彦四郎の中国生活

中国滞在記

酷夏からの季節の変わり目か—ようやく大陸性高気圧が―和辻哲郎『風土』、日本の風土と民族性

2022-08-28 06:31:07 | 滞在記

 あまりにも短い2週間だけの梅雨。6月下旬の梅雨明けとともに、酷暑が始まった今年の夏。強烈な湿気をともなうアジアモンスーンの日本の夏。コロナ禍第七波により、8月上旬には25万人もの1日新規感染者数。頻繁に、断続的に起きた線状降水帯による猛烈な集中豪雨。特に今年は、8月上旬に私の故郷・福井県南越前町が大水害となり、甚大な被害が起きただけに、今年の夏、異常気象というものの怖さを実感もした。

「天地異変」という言葉を身近に感じたこの2カ月間の「酷夏」。世界に大きな影響を与えているロシア軍によるウクライナ侵略戦争は、8月24日に半年目となって継続している。天地異変と戦争、疫病。世界は混迷の世紀となった感もある。

 こんな今年の「酷(こく)な夏」も、ようやく、やっと季節の変わり目を迎えつつあるようだ。8月22日、この日は私の70歳の誕生日の日だったのだが、なんと空に秋の雲である「鰯雲(いわしぐも)/うろこ雲」が朝に2時間ほどだけだったが見えたのだ。嬉しくなった。そして、交通の要衝地でもある南越前町の交通網は、この8月26日、27日に、諸幹線道路の通行止めや規制がようやくほぼ解除となった。

 お盆明けの8月18日、妻の故郷である京都府京北町(京都市右京区京北町)の山国地区に行き、妻や妻の母とともにお墓参りに行ってきた。栗の実が大きくなっていた。稲が穂をつけ、実り始めていた。秋の足音を感じる光景。

 なつかしい。美しい女郎蜘蛛(じょろうくも)が田んぼに巣を張っていた。上桂川が流れている山国地区だが、かっては天皇家の御料地(領地)となっていたところ。山国神社や山国護国神社があり、10月の第二日曜日には「山国神社」の祭礼がある。あの京都時代祭りの行列の先頭を行く「山国隊鼓笛」が今も伝統的に伝わり、神輿(みこし)とともに地区を廻る。今年はこの祭礼は3年ぶりに開催されるのだろうか。

 8月24日(水)の午後、京都銀閣寺界隈に住む孫娘2人が私の自宅に泊まりに来て、翌日25日(木)の午後に帰って行った。5歳10か月と3歳8か月になる孫娘たちだ。孫たちだけで泊まるのは今回が初めてとなる。

 25日の早朝に、家の近くにある田んぼや畑のあたりを、孫たちと3人で散歩した。稲が小さく白い花をつけていた。羽根がところどころ損傷し破れているているトンボが体をやすめていた。酷夏を生ききって、子孫を残し、もうすぐ命を終えていくのだろう。

 田んぼのまわりの畑には、夏から秋にかけての実ができはじめている。イチジク、ザクロ、梨(なし)、ブドウ、花梨(かりん)。

 アケビの実も大きくなってきている。早咲きのオレンジ色のコスモスの花、向日葵(ヒマワリ)の花はそろそろ見納めの頃となってきた。

 今日8月28日、早朝4時頃にポストの朝刊新聞を取るために玄関に出る。あの猛烈な湿気をともなったサウナのような、この2カ月間の午前4時の空気ではなく、少し涼しくも感じる早朝の空気が嬉しい。季節の変わり目を感じる。ようやく、日本列島を覆っていた夏の湿気と高温をもたらす太平洋高気圧が、大陸性の高気圧とのせめぎ合いを始め、勢力を弱めてもきたようだ。

 和辻哲郎の著作に名著『風土―人間学的考察』(1935年出版)がある。和辻はこの著で、世界を三つの風土圏に大別した。「アジアモンスーン地域」、中東などの「砂漠地域」、ヨーロッパなどの「牧場(まきば)地域」である。世界は自然環境(風土)により、その民族性がつくられ、その文化も生まれると説明する。何度読んでも名著中の名著だと思えるこの著作。私の大学での講義「日本文化名編選読」でもこの著作は第1回目に取り上げている。文化論を論じる場合の基本の書籍だと私は思う。

 和辻はこの著作で日本の風土や民族性について、次のようなことを述べている。

 中国の沿岸部や日本を含むモンスーン地域。その特徴を最もよく示す東南アジアでは、夏の半年間、南西モンスーン(温かくまた暑く、湿気を伴う風)が、耐え難い熱帯の暑熱と湿気を同時にもたらす。このような風土気候のもとでは、自然の猛威(特に暑さと耐え難い湿気や洪水など)に耐えながらも、豊かな食物を恵む自然の恩恵に抱かれ感謝もする。このため、「受容的」「忍従的」な人間類型が形成される。宗教文化的には、「受容」と「忍耐」、「諦め」を旨とする仏教が生まれ広まり、日本では自然を恐れ敬う神道も生まれた。日本における仏教と神道の「神仏習合」でもある。

 日本の気候が、同じアジアモンスーン地域にありながら、夏には突発的な台風が、冬には大雪が訪れるという特殊性に和辻は注目もする。この台風と大雪の並行するような、熱帯性、寒帯性の二重性、台風にみられるような季節性・突発性の二重性は、モンスーン型人間に共通する受容性・忍従的な人間・民族構造に、さらに特殊な条件を付与し、「しめやかな激情」(しめやかでありつつも、突如、激情に転じることがあるような感情)、「戦闘的な恬淡(てんたん)」(諦めと再び立ち上がる戦闘性)というような国民的性格を産みだしたと和辻は言う。

 まあ、今年の夏は、異常気象とも言える「酷夏」であった。乾燥した空気をもたらす大陸性高気圧がここ2〜3日、日本列島に影響を持ち始め、あの耐え難い湿気地獄が終ろうとしてもいる。この夏、線状降水帯での洪水被害に襲われた地域の人々は、「戦闘的な恬淡」をもって生きていくこととなるだろう。

 

 

 

 

 

 


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