彦四郎の中国生活

中国滞在記

「月嫂」「保姆」「家政婦」「老人护理」「住家保姆」「家庭保洁」「钟点工」―家庭服务斡旋处のこと

2019-06-10 07:10:24 | 滞在記

 端午節での龍船パレードを光明港河川公園に身に来たのだが、どうやら午前中には行われないようだったので、市内の繁華街に行って印刷コピー機のインクを買いに行くことにした。公園で、軽快な音楽に合わせてダンスを踊っている女性がいた。踊りはすごく上手というか切れまくっているという感じの踊りだった。服装の様子からしても20代か30代の若い女性かなと思えた。その踊りの後ろ姿にしばらく見惚れていた。私が見ていた方向に 向きを変えて踊り始めた。表情を見ていたら40代後半から50代中頃くらいの女性だった。それにしても50歳くらいでも あれだけの切れきれダンスができるのに驚嘆させられた。

 公園を後にして車道に出ると、歩道にレンガブロックをジグソーパズルのように敷き詰める工事を3人の出稼ぎ農民工たちがしていた。暑さのためか裸で作業をする人も。OFOのシェア自転車が自前のチェーン鍵を掛けられて私物化されているものが1台。

 2013年9月から2年間住んでいた閩江大学の旧キャンパス前のバス停に行く。なつかしいバス停だ。広かった旧キャンパスは、現在は何十棟もの高層住宅が建設されていて、あのころの面影は跡形もなくなっていた。正門だった場所の前を、祖父母が2人の孫を抱いたりベビーカーに乗せたりして通り過ぎていく。バス停には、2人の小さな孫を連れたおじいちゃんの姿も。

 なつかしい169番バスに乗って市内中心にある南公園バス停まで行く。そこから ちょっとごちゃごちゃした建物が多く残る商店街の狭い道路を歩いて電気店に向かう。このあたりには「盛錦家政」や「和興家政」などの名前の「家庭服務斡旋所」が何軒か店を出している。「福州・福建省家庭服務協会認定会員の店」という意味のものも掲示され、服務(サービス提供)内容が書かれている。「月嫂」って何だろう?と2年前までは不思議に思っていた(「嫂」は日本語では兄嫁を意味する)が、これは赤ちゃんに「乳をやる」サービスだ。産後専門のお手伝いさんで既婚女性がなる。

 他に、住家保姆(※住み込み保母)、家庭保洁(掃除)、保姆(時間制保母)、家政婦(家事全般)、老人护理(老人介護)、钟点工(パートタイマ―)などのサービス提供内容の文字が書かれている。[※日本にも少ないが「家政婦紹介所」などはある。京都では、伏見区丹波橋の駅近くなどにある。]   ◆月嫂は、赤ちゃんだけでなく、大人の男が求める場合もあるという。そのような人たち向けも営業するらしい「月嫂|専門店が、大学に行く途中のバス停前に店を構えていた。夜になると赤いネオンが店に点灯していた。

  前号のブログで、「祖父母が孫を育てる」という記事を書いたのだが、ここ10年間ほどの近年になって、自分たちの父や母が暮らす町や農村で結婚して、父母と共に暮らす、又は近くで暮らすという国民的生活スタイルが急速に崩れつつある。4人の両親たちから遠く離れた都市で暮らす人たちにとって、生まれた子供をどう育てるか(※中国では産休制度があるか、せいぜい産前産後の4カ月~6カ月間くらいと短い。)は、深刻な問題となる。

 子供が小さい1年間〜3年間あまり、遠方から母に住み込みで来てもらい子育てを担ってもらったり、祖父母に近くにの賃貸アパートを借りてもらい、そこに住んでもらって子育てを担ってもらったりもしている。それもできない場合には、この「家庭服務斡旋所」の店にてさまざまなサービス依頼を有料で申し込むこととなる。

 行きつけの店でコピー機のインクを5本ほど買って、アパートに戻るため近くのバス停に向かう。大通りの地下道に近づくと大音量のカラオケに合わせた歌が聞こえてきた。地下道に入ると、横に体に障害をもつ妻と思える人が座り、夫と思える人が立って歌を歌っていた。地下道内なので、スピーカーの音量がガンガン響く。1元(16円)札を洗面器のお金入れに入れたら、男の人がぎゅっと力強く握る握手をしてきた。女の人もニコッと微笑む。これまでに何度も物乞いの人たちにお金を渡すことはあったが、握手を求められたのは初めてだった。

 物乞いをする人たちの表情は一応に哀れを誘う表情をしているものだが、この人たちは、元気で明るいというか、そんな感じの二人だった。障害者が生きていく(生活する)ための福祉政策はまだまだ中国では未整備だ。家族の者は家族が面倒をみるという考えがまだ強いからだが、それでも、障害の等級によっての生活支援金はある程度は支給される。しかしそれは、住むところに戸籍があってからの話だ。中国では「戸籍」の問題は深刻な問題だ。3億人ちかい農民工(出稼ぎ)の一人として都市で長年働き続けても、「都市戸籍」はほとんど取得できない。戸籍がなければ、年金も福祉政策もなにもかもが受給できない。だから、都市戸籍のない重度障害者が生活することは並大抵ではない。

 夫婦で出稼ぎにでている人たちも多いが、都市戸籍がないので、子供を学校に通わせることはできない。子供たちは戸籍のある地方で祖父母と暮らし学校にいくこととなる。私が担当している学生たちに「私の子供時代」というテーマで作文を書いてもらうと、祖父母に育てられ、冬休みや夏休みになると都会で働く両親のもとに3週間~1カ月半ほどの間 行って、暮らすことなどが綴られているものも少なくない。

 昼近くになり、アパートに帰るため60番バスに乗った。アパートからほど近い福建師範大学付属高校近くまでバスが行くと、ちょうど中国大学統一試験(高考)の一日目の午前中の部が終了したようで、受験生を迎えに来た家族の電動バイクでものすごい渋滞となっているようで、公共バスも通行止めになった。バス運転手はしかたなしに 来た道路を戻りはじめ、大きく迂回して終点に向かい始めた。アパートから最も近いバス停で降車したが、このバス停からアパートまでは1kmあまり離れている。

 アパートに戻る歩道には、私物化されたレンタル(シェアー)のOFO社の自転車が2台、自前のチェーン鍵で繋がれている。中国人の公共マナーの改善はまだまだ課題が大きい。特に50歳以上のマナーや公共性はよくない。「文革など他人の目など構っていられない厳しい歴史」の中で若い時を生きてきた世代でもある。最もマナーが良いと思われるのは1990年代生まれの、現在の20才から30才までの年代かと思う。2000年以降に生まれた中国の10代はマナーがよくないというよりも、小皇帝としてのわがままさがとても目立つ年代だ。

 

 


コメントを投稿