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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十章 義人と罪人

2011年12月17日 | カトリックとは
第四十章 義人と罪人
「私は義人ではなく、罪びとを呼ぶために来た」(マタイ 9:13)と聖書でイエズス様は仰せになりました。中国の文化大革命の時、私は気候に適応するのが大変な僻遠の地にある労働改造所で刑に服していました。気温は零下30度から40度の範囲でした。一般社会の多くの人々と同様に、労働改造所での共産党幹部のほとんどは反宗教の過激派でした。労働改造所の看守は、囚人のあら捜しをするのに非常に活動的でした。彼らはカトリックの司祭、修道女、そして信者に主に焦点を当てた、無数の批判大会を設けました。私は懲役15年を宣告され、そして常に頑固でしたので、「活動家」として知られていました。私は批判大会がある度に標的でした。被害者であることは、文化大革命の時には避けられませんでした。

その時、上海から来た司祭である沈介敏神父様がいました。彼は自分の周りの人全てを信頼した非常に単純な方でした。運動が始まると、多くの人々は事務所に駆け込んで、彼と私が反革命的行為を犯したと主張しました。私たちの指導員は、自分の事務所に私を召喚し、私に少し同情を示しました。「今度の会議はおまえと沈に向けられている。おまえが何年も前からここで良い仕事をしたので、私はおまえが会議で批判されるのを見るのを望まない。私はおまえのために行為を示そう。沈に対していくつかの言葉を言えば、おまえは批判を免れることになる。そうでなければ、今度より多くの批判があるだろう。時々、囚人たちは余りにも感情的になって、深刻な暴力が発生する可能性がある。おまえが多く苦しむのは確実だ」何の考えもなく、私は単純に答えました。「あなたの親切な申し出に感謝します。私は他人を批判することは出来ません。私が沈神父様の右に立って、他人から非難されるようにして下さい」指導員は苦笑いを浮かべながら言いました。「胡美玉、おまえは苦しみの虜になっているに違いない。おまえは大きくて広い道よりも、狭い道を好んでいる」

スローガンが来ました。垂れ幕は提示され、マイクが臆病者を威嚇するために設置されました。私は完全にこれらの脅し全部に備えていました。悲しいことに、私と一緒に医務室で働いていた同僚は、塩気の無い塩と光のないランプになっていました。彼女は批判大会で活動的な一人であったばかりではなく、私に悪態をつき、進み出て私の顔を平手打ちしました。「この、強情者!今も、あんたはまだ頑なに反革命の精神を持っているのか」直ぐに、ポンシオ・ピラトの前のイエズス様のシーンが目の前に現れて、私は祈るように助けられました。「ああ、イエズス様!今あなたは休息を取ることができます。鞭で打たれるのを私に引き受けさせて下さい。あなたの茨の冠は、もうあなたには重すぎます。しばらくの間、私があなたの代わりにこの王冠を被るように自分の苦しみを用います」その瞬間、私の魂は喜びと平安で満たされました。私を叩いていた同僚は、長年修道女をしていました。彼女は間違い無く、私の苦行を必要としていました。

突然、私は、「暴力はいけません。毛主席は『争いではなく議論を』と言われました」と叫ぶ声を耳にしました。その声は、労働改造所の病院で私に会った求道者から来ていました。彼女はかつて私に尋ねました。「あなたは私の経歴について知っていますか?私は娼婦であり、何度も罪を犯しました。今、私はカトリック教徒の慈善を見てきました。私はカトリックになりたいです。あなたの教会は、汚らわしい罪人である私を受け入れて下さるでしょうか?」私は彼女に新約聖書のマグダラのマリアの話を始めました。「イエズス様は義人ではなく、罪人のために来ました。あなたが悔い改めるならは、天主様は確実にあなたを御赦しになるでしょう。実際のところ、私たちは皆罪人です。天主様は過去を見ておられません。彼らが強盗、人殺し、または娼婦であろうが、病人はイエズス様がお探しになっている人です。天主様は今だけを御覧になっており、あなたが天主様を信じる意図を持っているのならば、カトリック教会の掟に沿って生きてください」彼女は、その信仰から離れた修道女の無分別な行動を止めるのに十分勇敢でした。あれは、聖マグダラのマリアを模倣した実例ではなかったでしょうか?沈神父様と私は、この会議で休憩を取れませんでした。彼らは次々にやって来て、一人一人が他人よりも激烈であり、およそ400人から500人が参加していました。叫び声と嘲りの雑音は非常に騒がしいものでした。幸いにも、私は彼らが言った言葉を聞いてはいませんでした。私は彼らを、俳優の束として扱いました。私は、人生はドラマのようだと思いました。天主様は私がこの役割を果たすことお望みなので、私は単に協力しただけです。「主を愛する人々に、主が全ての事を働かせて益として下さいます」(ローマ8:28)全てを天主様に御捧げするのを許された私は、何と恵まれていたことでしょう。

すべての批判大会の後、彼らは暗い部屋に私を閉じ込めました。囚人の食事は、すでに非常に酷いものでした。食べ物は、飲み込むことは不可能でした。私がこの暗い部屋に閉じ込められている時に、食事は毎日二度来ました。豚もそれを食べなかったでしょうけれど、私はこれら全てに対して冷静でした。内心私は、人はパンのみでは生きていないことを思い起こしていました。アビラの聖テレサは「天主様一人で足ります」と言いました。全知全能である天主様は、暗い部屋で毎日私と一緒に過ごしました。他に何が必要でしょうか?そして、時間は過ぎていきました。

ある日、看守が私の部屋の門を開けて食事を運んできた時、突然私の友人であるその痛悔した女性を見ました。暗い部屋の門が開いていたのを見て、彼女はその口に紙に包まれた小さな饅頭を咥えた子猫を急いで部屋に送りました。私は泣かずにはいられませんでした。「友よ!あなたは一日に非常に長い時間働いています。あなた自身の活力のために、この食べ物をどんなに必要としているでしょう?でも、あなたは私のために、この最も貴重なパンをとっておきました。どうして、あなたからそのような素晴らしい贈り物を受け入れることが出来るでしょう?一方で、私はあなたの賢さに感心します。あなたは最も過酷な政府も小猫を罰することが出来ないのを知っていましたから、あなたが出来ないことをするために、この猫をよこしました」

この小さな猫について話すならば、私はその猫がどんなに明るくてフレンドリーであったか否定することが出来ませんでした。私は通常、夜遅くまで患者の世話をしました。猫はどこにいようとも私の足音を聞いたとき、付き添いのように私のところに走り寄りました。寒い夜の間、暖房が無くて私の血が凍りつこうとしていた時、猫は私の毛布に入り込み、その体温で私を温めてくれました。不思議なことに、その猫は修道女への親愛さを示したことはありませんでした。私は小動物と友たちになるアッシジの聖フランシスコと聖アントニオの話を聞いていました。多分その小猫は、私にとって天主様の御加護の印でした。労働改造所を離れる際に、私は猫がずっと医務室の辺りをさまよい、間も無く死んだと告げられました。痛悔したその女性は、最終的に洗礼を受けて良い死を迎えました。天主様は永遠の命を以て彼女に報いたことでしょう。棄教した修道女に関して言えば、労働改造所を去った後に上海に戻りました。私は、彼女が急性腹痛のため病院で緊急手術を受け、翌日に死亡したと知らされました。私は天主様の御慈悲に彼女の霊魂を託しました。彼女が痛悔するならば、天主様の御慈悲は彼女の罪を御赦しになるでしょう。小さな猫は死に、私を気にかけてくれた洗礼を受けた痛悔者は死んで、その修道女も死にました。「私は義人ではなく罪人を呼ぶために来ている」二人の女性のうち、一人は娼婦でもう一人は修道女でしたが、誰が義人で誰が罪人だったのでしょうか?実際は、私たちは皆罪人です。どうか、私たちの無限に慈悲深い天主様が私たちを憐れんで下さいますように!


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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