悪な環境で、しかもろくに彼女の面倒を見なかった養老院に送られました。ある夜、彼女は腹部に大きな痛みを感じましたが、彼女が病院に運ばれるまで、誰もが彼女に注意を向けませんでした。もう手遅れでした。彼女の盲腸の感染は、彼女の全身に広がっていました。彼女は二十四時間以内に亡くなりました。
この消息を耳にした時、私はどうしようもなく思いました。彼女は私たちの時代の真の殉教者でしたが、彼女は共産主義者の労働改造所で死んではいません。彼女はがんや心臓発作で死にませんでした。彼女の病気はこの種の悲劇を避けるために僅か十五分の手術しか必要としませんが、なぜそうではなかったのでしょう?たった一つの説明は、天主様はシスターがこの世でこれ以上苦しむことをお望みにはならなかったということです。それは、天主様が天国で彼女の永遠の報いのために、彼女を呼ばれた時間でした。
真珠の貝殻
真珠の貝殻は濃い緑色の海に留まり
絶え間なく太陽の光を描きます
それは輝く月のように素晴らしいです
魔法の虹でしょうか?
砂の粒が物思いに耽る時
神秘的なバラの力によって
水晶の質感を模倣します
その魂に善き心を抱きながら
次から次へと真珠が現われます
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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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