彦四郎の中国生活

中国滞在記

「人権問題・ゼロコロナ政策」問われる中、北京冬季五輪いよいよ始まる―張芸謀:開会式演出

2022-01-25 08:44:24 | 滞在記

 2022北京冬季五輪の開幕があと10日後に迫った。

 2月4日の北京国家体育場(鳥の巣)で開催される開会式や閉会式の総合演出を務めるのは、2008年北京夏季五輪の時と同じく張芸謀(ヂャンイーモウ)氏である。彼は世界的映画監督であり、生まれたのは1950年で今年72歳となる。北京夏季五輪の開会式では、中国の歴史・文化の壮大な大絵巻のような世界を演出し、素晴らしい、感嘆されられる開会式演出を行った。

 私はこの張芸謀の映画が大好きだ。ざっと、私が観た彼の素晴らしい作品を挙げると次のようになる。「赤いコーリャン(1987)」、「活きる(1994)」、「あの子を探して(1999)」、「初恋の来た道(1999)」、「至福のとき(2000)」、「単騎、千里を走る(2005)」(※主演は高倉健)、「サンザシの樹の下で(2010)」、「妻への家路(2014)」、「グレートウォール(2016)」(※万里の長城を巡る歴史的戦いを描く)、「SHADOW/影武者(2018)」など。東洋的な芸術性と内容の優れた作品は、日本の黒澤明監督と双璧をなす。

 10日後の北京冬季五輪の開会式の演出について張芸謀は「中国人の世界観を伝えながら、最終的にそれが人類が共有できる物事の見方であることを示す」などと、中国国営中央テレビ(CNN)で1月21日に語ったと伝えられた。この張芸謀の発言に関し、中央テレビは「中国の歴史や文化を知らしめることに重点を置いた2008年の(北京夏季)五輪と違い、全人類共有の精神や理念、『人類運命共同体』を訴える内容になる」と解説したようだ。「人類運命共同体」は習近平国家主席が外交などで頻繁に用いているスローガンでもある。そして、最近では「西欧式の民主とは違う中国式の民主の正当性についての言及」も、中国共産党は大々的に行ってきている。

 さて、10日後の開会式は、どのような「中国人の世界観」「最終的にそれが人類が共有できる物事の見方」というものを張芸謀は演出するのだろうか。そこに、「人権」や「民主」は、どのように描かれるのだろうか。おそらく中国政府からの演出内容に関する厳格なプロパガンダ的要請は強くあるだろう(例えば、「中国共産党の指導」あっての"民主や人権"の演出など)が、張芸謀ならではの、深みのある演出を期待はしたいところだが‥‥。はたして‥。張芸謀の心中も複雑な思いはあるだろう‥。世界が注目する「開会式セレモニー」だ。

 中国のネット記事には、「北京奥会開幕式最新劇透来了 張芸謀給大家一个"惊喜"」という見出し記事があった。北京オリンピック開会式の新たな劇場の内容が垣間見えてきた。張芸謀がみんなに一つの喜びを与えてくれるだろうという意味となる。

 今年の中国の春節まで、あと5日と迫った。1月30日は大晦日となる。超厳重・厳格な「ゼロコロナ政策下」の中国だが、12月中旬に入り、かなりの規模の新型コロナ感染拡大が続いた。そして、春節を目前にして、かなりその感染状況が抑えられてきている。散発的に、中国各地で新規感染者が出ているというところまで。北京では、一人のオミクロン株の市中感染が確認されて以来、超厳重な防疫措置は、人間だけでなく、荷物にも及んでいる。

 中国のネット記事には「奥密克戒突然北京冒出 背後元凶終于査明?」(オミクロン株が北京にも突如現れた。オミクロン感染の元凶[原因]がついに明らかにされたか?)の見出し記事。「病例于1月11日 収到郵件」(オミクロン株の原因は郵便物だった)の見出し記事。中国政府は「カナダから送られてきた郵便物にオミクロン株のウイルスがついていたための感染だった」と発表した。(※中国政府とカナダ政府はここ数年対立関係にある。)  そして、中国全土から北京に送られる国内郵便物も現在、文書・手紙・書類にいたるまで、液体散布による徹底的な消毒が指示されている。まあ、徹底した「ゼロコロナ政策」だ。

 「感染症と戦う人民戦争、総力戦、阻止戦を展開し、武漢と湖北省を守る戦いを綿密に行った」。昨年11月に採択された中国共産党創立100年の歴史を総括する歴史決議は、武漢封鎖をこう讃えた。中国各地ではこの2年間、武漢封鎖の成功体験を受けて、コロナの感染拡大が少しでも確認されるとすぐに、同様の措置がとられるようになった。武漢封鎖後、欧米や世界各国のような爆発的な感染拡大が起きてきておらず、中国国民からも超厳格・厳重・強権的な防疫政策は支持もされており、ゼロコロナ政策は習近平政権の誇るべき看板政策となった。ゼロコロナ政策の見直しは、習政権の成果を否定することにもつながりかねないと警戒する。

 ゼロコロナ政策の暖和や政策の見直しを求める声には、政府はネットなどを通じて組織的に国民世論を形成し、そのような声には猛烈な批判の嵐を巻き起こさせることを行った。ただここにきて、中国国民の中に、ゼロコロナ政策への不満や疲れが醸成されつつあることも指摘されている。北京冬季五輪が終わるまでは、我慢はするが‥‥という感の思いも中国国民のなかに生まれているのかもしれない。

 12月中旬以降、西安や陝西省、河南省、広東省、天津などでおきたコロナクラスターにおいては、感染者がでた地区・都市の全住民が、隔離措置やPCR検査を受けることとなった。(※天津市ではこの3週間で1人につき4回に渡る全市民対象のPCR検査を実施) 黒竜江省ハルビン市では、今月22日、市中感染者が一人も確認されていないにも関わらず、当局が全市民に対してPCR検査を行うと表明するなど、行き過ぎも指摘されている。感染が拡大すれば、地元当局幹部が責任を問われて処分されるため、どうしても過剰な対応を行うことになると指摘もされている。

 昨日、中国のネット記事を閲覧していたら、「鄭州特大暴雨災害 逮捕8人 問責89人 市長候紅被党内厳重警告 政務降級」との見出し記事があった。この処分記事は一昨日24日に発表されたもので、昨年7月に起きた河南省での大水害において被害や死者に関する過小な報告を行った河南省の省都鄭州市の市長や書記(トップ)、幹部などの処分や逮捕についての記事だ。コロナ感染が拡大したら地方幹部たちはその責任をとせされて処分されるが、水害においても処分・逮捕されることを物語る記事だ。

 2年前に武漢で感染拡大が初めて始まったころ、そのことを隠蔽した武漢市や湖北省の幹部たちの行いによって、中国全土に拡散し、ついには世界的な大パンデミックに至っている。この隠蔽体質は、一党支配の中国においてはなかなかなくならない。地方幹部たちも、事実が明るみにでることによって自分たちが処分されることが恐怖なのだ。武漢でコロナ発生の警鐘を鳴らしながらも感染により死去した医師・李文亮の「一つの声しかない社会は健全な社会ではない」という言葉は重い。張芸謀は、この言葉のもつ中国社会に突き付けられた警鐘を、北京冬季五輪の開会式セレモニーで、中国人にとっての「民主・自由・人権」という普遍の価値というものを、どのように演出するのだろうか…。

 先日、京都市内の丸善書店の中国コーナーに立ち寄った。『命がけの証言』、『再教育収容所 地獄の2年間』『重要証人 ウイグル強制収容所を逃れて』などのウイグル族が今置かれていることを知らせる書籍も多く並べられていた。

 1月24日付朝日新聞の社説は「中国の人権 なぜ出国を認めないのか」と題された記事だった。それによると、「①人権派弁護士の唐氏の長女(25)は、日本に留学中の昨年4月病に倒れた。唐氏は急きょ訪日しようとしたが、北京の空港で当局により出国を阻止された。その後、何度も出国を訴えたがこの12月に行方不明となる。当局により拘束されているとみられる。長女は今も意識不明の重体で日本の病院にいる。②新聞の紙面に当局が介入したことに抗議したことで懲役6年の判決を受け投獄されていた経歴を持つ郭氏の妻(米国在住)が、癌であることがわかり、昨年にすぐに渡米しようとした郭氏。出国を求め続けたが、昨年12月に再び拘束された。妻は先日、病院で亡くなった。」

 「来月には北京で冬季五輪が開幕する。開催国の中国政府は、人権の尊重を高く掲げた五輪憲章に真正面から向き合うべきだ。いかにきらびやかな祭典の演出をしようとも、その足もとにある深刻な人権侵害の闇を消すことはできない。」とこの社説は結んでいた。

 

 1月23日付京都新聞には「武漢モデル 市民疲幣 中国、初の都市封鎖から2年—習指導部の成功体験 移動制限各地に拡大」の見出し記事。同日付読売新聞には「中国"ゼロコロナ"限界 武漢封鎖2年 隔離住民ら抗議 工場停止も/習政権"成功体験"に固執の見出し記事が掲載されていた。

 朝日新聞の(多事奏論)というシリーズ記事がある。1月22日付朝日新聞のこのシリーズには「"ゼロコロナ"の中国 多様なアヒル 自由に育つか」という題名の記事。編集委員の一人である吉岡桂子氏の文章だった。彼女の書く中国に関する記事はとても優れていていつも感心させられる。今回の文章の一文には、「‥‥‥武漢市で新型コロナの流行が発覚してから2年になる。中国政府は徹底した監視と情報管理のもと都市封鎖を繰り返し、感染を抑え込んできた。80万を超す死者を出した米国と比べて、成功と勝利をうたう。権力者だけでなく、人々の誇りにもなっているようだ。14億人の人口のうち、理不尽でもごく一部さえ我慢すれば全体はうまくいく。その一部になった人は運が悪い。あきらめるしかない。そんな中国社会の均衡点が"ゼロコロナ"政策とも言える。‥‥‥‥。」とあった。

 

 

 

 

 

 

 


積雪の中、久しぶり帰省➋春しのび寄る—長浜盆梅展と菜の花畑、そして比良山系の雪景色

2022-01-22 19:05:35 | 滞在記

 1月17日(月)、再び積雪の深い福井県・滋賀県の県境を越えて滋賀県に入った。この日は福井県の敦賀から国道8号線の深坂峠を越えて滋賀県木之本町に。このあたりも積雪は多いが、道路は除雪されていて通行に支障はなかった。琵琶湖東岸沿いの「さざなみ街道(ロード)」をひた走り長浜城付近に着く。近くで「長浜盆梅展」が開催されているので見に行くことにした。20日の大寒のこの時期、何か、春がしのび寄っているのを感じてみたくもなってくる‥。

 今年で71回目となる長浜盆梅展は、1月9日(日)~3月10日(木)までの2カ月間開催される。この長浜盆梅展は、長浜市浅井町に住む盆梅愛好家の高山七蔵氏が、自分の所蔵する約40鉢の盆梅を、もっとたくさんの人々に鑑賞してほしいという思いから長浜市に寄贈したことがきっかけとなり、1952年から開催されるようになった。私が生まれた年の始まりだ。そして現在では日本一の盆梅展として有名になっている。2月になれば、日本全国各地で梅がほころび開花し、多くの人が梅を愛でるが、1月9日から梅の開花をみられるところは、ちょっと珍しい。一足早く、春の訪れを感じられるのが、ここ長浜盆梅展。

 JR長浜駅には「旧長浜駅舎」が現存する。1882年(明治15年)につくられた駅舎で、現存する駅舎としては日本で一番古い駅舎。駅舎内には鉄道文化館があり、D51型蒸気機関車も展示されている。この旧長浜駅舎の前にある「慶雲館」で毎年長浜盆梅展は開催されている。慶雲館がつくられたのは1887年(明治20年)。作庭は七代目小川治兵衛。

 大広間には、開花している紅梅・白梅・桃梅などがずらりと並び、梅の香りが漂っている。庭には積雪がかなり残る。まだこの時期の入場者はとても少なく、会場に入った午後2時ころの客は10人ほどだった。2カ月間の間に5万人余りの入場者となるようだが、見ごろとなる2月は多くの人がここを訪れるのだろう。

 まだ蕾が少し開花した程度の盆梅の古木が展示されていた。一つは樹齢250年の「昇龍梅」と名付けられている古木。龍が昇るさまのようだ。幹の根本は細く朽ちて空洞がほとんどだが、それでも生きて花を咲かせている。もう一つは樹齢250年の「瑞光梅」と名付けられている盆梅。これも根本は大きく空洞化しているが、しっかり枝をつけ開花させていた。おそらく二つの盆梅とも、2月上旬頃には開花がすすみ、見ごろを迎えるかと思う。

 会場案内ボランティアのおじいさんの話によると、「2月には樹齢400年の盆梅が展示されるとのこと。また、長浜市が管理している盆梅は、現在では約3000鉢にのぼり、市内4箇所の地でこれらを世話し管理している。長浜市役所には、この盆梅管理専門の部署もあり、この盆梅展には、その年に展示される約300鉢が選ばれ、1週間ごとに開花状況の具合により展示入れ替えが行われ、約90鉢が会場内に常時展示されている」とのことだった。樹齢250年の「昇龍梅、瑞光梅」などは毎年展示されていると話していた。

 今年の盆梅展は、「早川鉄兵—WORLD OF  KIRIE」と題された、切り絵と盆梅の展示コーナーが設けられていた。黒い切り絵には、イノシシ・キツネ・鳥・ウサギ・クマ・クジャクなどがあり、森の中の梅と動物がイメージされていた。

 長浜といえば、盆梅展が終ったあとの4月中旬の4日間、「長浜曳山まつり」が開催される。一度見てみたい‥。近江湖北の長浜の町は、盆梅展➡桜➡曳山まつりと、厳冬から春さき、春へと季節が移り変わっていく。

 でも、今年の正月から始まった第六次新型コロナ感染爆発(オミクロン変異種)により、70年間一度も絶える事なく毎年開催された長浜盆梅展の開催期間や長浜曳山まつりの開催も微妙になってくる可能性もある。今日22日は、1日の新規感染者が5万人をはるかに超えて6万人台に迫りそうだ。滋賀県では昨日は445人と発表されていた。長浜盆梅展の見ごろとなる2月には、コロナ超爆発感染拡大となる可能性が大きいと予測もされている。

 長浜から湖岸道路を米原市、彦根市、東近江市、近江八幡市を通過、「さざなみ街道(滋賀県湖北の木ノ町から湖南の大津市まで続く)」を車で走り、守山市にはいると、湖岸に広い菜の花畑が見えてきた。ここは毎年この時期になると菜の花が満開となる。

 琵琶湖西岸の比良山系(1000m級の山々がいつくつか連なる)が冠雪し、雪化粧の山々が望める。比良山系の雪化粧と満開の菜の花畑の光景がこの時期にみられて、まさに「春が近い」と思わせる光景が広がる。滋賀県地方が雪となった日の翌日が晴れとなった日などは、絶景の光景が見られるだろう。

 琵琶湖湖の岸辺におりての、比良山系の雪景色を眺めるのもまた、絶景だ。水鳥も泳いでいた。ここ「第1なぎさ公園」の菜の花畑づくりは、1995年から始まっているようだ。開墾から種まき、肥料やりなど、畑の世話をしているのは滋賀県守山市の人材シルバーセンターの20人ほどの班のメンバーたち。夏はここはヒマワリ畑となる。今見られる菜の花の品種は「カンザキハナナ」。約1万2000本が植えられている。

 琵琶湖さざなみ街道を大津市に至り、瀬田の唐橋から宇治川の渓谷に沿って京都府宇治市に至る。夕暮れ時に京都盆地に入り、自宅に戻った。

※東近江市の「世界凧博物館・東近江大凧会館」では、特別展「寅の凧と郷土玩具展(1/3~1/23)」が開催されているようだった。1月27日から2月6日までは、節分にちなんで特別展「鬼の凧展」(鬼を退治する絵が描かれた凧の展示)が開催される予定となっていた。

 

 

 


積雪の中、久しぶりの帰省❶—映画「愛染かつら」の愛染明王、水仙の「越前岬」と水上勉

2022-01-22 05:49:44 | 滞在記

 久しぶりの故郷の家への帰省だった。コロナ禍下のこの2年間、毎月、一人暮らしの母のことが気にかかり福井県南越前町の実家に帰省していたが、この12月や正月には積雪のためになかなか帰省ができなかった。12月中旬頃から、北陸地方や滋賀県北部は断続的に雪が降り続き、ノーマルタイヤでは滋賀県・福井県の県境峠の豪雪地帯を越えることが難しかったからだ。

 1月15日(土)・16日(日)・17日(月)の3日間は、この県境あたりは雪が降らないという天気予報だったので、不安をかかえながらも、16日(日)に帰省することにした。京都市から滋賀県の湖西道路を車で走り、琵琶湖大橋近くの道の駅で休憩、比良山系は真っ白な雪に覆われているが、平地は雪がなかった。さらに湖北地方の高島市に入ると、平地にも雪が積もっていて真っ白な雪景色の光景が広がっていた。

 滋賀・福井の県境にある高島市マキノ町に入ると積雪はさらに深くなっていたが、幹線道路は除雪がされているのでノーマルタイヤでの車の通行に支障はなかった。メタセコイヤ並木周辺の雪景色が美しい。

 メタセコイヤ並木のあるマキノピックランドの広い駐車場は、満杯となっていて駐車がなかなか難しいほど、たくさんの人が来ていた。子供連れの家族も多く、傾斜のある広場が即席ゲレンデとなって、ソリ遊びをしている家族連れの姿が多くみられた。

 このメタセコイヤ並木から車で20分ほどのところの県境境(けんきょうさかい)の山間地にある在原(ありはら)集落では、1mほどの積雪となっているようだった。この在原集落経由ではなく、幹線道路の山中峠越え(国道161号線)で福井県敦賀市に向かった。峠付近は積雪がかなりのものだが、道路は完全除雪がされていて、ノーマルタイヤでも不安はなかった。心配は杞憂(きゆう)に終わった。

 午後4時頃に故郷の南越前町河野地区に到着した。冬の曇天、若狭湾に分厚い雲間から夕日が放射していた。向こうに京都府の丹後半島が浮かんでいた。

 だんだんと日が暮れ行く。北の方角はロシア極東のウラジオストク方面。最近読み返している『アムールヒョウが絶滅する日』や『虎山へ』。アムールトラやヒョウが生息している山脈があるんだなあと思いながら北方の地平線を眺めた。

 翌日17日(月)、朝食後に越前岬近くの集落に水仙を買いに行ってみた。越前岬の呼鳥門(こちょうもん)は、かっては海岸道路が門の中を走っていた。この呼鳥門の近くに、「水仙廼社(すいせんだいしゃ)/すいせんのやしろ」という社(やしろ)がある。

 ここ越前海岸は日本で最も広い水仙の群生地。越前海岸の断崖のわずかな傾斜地に、雪の降る12月から2月にかけて群生し、水仙の高貴な香りを放つ。この社の祠(ほこら)のそばには、「越前水仙を語る伝説―美しい娘の化身」の伝説について説明している看板が置かれている。平安末期、源平の合戦時代、木曽義仲軍に合流した二人の兄弟たちと村の娘の悲恋の物語だ。また、この祠の背後の洞窟に祀(まつ)られている愛染明王(あいぜんみょうおう)についての説明看板も置かれている。昔からこの越前岬周辺では「愛染さま」と呼ばれ、愛染明王信仰が深かったのだという。

 愛染明王とは、どんな仏(ほとけ)なのか?よく山間地の水辺でみられる不動明王とともに、真言密教の明王仏とされている。この愛染明王は、「愛欲の仏」とも言われる。その仏像の特徴は、「①忿怒(ふんぬ)の形相、②赤い体、③逆立つ髪の毛に獅子冠、④3つの目、⑤6本の腕、⑥弓矢を持つ、⑦蓮華座に座る」。かって、上杉景勝の右腕として、徳川家康と対抗し石田三成とともに関ヶ原の戦に至った戦国武将「直江兼続」の兜の上には、大きな「愛」の文字があった。兼続はこの愛染明王を信仰していたことによるとも伝わる。ちなみに上杉謙信は「毘沙門天」への信仰が篤かった。

 「愛染」という言葉を聞くと、昭和世代の私などは映画やドラマの「愛染かつら」をすぐに思い出す。この「愛染かつら」という映画は、第一作目が1938年に公開された映画だ。日中戦争さなかの暗い世相を吹きとばした映画とも云われている。主演は田中絹代と上原謙。物語は、「夫に死に別れ、幼子を抱えて懸命に生きる看護婦と病院長の息子である医師との、身分違いの恋愛劇。二人の間に立ちはだかる、いくつもの恋の行く手を阻むことが起きる。花も嵐も踏み越えて……、と二人の愛の行方にハラハラドキドキの映画。

 この映画は、1950年代、60年代にも当時の有名男優・女優によって何度も映画化された。また、何度もテレビドラマ化もされた。最後にドラマ化されたのは1976年、主演は片岡孝夫・島田陽子だった。「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」が昭和の名曲の一つとして大ヒットした。歌詞は「花も嵐も 踏み越えて 行くが 男の 生きる道…」。歌手は霧島昇だった。映画やドラマは見ていなくても、この歌は知っているという昭和世代は多いかと思う。

 ちなみにこの映画・ドラマの題名「愛染かつら」とは、二人の男女が、愛染明王の祠の横に大きな桂(かつら)の木があり、ここで愛の成就を誓い合う場面に由来する。(原作は川口松太郎の小説。長野県別所温泉に行った際、この愛染明王の祠のそばに立つ樹齢300年~600年以上の桂の木を見て、この物語ができたと云われている。)

 越前岬灯台は、丹後半島の経ヶ岬灯台、敦賀半島の立石岬灯台とともにこの若狭湾の船の航行を支え続けた。岬周辺の断崖や越前海岸一帯の切り立った断崖に沿って水仙の花が一面に咲く。そこへ、冬の北陸特有のシベリアからの強い海風が吹く。その風は、霙(みぞれ)や雪をともなって容赦なく水仙に吹き付ける。大きく揺れながらも、風をものともせず凛(りん)と咲く可憐で高貴な香りの花に、人々は時に心を揺さぶられ、自身の心情を重ね合わせる人も少なくないはずだ。これまで幾多の文学者がその心情を作品の中に書きとめている。

 作家・水上勉の文学碑が越前岬灯台の近くにある。文学碑には、「旅は 孤独を味わわせる と同時に、かみしめる孤独から勇気を培うものだと 私はかねがね思っているが、越前岬ほど私に人生を考えさせた場所はないようである。黒い断崖に風が吹きすさび、その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう。黄色い水仙であった。冬の凍てつく土に花が咲くのだ。」と、一文が刻まれている。この一文は、水上勉の「日本の風景を歩く」シリーズの中の一冊『越の道―越前・越中・越後』に書かれている。十数年前に図書館でこの本を借りて読んだことがあった。水上勉の紀行文は、司馬遼太郎の紀行文と双璧をなす。司馬の紀行文は歴史的文学性に優れ、水上の紀行文は叙情的文学性に優れていて、それぞれにとても優れた紀行文学だ。

 この日、私は越前水仙売りのおばさんたちから、水仙を4束買った。一束が200円だったが、サービスにあと2束つけてくれた。(※日本三大水仙郷とは、他に「淡路島の黒岩水仙郷・静岡県の伊豆半島水仙郷」がある。どちらも暖かい気候の地域。)

 冬の越前海岸と言えば、「水仙とカニ」。私が子どもの頃は、「ばあちゃん、また、今日もカニか…」と冬は毎日のように食べていた。主に、メスガニの「こっぺ」と呼ばれた小さいカニを食べていた。11月6日からカニ漁が解禁となり、3月20日頃までカニ漁が続く。(メスは12月31日まで。資源保護のため。)

 福井県越前町の港にはたくさんのカニ漁船が停泊していた。日本海の若狭湾沖にあるカニ漁場には、ここ越前町や京都府丹後半島の漁港、鳥取県香住漁港などから出漁している。漁場に最も近い港がここ越前町の港。

 南越前町の道の駅やコンビニに「冬のこどもたち—岩崎ちひろ展」(12/3~3/7)のポスターが置かれていた。岩崎ちひろ(絵本作家)は、越前市(武生市)に生まれ育った。その生家は今も残り、「ちひろの生まれた家記念館」となっている。この越前市(武生)で育った絵本作家として、かこさとしがいる。『からすのパンやさん』『だるまちゃん』シリーズなどの絵本作家だ。短歌歌人で『サラダ記念日』を出版した俵万智も武生育ち。『源氏物語』の作者・紫式部は、父の赴任にともない、越前国府のあったここ武生(府中)で乙女時代を過ごしている。

 1月19日付の京都新聞に「雪中四友 冬空に映え—ウメ・ロウバイ・スイセン・サザンカ」の見出し記事が掲載されていた。「雪中四友(せきちゅうしゆう)」とは、中国でうまれた言葉で、中国の文人画などで好まれてきた画題。
冬の四つの花(雪中四友)水仙・蠟梅・梅・山茶花(さざんか)は、中でも、越前海岸の越前水仙は特に「雪中花」としての印象は強い。小林幸子の歌に「雪椿」がある。北陸各地にも咲く赤い藪椿(やぶつばき)に白い雪が積もるさまも、「凛(りん)」とした女性を感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちょっと怖ろしいことになって来た、日本の第六波—中国、北京五輪、一般観客なしの決定…

2022-01-20 06:16:03 | 滞在記

 中国の春節まであと10日、北京冬季オリンピックの開会まで、あと2週間あまりとなった中国。そして、世界のパンデミックの始まりとなった、あの2020年1月23日の武漢都市封鎖からほぼ2年を経過することとなった。

 コロナ感染拡大前の例年なら、春節(旧正月)への帰省の民族大移動が本格化するこの時期だが、昨年に続いて今年も新型コロナウイルスの感染再拡大が、昨年末から現在にかけて中国各地で起きていたり、北京五輪開催のための感染拡大への超厳重な対策のため、今年の春節の雲行きも大きな影を落とし続けている。昨年の春節時期における事実上の帰省不可能措置とは違って、今年の春節にともなう移動は可能だが、列車や飛行機に乗る際には直前のPCR検査が行われ、陰性でなければ乗車・搭乗はできないと報道されていた。車での移動でも、各所に検問があり、スマホ携帯に登録された48時間以内の陰性証明の提示が求められているだろう。

 中国のネット報道などを見ていると、「春節将至 国内多地疫情散発 能否回家過年?」(まさに春節がせまってきた。国内で新型コロナが散発している。春節の時期、故郷の家で過ごし、年越しをすることができるだろうか?)などの記事が多くみられている。陝西省の西安、河南省、そして北京に近い天津などで、「ゼロ・コロナ政策」をとる中国では、はかなりの感染拡大があったが、中国政府及び地方政府の超厳重・厳格な対策により、1月20日の今日時点までにかなり新規感染者を減少させてきた。ここ3~4日は150人程度の1日の新規感染者数だ。天津市などの感染は、オミクロン変異種感染の比率が高く、特に超厳戒態勢がとられている。

 例年、故郷の西安に、春節時期には帰省している大学の中国人同僚教員からの昨日のメールによれば、「私の故郷の家族が暮らしている区では、1月15日から、2日に1度、一世帯家族の中の一人に限り買い物に2時間ほど行くことが許可されました。12月23日から始まった西安の都市封鎖は、感染者も一桁になり、春節大晦日開始の今月30日までには解除されると思います。こんな状況なので、私たち家族は、今年も春節には故郷の西安に帰省することはできません」とのことだった。メールの最後には、「新型コロナは来年で(※注:中国人にとっては、春節からが来年)全世界で終息できるように、今年の春節は、最後の厳冬であるように、祈ります」と結ばれていた。

 中国のネット報道には、「新冠疫情昇温台湾民衆打第三針疫苗"疫苗之乱"恐再起」(台湾の新型コロナ感染拡大、台湾民衆は再びの感染拡大を恐れ、三回目ワクチンを強く望んでいる)とのニュースも流れていた。1月に入り、台湾でも感染再拡大が起きていて、昨日の1日の新規感染者が64人となっている。また、韓国では12月に感染拡大が起き、1日新規感染は8000人超となったが、現在は4000人ほどと減少傾向にある。

 1月18日付朝日新聞には、「北京五輪チケット 一般向け販売せず/コロナ考慮 方針転換」の見出し記事が掲載されていた。日本のネットニュースでも、「速報 北京五輪チケット 一般販売行わず」「大会組織委員会"新型コロナウイルスをめぐる状況が依然として厳しい"/特定企業の関係者などに限定/一般販売行わず」などの見出し記事。

 早くから、「東京五輪とは異なり、一般観客を入れての開催になる」と喧伝(けんでん)してきた中国政府だが、世界的なオミクロン株変異種の爆発的感染拡大や中国国内の感染状況を考慮して、ギリギリのタイミングで「一般販売を行わない」という選択を行うこととなった。大会組織委員会は、大会期間中(五輪・パラリンピック)は、会場では「封鎖式管理(バブル方式)」を行うと発表しているが、東京五輪の際のバブル方式をより超厳格に徹底して、「水も漏らさぬ封鎖式管理」を行うこととなる。

 そこでは、選手・大会関係者だけでなく、運営に従事するボランティアや医療スタッフ、果ては掃除スタッフまでも、バブルエリア内のホテルや選手村の宿舎に泊まることが義務付けられ、外部との接触は一切禁じられる。大会会場のあるところや選手村などを結ぶ道路には「大会専用レーン」が設けられ、もしそこで交通事故が起きても、一般人は救助に入ってはならないとされ、なにもかもが超厳重な「バブル方式」管理下におかれる。ボランティアの人々の多くは1月25日から業務に就き、そこから2カ月以上、会場にとどまることとなる。(※大会が終わっても「3週間」の隔離措置が取られる。それまではこのバブル内から出ることはできない。)

 北京冬季五輪のボランティアには100万人を超える応募者が集まり、そのうち採用されたのは五輪が約2万7000人、パラリンピックが約1万2000人と報じられている。中国の学校では、政府がボランティア活動を強く推奨しており、進学や就職の際にボランティア活動の経歴が重視もされているため、ボランティア活動への参加がとても盛んだ。北京五輪にボランティアで参加する大学生も多いだろう。2月20日頃から中国の多くの大学では2学期(後期)授業が始まるが、彼らは大学公認の欠席扱いとなる。

 2月4日の開会式が行われる北京の「国家スタジアム(鳥の巣)」は、9万人の観客を収容できる。一般観客は入れないが、「企業関係者チケット枠」や「ボランティア」「運営スタッフ」などなど、バブル内にいるかなりの人数(何万人か)を収容しての開会式を行い、開催国家としての「威信と面子(めんつ)」を強烈にアピールすると思われる。

 北京市は中国の首都であり政治都市。各国の大使館もあれば、国際機関の出先事務所も多い。また、世界各国からの留学生や外国人ビジネスマンも多い。これらの外国人招待枠をおそらく設けていて、国際色豊かな大会の演出も準備されていることだろう。だが、一旦、大会会場などのバブル内に入ったら、3週間の隔離措置を覚悟しなければならなくなる。それに対する、さまざまな見返りや優遇措置も講じられることかと思う。

 世界でも例を見ない超超厳重・厳格な「ゼロ・コロナ政策」をとり続けている中国という国家だが、これによる世界への影響も強く出始めていると、昨日の日本の朝の報道番組(午前8時~/フジテレビ系列「めざまし8」)で、特集が組まれていた。「世界の10大リスク」のトップがこの「中国 ゼロ・コロナ政策」と、特集では報道されてもいた。また、「世界が困惑、中国ゼロ・コロナ政策」、「1/12付ニューヨークタイムズ"人々の生活や幸福や尊厳よりもウイルス対策がはるかに優先されている"」と報じられていたこともこの番組では報道されていた。

 アメリカでは世界で最も多くのコロナ感染者が出ていて、昨日の報道では、「これまでの2年間に、すでに米国人の20%、5人に1人がコロナに感染している」とのネット報道の見出し記事。最近のオミクロン株感染爆発では、1日の新規感染者数が70万人~100万人となっているアメリカ。中国とアメリカ、どちらのコロナ感染対策が良いのか、判別は一言ではすまないが、どちらも‥?という感はある。「北京冬季オリンピックとは、何のためのオリンピックなのか…」と改めて感じてしまう…。

 日本での新型コロナオミクロン変異種の感染拡大が、爆発的に起きてきている。昨日にはついに4万2000人の一日の新規感染者数を記録、今後の増加もどこまでいくのか空恐ろしくもなってきている。感染力が従来株の数倍も強いとされたデルタ株より、さらに3~4倍の感染力をもつとされるオミクロン株。日本国内の現在の感染も80%以上はこのオミクロン株と、昨日、政府の公式発表がされた。また、オミクロン株感染者の75%以上が2回の接種を完了している人であることも国立感染症研究所から発表された。私も、電車やバスに乗車する際には、二重マスクをするようになった。

 第五次感染拡大までは、京都で100人を超えたら怖ろしくもなったが、昨日は1200人。故郷の福井県では、20人を超えたら怖ろしくものなったが、昨日は100人近くとなった。12月上旬から始まった私の胃潰瘍は、12月17日に胃潰瘍胃カメラ検査を行い、治療が始まった。そして、明日1月21日に胃カメラ再検査が行われ、胃潰瘍治療の効果で胃潰瘍がなくなったかどうか検査される。胃潰瘍完治と判断されれば、「さあ、いよいよ居酒屋に呑みに行けるぞ!」と楽しみにしていたが、コロナ感染爆発で、なかなかそれも難しくもなってきた。

 1月18日、世界保健機構(WHO)デドロス事務局長は、「このパンデミックは終わりとは程遠い状況だ」と記者会見で述べた。確かに、「いつまで続くのだろう」と空恐ろしくもある。そして、日本の感染爆発状況をみると、「今度こそ、自分も感染するのではないか…」との不安に包まれる。

 どこまで、このオミクロン株に効果があるかはわからないが、とりあえず、できるだけ早く3回目ワクチン接種を受けたいとは思うが、65歳以上の高齢者3回目接種も、私が住む自治体では早くて2月下旬以降となりそうだ。

 1月18日付朝日新聞に、「コロナワクチン最終治験 塩野義製薬 3月までの承認申請目標」の見出し記事。ようやく、日本でもコロナワクチンが開発されることとなりそうだが‥。

 大学の中国人同僚からの昨日のメールにあった「新型コロナは今年で、全世界で収束できるように、今年の春節が最後の厳冬であるように、祈ります」との言葉を改めて思う。日本は日本で、中国は中国で、それぞれのコロナ対策の違いはあるが、それぞれに大変な苦労を伴っていることを…。

 今日、1月20日は暦の上では一年で最も寒い「大寒」となる。新型コロナ世界パンデミックからちょうど3年となる来年の「大寒」までに、コロナが収束する見通しがたつことを世界のだれもが祈ってはいるだろうが‥。

 

 

 

 

 

 

 

 


寅年に、虎を見に行く❺—干支を愛でる・新春特集展示「寅づくし」 於:京都国立博物館

2022-01-13 12:01:39 | 滞在記

 "京博物のお正月"新春特別展示—「寅づくし」干支(えと)を愛でる―2022年1月2日-2月13日。三連休となった二日目の1月9日(日)の午後に、この新春特別展を見るために京都国立博物館に行ってきた。2002年、雪舟没後500周年とにあたり、この京都国立博物館で「雪舟展」が開催された。これを見に行ったきりなので、ここに入るのは20年ぶりとなる。

 「雪舟展」の時は、なんと3時間待ちの長蛇の列だったことを思い出す。雪舟(1420年—1502年)は、遣明船に同乗し、1467年の応仁の乱(1467-1478)が始まった年に中国に渡航し、2年間、中国各地を廻り水墨画を学んでもいる。そして、京都が戦乱の巷になっていた1469年に日本に帰国。西国の周防(山口県)の大内氏のもとで創作活動に本格的に入った。「雪舟展」では特に、「秋冬山水図」(日本の中学の歴史教科書に掲載されている/東京国立博物館所蔵)や、四季山水図、天橋立図(京都国立博物館所蔵)などの名品が心に残った。(※とりわけ、「四季山水図(毛利博物館所蔵)」が好きだ)   すばらしい水墨画だと思う。私も9年間あまりの中国滞在で、中国の絵画や水墨画を見る機会もよくあるが、雪舟ほどの水墨画作品には出会ったことがまだない。

 さて、20年ぶりの京都国立博物館。京阪電鉄「七条駅」で下車し、鴨川に架かる七条大橋に出る。七条通りを東山に向かって進む。この道を歩くのも久しぶりだ。この七条通りに「七条甘春堂(本店)」という京菓子の老舗の喫茶室に入って珈琲(コーヒー)を注文したら、なんと、まずお茶が出された。タバコを吸いながらお茶を飲んでいると、コーヒーが出された。小さな落雁(らくがん)のような京菓子が二つついていた。これで500円という珈琲代金。「おもてなし」という言葉が思い出される喫茶店だった。

 「七条甘春堂」で一服したあと、すぐ近くの京都国立博物館に向かう。七条通りを挟んで向こうは三十三間堂。東山連峰の山麓には、名画の名品を多く所蔵している「智積院」や京都女子大学がある。京都女子大学の学生たちが登下校に行きかう道なので、大学構内へと至る坂道は別名「女坂」とも呼ばれる界隈だ。

 京都国立博物館は正門や建物が素晴らしい。赤レンガ造りの正門を入るとフランスの彫刻家ロダン(1840-1917)作の「考える人」が見える。特に背後から見る背中の筋肉の付き方がすばらしいブロンズ像だ。(このブロンズ像はレプリカではなく本物だ)

 博物館の本館の建物がまた素晴らしい(ネオ・ルネサンス様式)が、特に注目したいのが、建物中央の△屋根の壁面にあるレリーフ。「技芸天女」と「毘首羯摩(びしゅけつま)」のレリーフが絵描かれている。共にインド神話における工芸と彫刻の祖神だとされている。東洋的な趣がある意匠だ。この本館は1895年(明治28年)に完成した。

 今、京都国立博物館の展示は、全て新館(平成知新館)で行われている。1階ロビーに写真撮影可能の絵画が2点展示されていた。そのうちの1点は「韃靼狩猟・打毬図屏風」。蒙古(モンゴル)東部や中国東北部での騎馬民族の狩りの様子が描かれている。(※韃靼人[タタール人]とは、主に蒙古系騎馬・遊牧民族のこと)  騎馬による集団狩りのようすが描かれ、虎・イノシシ・鹿などの獲物を追い込んでいる。作者は、安土桃山時代の狩野永徳の弟・狩野宗秀筆とされている。馬上の敷物には、虎の毛皮が多く描かれていた。

 各室の展示は、写真撮影は禁止なので、このブログにも、「寅づくし」で展示されていた作品の写真はないが、尾形光琳の"竹虎図"など、36点が展示されていた。

 この新春特別展の開催にあわせて、1月9日(日)には「雅楽(ががく)演奏会」、1月10日(月)には「芸舞妓—春の舞」の新春イベントも行われていた。博物館の売店コーナーには、尾形光琳の"竹虎図"の虎をモチーフにした、「トラりん」(性格:やんちゃ、好奇心旺盛)が置かれていた。

 京都国立博物館に隣接している「豊国神社」。その超巨大な石垣が長く続く。かってはこのあたり一帯に「方広寺(ほうこうじ)」という巨大寺院があり、この巨大石垣群は「大仏殿」の建物があったところだ。

この方広寺は1591年に豊臣秀吉によって建立された。当時の境内は、今の豊国神社、京都国立博物館、三十三間堂、智積院などの広域に及ぶ大寺院。大仏殿に安置された大仏は、奈良東大寺の大仏よりも大きかった。(かっての日本三大仏とは―①方広寺の「京大仏」・高さ19m[今はもうない]、②奈良東大寺の大仏・高さ18m、③鎌倉大仏・高さ13m) 

 かって方広寺があったところの一角に、明治時代になって豊国神社が建立された。神社の唐門(国宝)は伏見桃山城の遺構。「国宝三唐門」(他に、西本願寺唐門と大徳寺唐門)の一つだ。いずれも京都にある。

 この豊国神社唐門の前には、今年の干支の虎(白虎)と、虎の巨大絵馬が置かれていた。

 方広寺といえば、豊臣家滅亡を図るために徳川家康が起こした「国家安康の銘鐘」事件。1614年に豊臣秀頼により造られた方広寺の巨大な鐘の銘文の一節に、「国家安康 君臣豊楽」の八文字があった。この意味は、「君も民(臣)も豊かに楽しめ、国家が安泰になることを念願す」というものだが、これは、「家康」の名を分断し、徳川家の滅亡と豊臣家の繁栄を祈るという、呪詛(じゅそ)、呪の文言だとして、大阪城の豊臣家を攻撃するための口実とした事件だ。そして、1614年冬から1615年夏にかけて、大阪城を包囲攻撃し、豊臣家は滅亡に追い込まれた。

 徳川時代になり、この方広寺の鐘は、270年間あまり、徳川幕府により「呪の鐘」として野ざらし雨ざらしにされ、かっての方広寺の境内の一角に放置され続けていた。(※上記写真右端)   1884年(明治17年)に、寄進により鐘楼の建物が造られ、この鐘は吊るされ、現在に至っている。まあ、巨大な釣鐘(梵鐘)だ。日本で最も巨大に感じる梵鐘(ぼんしょう)ではないだろうか。現地で見るとその圧倒的な大きさに驚かされる。(※日本三大梵鐘とは―①方広寺[高さ4.1m、口径2.2m]、②東大寺[高さ3.8m、口径2.7m]、③知恩院[高さ3.3m、口径2.8m])

 この豊国神社から東山連峰の阿弥陀ケ峰を臨む。その山頂には豊臣秀吉の「廟墓」がある。ここも江戸時代には荒地の原野として荒れるに任せていた場所だったが、明治期になってから、再び整備された。

 また、豊国神社のすぐそばには、「耳塚(耳鼻塚)」がある。ここは、1592年~98年にかけて豊臣秀吉が行った「朝鮮侵略」(朝鮮の役)の際、首級のかわりに朝鮮人軍民男女の耳や鼻をそいで塩漬けにし、軍功の証として日本に持ち帰った耳や鼻が埋められている塚だ。秀吉がここに埋葬することを命じている。戦乱下における朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として今は伝える。

 京都国立博物感の売店で販売されていた、小さな「トラりん」のぬいぐるみを買った。この「トラりん」の性格は「やんちゃ、好奇心旺盛」と書かれていた。1歳と1か月の孫の「寛太(かんた)」とちょっと似てもいる。

 先日9日(日)、NKKの「ダーウィンが来た」では、虎が特集されていた。「なぜ、日本では虎が愛されるのか」というテーマだったが、日本は昔から虎が生息していなかったので、自由に虎を連想させ、さまざまなキャラクター化がされ続けてきた歴史が「愛すべき虎」というイメージが日本に生まれたと番組では語られていた。

 自宅からほど近いところにある石清水八幡宮山麓の「松花堂美術館」では、「いいことありそう、寅の年」展(1月8日-2月6日)が開催されているので、見に行こうと思っている。「龍虎図」の絵画が展示されているようだ。

 「いいことありそう、寅の年」、ほんとうにいいことがあってほしいと願いたい。1月1日には530人余りの新規感染者数が12日後の昨日、日本での1日新規新型コロナ感染者は1万3000人超になった。12日間余りで25倍余りの感染拡大だ。京都府でも500人超。この感染拡大スビートは、「感染爆発」といえる状況かと思う。えらい年明けとなってしまった感もある。

 3日ほど前に、担当した前期講義3教科の成績作成がようやく終わり、大学に送信した。今は、期末試験のB問題を作成している。1月15日から大学は1か月余りの冬季休業に入るので、私も冬休みに入る。今朝、木津川の堤防から京都市内を見ると、周囲の西山連山・北山連山の丹波山地や東山連峰の山々は白い雪に覆われていた。