彦四郎の中国生活

中国滞在記

福井県南越前町大水害、24時間で567ミリもの降水量が—3年ぶり、お盆に息子や娘たちの家族が

2022-08-19 11:14:17 | 滞在記

 8月16日、早朝の5時半頃に南越前町河野地区にある実家を車で出て、8月4~5日の大水害で大きな被害のあった南越前町今庄地区に向かった。大水害から10日ほどを経過しているが、少しでも故郷の災害のようすを目にしておきたかったのだ。河野地区からホノケ山トンネル(2.7km)をぬけて今庄地区に至る。氾濫寸前にまで水位が上昇した一級河川の日野川流域の水田は被害を受けていなかった。穂がかなり黄金色に色づき始めている。だが、10日間を経過した8月16日でも、日野川は茶色く濁ったままだった。普段なら清流なのだが‥。日野川沿いの国道365号線(北陸道・北国街道が合流した道)を今庄地区の中心地に向かう。

 今庄地区の中心地である「今庄宿」は、今回の水害ではそれほど大きな被害はなかったようだ。この宿場は、北陸道や北国街道の宿場として栄え、地区は国の重要伝統的建物保存群に指定されている。(福井県内では他に、「小浜西組(小浜市)」「熊川宿(若狭町)」が同群に指定されている。)  今庄宿の背後にはホノケ山が見える。山の向こうは河野地区東部で流された親友の家があるところだ。

 この今庄宿の町並みを過ぎると、すぐに今回の大水害のようすが目にとびこんできた。日野川の支流の一つである鹿蒜(かひる)川が大氾濫をおこしていたのだ。この鹿蒜川はホノケ山の南斜面などを源流としている。鹿蒜川沿いの県道207号線は通行止めがなされていたが、途中の大桐集落までは車で行けるようだった。

 この鹿蒜川沿いには5〜6つくらいの集落があるが、大水害による爪痕(つめあと)はかなりのものだった。流域の水田は濁流に浸かったようで、稲が倒れたままだった。濁流は橋の高さをはるかに超えたようで、道路わきの木々の高いところまで流れてきた木の枝や草がかかったままだ。その高さは道路から2〜3mはある。一帯が水没したのだろう。流されてきた建物の小さな屋根が水田にあった。

 県道207号線の橋が陥没し河原に落ちていた。この奥にある大桐集落は、1週間ほど橋の崩落によって孤立していたが、迂回仮設道路がつくられ、8月12日頃には救援の車両が入れるようになった。

 大桐集落はここ今庄地区の中で最も水害の被害が大きかったようだ。だが、幸いなことに、完全に倒壊したり流されたりした住宅はほぼなかったようでもあった。ここからホノケ山の南側の山容が望める。(大桐集落では、10人が防災ヘリコプターで救助された。)

 この南越前町大水害での今庄地区全体の床上浸水は150世帯ほど、床下浸水を合わせると300世帯ほどとなったが、幸いなことに死傷者はいなかった。車での避難ではなく、垂直避難(より高い2階、3階への避難)をしたことが死傷者がなかった要因とも言われている。そして、これも幸いなことに倒壊し、濁流に流された家がほぼなかったことも‥。

 ただ、大水害が起きた3日後の8月8日の早朝に、一人の死者が発見された。同じく今庄地区の大門集落の大きく陥没した道路の穴に軽乗用車が落ちていて、車内から高齢の男性が死体で発見された。前日の7日にはこの陥没した場所には軽乗用車などはなかったので、7日の夜から8日の朝の間に起きた事故と推定されている。亡くなっていたのは福井県敦賀市の74歳の男性だった。なぜ町外の高齢の人が夜にこんなところ(幹線道路ではない)を車で通ったのか?、その後の報道はなされていなく、謎のままだ。事故ではなく事件の可能性もある。

 南越前町大水害の報道は、ほぼ全国的にも県内的にも今庄地区の状況だけが報道され続けていた。そして、ようやく河野地区の災害状況も盆前の8月12日頃からわずかだが県内の福井テレビなどで報道された。今庄地区だけでなく河野地方東部の赤萩集落なども大きな被害があったとの内容の報道だ。大きな被害があったにも関わらず、自衛隊も災害ボランティアもこの河野地区東部には災害から8日後の13日頃までほぼ入ってこなかった。(13日からボランティアが少し入り始めた。)

 いまだに、私の親友の松本君の家のようすは新聞にもネットニュースにもテレビでも報道は一切されていない。通じる道路の2箇所の崩壊、家の母屋の崩壊(母屋の1階は濁流に流されてしまい、2階部分は川底に残された状況だ)。被害が広がり、5日より報道され続けた今庄地区なども見て廻ったが、この親友の家が最も大きな災害を受けていたのだが‥。

 3年ぶりに私の福井県南越前町河野地区西部の家のお盆に、娘夫妻と孫たちや息子夫妻が集まってくれた。10人で賑やかに食卓を囲んだ。(2020、21年はコロナ禍の緊急事態宣言下のため彼らは来れなかった。息子夫妻は8月14日の夕方に、娘夫妻と孫たちは15日の昼に来た。)

 娘の夫が、彼の滋賀県の実家で育てた巨大なスイカを持ってきた。息子は15日の午前中に海に行き30個ほどのサザエを潜って獲ってきていた。

 15日・16日、私も糠漁港近くの海辺に娘夫妻や孫たち、息子夫妻らと泳ぎに行った。3人の小さな孫たちは浮き輪を使い楽しそうに泳いでいた。大水害の影響が10日後のこの日もまだ続いているようで、海に流れ込む河川の濁りの影響か、海中は透明度があまりなかった。

 15日の午後3時頃、息子夫妻は京都に戻るため家を出発。16日の昼過ぎの2時頃、私たち夫婦や娘たち夫婦も南越前町の家をあとにして京都に戻ることとなった。

 南越前町は、14日は雨、15・16日は曇り時々晴れという天候だったが、16日の午後から南越前町は雨が降り始めた。全国的に16日午後から18日にかけて、大規模な線状降水帯が発生し、各地で大雨が降るとの予報。特に、8月上旬の大水害で山の地盤が緩んでいる、南越前町の二次災害が懸念されてもいた。そして、17日の夜から18日の早朝にかけて猛烈な雨が南越前町に再び降った。このため山崩れが起きていて、18日早朝、JR北陸本線を走っていた貨物列車は、緊急停車をし、緊急を知らせる発煙筒や警報を鳴らすこととなった。11日に復旧していた南越前町のJR線路上でのできごとだった。

 この大雨の影響で、今庄地区大桐集落は再び、集落内に鹿蒜川の濁流が流れ込んだ。

■1965年(昭和40年)9月14日~15日、台風24号による福井県奥越地方を襲った記録的な集中豪雨。大野市に近い西谷村(11の集落)では、36時間(1.5日)に1044ミリの降水量を記録した。これは、日本での観測史上、1・2位となる降水記録となった。このため、全ての集落は壊滅的な被害を受けた。そして、西谷村の11の集落の人々すべてが離村することとなり、市町村行政単位として村は、全員離村という全国的には初めての出来事となり、村は消滅した。(そして西谷村は大野市に編入された。)

■日本での観測史上、1日(24時間)の降水記録としてのベスト3は、①922.5ミリ:神奈川県箱根町(2019年10月12日/台風6号による)、②851.5ミリ:高知県魚梁瀬(2011年7月19日/台風6号による、③844ミリ:奈良県日出岳(1982年8月1日/台風10号による)   ちなみに、今回の南越前町大水害時の2022年8月5日の1日降水量は、今庄で567ミリを記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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