tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

古墳時代の愛

2013-07-29 23:06:57 | old good things

 

「香取の海」の周辺の集落は、川に面した台地の上に数軒から十数軒の規模で構成されている。
川ぞいの土地は、生活に必要な水の確保や稲作にも便利だからだ。古代集落の中央には、祭のためであろう広場があり、玉を造ったり、小鍛治のための小屋などもある。
 
古墳時代には、豪族は大型化し高床式の掘立柱建物に居住した。
一方、庶民は竪穴住居。地面を4~5 mの四角に掘り、雨が入らないように土でまわりに積み上げ、対角線上に4本の柱を立ててカヤやワラで屋根を葺く。家の入り口の反対側に「かまど」。住民は4~7人くらいだった。
母系家族。男性が女性のもとに通ったり、女性の家族が男性を迎え入れてたわけだ。
最も影響力が強いのは女性の母親の意見。したがって、よそ者は排除された。
女性はいつも母親の目を気にしながら好きになった男性と会ってたのかもしれない。
また、愛の行為と妊娠との因果関係が明確でなかったから、だんなと妻という夫婦関係は曖昧だった。

炊事や食器に使った土器には、縄文土器、弥生土器と同じく低い温度で野焼きされた赤褐色ないし黄褐色をした「土師器」や古墳時代5世紀に朝鮮半島から伝わった陶質土器の製作技法をもとに、ロクロという回転台を使って造形し、登り窯によって1100℃以上の温度で焼かれた「須恵器」の2種がある。
須恵器は、水を入れてももらず、お祭りのためや儀式用の貴重な土器として使われた瀬戸物の元祖。

古代の人々は「部」と呼ばれる集団に属した。
房総には後に軍事的部民となった「丈部」姓が広く分布する。
平城京には、安房国から調として大量のあわびが「日下部」、「額田部」、「私部」、「矢作部」、「矢田部」、「大伴部」、「占部」の姓の人々から送られてきたことをあらわす木簡が現存している。

 

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