彦四郎の中国生活

中国滞在記

4回生たちの卒業論文発表会が昨日(5月18日)に行われた

2024-05-19 18:58:02 | 滞在記

 昨日5月18日(土曜日)、4回生たちの「卒業論文発表会」が行われた。私は授業がある平日のいつもの出勤のように、早朝5時50分頃にアパートを出てバス停に向かう。途中、廃品回収屋が段ボールなどを満載した三輪バイク軽トラ。この三輪バイク軽トラは、全国津々浦々、中国ではとてもとても多く使われている。荷台のある三輪自転車。これも現役でよく使われているが、電動で走ることができるしろものだ。バス停に着くと、農民工のおばさんたち5人が、これからどこかの建築・土木の現場に行くのだろう、道路わきに座ってバス待ちをしていた。

 バス途中で乗り換えて、午前7時30分頃に大学正門(南門)に着くと、大きな大学構内案内の立て看板があった。どうやらこの日、大学構内の4つの建物の教室で公認会計士試験が行われるようで、会場の建物や食堂などの案内タテカンだった。

 研究室のある建物近くの水辺と石橋。建物付近では、公認会計士試験を受験する人たちが集まっていた。石橋付近には、10本余りの濫花盈(らんかえい)[英語名:ジャカランダ]の樹木に初夏の薄紫の花を咲かせている。この花の花言葉は「在絶望中等待愛情(絶望の中で愛を待つ)」。

 水辺の蓮の葉が少し大きくなり始めていた。6月中旬頃には花が開花し始める。卒業論文発表会が行われる教学楼の建物群の教室に向かう。集合は、教員も学生たちも午前8時30分~8時50分の間。

 4回生の学生たち38人(その他2名)が集合していた。(その他2名の参加[昨年度の卒業論文審査で合格できなかった学生])  午前9時から3つの卒業論文発表グループ(組)に分かれて、それぞれ発表会が開始された。それぞれのグループの内訳は、➀「語言翻訳」組(学生12人・教員3人)、②「語言文化」組(学生15人・教員3人)、③「文学・文化」組(学生13人・教員4人)。記録・時間計測・評価計算などのために、2回生・3回生の学生たち15人(各グループ5人)も参加していた。

 私がこの日に担当したグループは、③「文学・文化」組だった。主に「日本文化」「日本文学」「日中の社会問題比較」などに関する卒業論文発表者たちのグループだ。4回生の学生たちは、各自5分余りの卒業論文概要説明の後、教員から3~4つの質問(口頭試問)がされる。そして、13人の発表が始まり、午前11時頃に卒業論文発表会の前半が終わった。(4人の教員たちは、この日までに13人の卒業論文の最終稿をすでに閲読している。)

 グループ➂「文学・文化」組の13人の学生たちの卒業論文テーマは次のようなものだった。

 1、「坂口安吾作品における反逆思想と現代的意味—『堕落論』を中心に」 2、「新海誠の作品における美学理念—もののあわれを巡って」 3、「民俗と推理—京極夏彦の推理小説作文の特徴について」 4、「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の作用について」

 5、「日本アニメからみる"癒し"文化の中国での伝播と影響について―宮崎駿作品を中心に」 6、「視覚小説の日本における発展の現状について」 7、「アニメ動画『昭和元禄落語心中』を中心に物のあわれについての研究」

 8、「社会の背景と個人の感情の交錯:『ノルウェイの森』の主人公の感情の葛藤を視点にする研究」 9、「映画『おくりびと』からみる日本民族の死生観について」

 10、「中国における『ドラえもん』の流行と影響について」 11、「中日両国の安楽死について」 12、「中日職場における性差別についての研究」 13、「福沢諭吉の女性観についての研究」

 午前11時過ぎから10分ほどの休憩をとり、後半の部が開始された。後半の部は、教員たちからの3~4つの質問に対しての答弁。そして、それに対する教員とのやりとり(討論)が、順番に13人の学生たちとの間でとりかわされた。午後1時頃に、この日の卒業論文発表会が全て終了した。

 各3つのグループから2名ほどの優秀な成績の卒業論文(この日の口頭試問の成績を含む)が選出される。合計6人の学生たちは、来週水曜日(5月22日)の午後、再び、卒業論文発表会が行われ、口頭試問・討論を経て、最優秀論文(1名)と優秀論文(2名ほど)が選出されることになる。

■昨年の10月より始まった卒業論文指導。私は今年度は5人の学生たちを担当した。特に11月上旬~12月下旬、そして、4月上旬から卒業論文発表会までの期間は、卒業論文指導は、ものすごい量の卒論関連資料制作が必要で学生たちも私も大変でもあった。それもようやく、卒業論文発表会が終わって多忙さから解放されることになる。まあ、卒業論文の指導や発表会などを通じて、私もいろいろと新たに学ぶことも多い。

 卒業論文を発表した学生たち38人との最初の出会い(授業担当)は2020年9月、彼らが2回生になった時だった。当時、新型コロナウイルス感染パンデミック問題で、私は日本に滞在しながら彼らとオンライン授業を始めることとなった。そして、それから彼らが3回生になっても、日本—中国間のオンライン授業が続いた。私が昨年2023年3月に中国に3年ぶりに渡航し、3回生の後期授業「日本文化名編選読」で、初めて顔を合わせることとなった。その後、彼らが4回生となった昨年の9月からは「日本文学作品選読」の授業を担当した。

 4回生たちは、この6月中旬に卒業式を迎えることとなる。

 

 

 


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