彦四郎の中国生活

中国滞在記

端午節の龍船を見に光明港河川公園に行く❷—50歳過ぎてからの生きがい、孫を育て生きる人生―急激な意識変化も

2019-06-09 16:59:33 | 滞在記

 光明港河川公園を歩いていて、とても多いのが①「"祖父母と孫""祖父と孫""祖母と孫"」が一緒に散歩したりしている姿だ。10組中、②「"父母と子供""母と子供""父と子供"」という組み合わせの姿を2組(20%)とすると、①は7組(70%)になる。あとの1組(10%)は③「"祖父母と娘と孫"」という組み合わせ。つまり80%は孫と祖父母が中心だ。

 1歳くらいの男の子と一緒の祖父母、ベンチに腰掛けて1歳くらいの孫を抱く祖父、1歳くらいの女の子と祖母、手首に伸び縮みのするものを付け合って2歳半くらいの男の子が遠くに行かないようにしている祖母。剣舞の手ほどきわしている祖父と小学5年生くらいの孫。

 2歳くらいの女の子を抱いてほほえむ祖父。小さい子が欲しがる風船を売っている人。おばあさんと遊ぶ孫。祖父母と娘と孫、抱くのは祖父母で、乳をやるときには娘(母親)に渡す。三輪車の練習をさせているおじいちゃんとおばあちゃんと孫。

 ベンチにて二人の孫の面倒をみている祖父母。珍しく母親が小さな子供を一人で抱いている姿。公園の遊歩道で小さな娘二人と座り込んで"茶"をたてているお母さん。お湯を沸かすために 小さな蝋(ろう)固形燃料を使っていた。こんな祖父母と孫が過ごしている光景が、中国社会では あたりまえのように見られる。

 中国には1歳から4歳までが入園できる保育園という施設がほとんどない。5歳から入れる幼稚園はあるのだが。従って、夫婦は夫か妻の父母(孫にとっては祖父母)に子育てを大きく依存することとなる。子供にとっては、父母より祖父母と一緒に過ごす時間の方が圧倒的に多い。自然と子供は祖父母になつき慕う。中国に保育園がないのは、中国社会の子育て伝統である「祖父母が孫の面倒をみる」がとても根強いからだ。このような子育て状況があるため、中国人の恋愛にとって、「恋愛と結婚は別のもの」という考えが強い。広い中国全土から一つの大学に入学している大学生の恋人どうしは、卒業を機にほとんどが別離となる。

 中国社会の定年年齢は一般的には男が60歳で女性は50歳(学校の教員や公務員などの特別技能職は55才まで)となっている。定年後の生きがいは第二の子育て・孫を育てることだ。孫との密接な関係は0才〜6才までだが、小学校高学年までけっこうこの関係は続く。このあたりは日本社会の今とは大きく違う。中国社会の55才以上の人々の暮らし方を目にしていると、孫育てが中心となってはいるが、それだけでなく、都会であっても近隣住民とのつきあいは日本と比べものができないくらい豊かだと思える。

 約3億人ともいわれる「農民工」(都市部への出稼ぎ労働者)の子供たちの面倒を農村部で祖父母が担っている場合も非常に多い。日本社会は2000年頃から「孤独死」や「孤食」、「無縁社会」などの言葉に象徴されるような状況が特に都市部では多くもなってきている。それぞれの国には、それぞれの問題もあるが、私がみたところ中国社会で生きる老年の人の方が"生きがいのある50歳以上の人々のようにも感じる。なにせ、孫を育てるという大仕事があるからだ。

 「日本超高齢化社会又少子化、75歳仍需外出求職恐成常態」(超高齢化社会であり少子化社会の日本—75歳まで職を求めて生きるのもあたりまえになりつつある社会に驚く)、「日本老人与中国老人退休後生活対比让人感嘆両国文化的差異」(日本と中国の老年・定年後の生活を比較する―両国の社会生活文化の違いに感嘆) というテーマ記事が中国のインターネットに最近 掲載されていた。

 一般に中国の人々は、定年後にも職業を続けることは少ない。(自営は別として)  大学の教授などの定年は60才までだが、65才あたりまで講師として教員を続ける人もなかにはいる。現在67才になる私などは、年齢的にはまれである。経済問題はどうするのかというと、主な収入は「年金」だ。元公務員(教員も公務員が多い)や元軍人などは年金額が多い。また、都市部と農村部では年金額はかなり違う。まあ、日本のように「年金制度」や「医療制度」が整備されていないのも中国だ。「親のめんどうは子供が見る」という伝統意識は、日本に比較するとまだかなり濃厚に残っているが。

 上記の中国の記事は、「70才、75歳まで仕事をし、年金支給もそのあたりの年齢から支給を始めるうごきがある自民党・安倍政権の政策に対する」驚きの声である。現在の60歳定年、65歳までは「再雇用」、その後年金生活という現在の状況から、さらに高齢者になる70才まで働かせるという日本の政策に対する感嘆である。(※70才・75才になっても働けて自立自活できるということの良さもあるとは私などは思うのだが。)

◆思うに―家族の繋がり(祖父母とその息子・娘夫婦、そして孫)は中国という社会ではまだ濃厚である。それに伴う、いろいろな苦労・心労はあろうが、いわゆる日本のような老年になってからの孤独・孤立化は少ないだろう。そういう点では、中国の老年の幸福度は日本よりはるかに高いかと思われる。日本社会では、この家族の繋がりは薄くなる一方かと思う。

 しかし、中国社会でも 2013年頃から急速に若者の意識が変化している。いわゆる「家族のため、家族の期待に応えるため頑張る」という意識の薄れが年々広がっている。「自分のためだけ」という意識の増大だが、当然、「親の老後は子供がみる」という意識も薄れ始めている。2030年には中国も超高齢化社会となることが予測されている。

 同じ東アジアの国々の中でも、フィリピンは「家族のために、父母のために、兄弟姉妹のために」頑張る、「自分が辛い仕事をしていても」という意識はとても 今でも強い国である。そして、国民の「幸福度」は「80%以上の人は幸福」と、東・東南アジアで最も高い。「経済の発展」は人々を自由・自立化するが、一方で「家族の助け合い」「家族の繋がり」を希薄なものに変化させていく。人は「誰かのために頑張る」という気持ちがもてることと「幸福度」は密接に関連している。「自分のために」だけでは幸福度は高くないのかもしれない。

◆中国という国を見る場合、日本では、中国共産党一党支配のもと「自由がない」「民主がない」という点ばかりが、クローズアップされる。それはもちろん人々の生活や幸福感にとってとても重要な問題だ。しかし、それが実現されていない中国社会であっても、人々の「幸福度」は、日本よりもはるかに高いのではないかと、中国に6年間暮らして、中国の人々の生活をみていて感じる。

 

 


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