彦四郎の中国生活

中国滞在記

初夏到来、迎夏灿烂的阳光,最梦幻的蓝花「盈木」、淡淡的紫色―有名中学受験日―

2018-05-17 15:02:26 | 滞在記

◆初夏来たる、燦燦たる陽光が迎える夏に、最も夢幻的な藍色の花「盈木(いんぼく)」の花の、淡い紫色―有名中学受験の日―

 アパートからほど近い「倉山区」に、1800年代後半から1900年代前半の100年間に造られた洋館がまだ多く残る地区がある。少し丘のようになっている広い地区だが、かってはアメリカ・フランス・ドイツ・イギリス・日本・ベルギーなどの外国の領事館や外国系銀行、商社などの建物として使われた建物も多く現存する。1842年の阿片戦争で敗北した「中国・清国」が外国に開港を迫られた結果、「広東・厦門・泉州・福州・寧波」など広東省・福建省・浙江省の街を開港した。福州もその一つだ。

 この洋館が多く残された地区の中心的な道路の並木にある樹木が「盈ying」(イン)という名の樹木だ。5月中旬の初夏になると、この木の紫の花が一斉に開花を始めていく。その花が咲く様子は、35℃以上の日々が続く初夏の季節に、一片の涼しさを感じさせてくれる花々だ。5月13日(日)の午前10半ころに行ってみたら、この道路は大混雑をしていた。ものすごい数の人が道を通り、車も大渋滞して動きが取れない状況だった。狭い歩道にもたくさんの自動車が不法駐車をしている。なぜだろう。何があるのだろうか。

 高くて大きなこの樹木が咲き誇るさまは、見事ですがすがしい気持ちにさせてくれる。通りには「福州海軍学校」の広い建物もある。この敷地内にはかっての日本領事館の建物があるはずだが見ることはできない。当然のことだが、日本と違って「海軍学校」であっても「軍事禁区」なのだ。

 4年前にここに初めて来たとき、「ああ、この海軍学校の敷地内に旧日本領事館の建物があるんだなあ」と思いながら、正門前でカメラを構えて撮影をしていたら、拘束的に構内に連れていかれてしまった。尋問を受けるが、中国語会話がうまくできないし聞き取れない。かたことでなぜここで撮影をしていたのか、なぜ福州に来ているのか、身分的なこと(名刺)も提示しなんとか説明し、20分後にようやく解放されたことがあった。もちろん、撮影したフィルムは「削除」された。

 この時初めて、ここは日本と違って中国なのだということを強く強く実感した。日本では、防衛大学の正門前や防衛庁前で撮影しても何の問題もないが、中国では「軍」に関連する施設は中国全土すべての所で撮影などの行為をしたら「拘束」の対象となる可能性があるのだということを体験・初めて知った。現在、中国にはまだ8人が拘束され刑務所に収監されている。温泉試掘の日本の四国の民間会社の人も数人が2年間あまり拘束収監されたままだ。怖ろしく不安な気持ちで本人たちも今中国で生きていると思うと、これは私にとって他人事ではない。

 民間温泉試掘会社の4人は、私と同じように このような中国の事情を知らないままに、何気なくたまたま「軍事禁区」に近づいて入ってしまったり、撮影したりしていて、拘束された可能性が高い。拘束されて2年がすでに経った。健康状態や精神状態が心配だ。この5月に李克強首相が訪日した際に、中国に拘束されている日本人の解放を日本側は求めたようだが、解放につながる回答はなかったようだ。とても残念な状況だ。これに関しては、日本のテレビ報道でもほとんど話題にもされなかったのは、日本の報道界の怠慢としか言いようがない。

「中国の国益に反するスパイ行為をした」という嫌疑で、詳しい嫌疑内容は具体的に明らかにされていないままなので、日本とまるで違った 密室での取り調べという とても怖い司法体系状況だとも感じる。私の場合はたまたま運が良かったのかもしれないし、「中国の大学外国人教員」という身分が幸いして、20分間で解放に至ったのかもしれない。

 この通りをさらに行くと、「福建師範大学付属高校」がある。この日は、ここで福州市内の「有名中学校(公立)」数校の中学受験が実施されている日だったのだった。受験に付き添ってきて見守っている父母や祖父母たちの姿も多くみられた。キョウチクトウと紫の花々。夏だなあ!この日の気温は36℃。暑い暑い、蒸し暑い中での、涼しげな紫の花。レンガ造りの多い通りとこの紫の花の並木はとても雰囲気がある。木陰に入ったら、「寺坂先生!」と呼び止められた。振り向くと閩江大学外事所の副所長の鄭さんだった。一人娘の中学受験に付き添ってきていたのだった。

 このあたりは2年前まで住んでいた「福建師範大学の外国人教員用」の住宅(アパート)がある場所だった。毎日通勤などで通った両方が塀で囲まれた坂の道路もある。「関愛家庭 防犯邪教」と塀に書かれているが、雰囲気的にはとても好きな坂道の狭い通りだ。このあたりは福州では最も「小学・中学・高校」が多く密集している文教地区である。

 マンゴーがかなり大きくなってきていた。少し色付き始めたものも見られた。赤い色に塗られた塀の道はもとても中国的なゆるい坂道だ。2年前までは、ここを自転車で通勤して福建師範大学に通っていた。

 福建師範大学付属高校の前でもらったパンフレットやチラシなどを見てみた。「有名中学」の一つである「福建農業大学付属中学」のパンフや塾の案内チラシだった。これを見ると、附属中学校の教員募集についても書かれていた。そして、給与についても詳しく書かれている。この給与水準は、①「どのレベルの大学を卒業しているのか」②「大学学部卒業なのか大学院の修士課程修了なのか、大学院の博士課程修了なのか」などによって、初任給10万元(年間)[180万円]〜18万元(年間)[325万円]までに分かれていた。かりに15万元とすると1カ月1.25万元なので、かなりの高給取りとなる。現在の大学卒業の初任給は、都市や地方によって大きく異なるが、沿海部都市は平均的には1カ月5000元(9万円)〜5500元(10万円)くらいだからだ。上海地区が最も給与平均は高いが、アパート代もとても高くなる。

 

 

 


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