福建省と台湾とは台湾海峡をはさんで向かい合っている。海峡間で最も近い場所の距離はわずか130kmしか離れていない。最近の中国のさまざまなインターネット報道記事を見ていて、とても気になることがある。それは、「台湾進攻」に関する記事がこの1月に入って激増してきていることだ。多くのインターネットサイトでは、連日、トップ記事(一番上の場所にある[上段]として報道されている。)として、「台湾進攻」などの記事が突出している。その見出しは、「我们一定要解放台湾!」(私たちは必ず台湾を解放する)「武統台湾第一歩已経開始!」(武力統一の第一歩はすでに始まっている)「我愛台湾,反対台独!」「拒絶台独統一中華!」(私は台湾を愛し、台湾独立に反対する。/台湾独立拒絶、中国統一)などだ。
昨年10月の第19回中国共産党党大会で、習近平主席は基調報告のなかで「祖国統一」という言葉を何度も何度も繰り返し訴えていた。中国共産党の対外・国内政策(戦略)の中で「台湾統一」は「核心中の核心」と言われ、最重要事項なのだ。ついに、中国共産党政権による台湾統一のシナリオが具体的に動き始めたという感じがする。武力侵攻も含めた「統一」への世論形成が活発に動き始めたようだ。
日台ともに「親しみをもつ」という現在の日本と台湾との関係の中、台湾に旅行に行く日本人も多く、また、日本に旅行や留学にくる台湾の人も多い。この台湾とは、いったいどんな歴史をもって現在に至っているのだろうか。
台湾は日本の九州と同じくらいの面積の島である。人口は約2350万人で、民族的には漢族86%や客家12%が多くを占めている。国民一人当たりの「GDP(国民総生産)」は約2万2千ドルと、中国の約8千ドルの3倍近い。(※日本は約3万8千ドル) また、台湾全体のGDPは世界第22位の経済力。軍事力は世界15位(兵力約23万人)にランクされている。
台湾は高山も多い。最高峰は「玉山(ギョクサン)」で3952m。付近の「阿里山景観公園区」は高山鉄道が有名だ。
台湾の東大といわれる「国立台湾大学」や台湾の「京大」といわれる「国立成功大学」(1600年代。台湾からオランダ勢力追いした民族の英雄・鄭成功の名をとっている)などがある。日本に留学している学生も多い。
台湾が歴史的に、世界に認知されたのはかなり新しい。1500年代に入ってからポルトガル人によって発見され、「美麗島」と呼ばれた。それまでには、「台湾原住民による小さな王国」のようなものがいくつかあったようだ。1600年代に入ると、台湾島の北部をスペインが、南部を新興国のオランダ(東インド会社)が支配していた。スペインの国力の低下にともない、その後スペイン勢力はオランダ勢力により台湾から後退させられていった。(※倭寇の根拠地として、日本人や台湾人、そして中国の福建省から移住した人たちや少数のオランダ人が混在していた。)
このころ、「明王朝」(漢族)にとってかわった「清王朝」(満州族)に対して、「明の復興」(漢民族の国の復興)を標榜し、清王朝に抵抗を繰り返していたのが鄭成功(ていせいこう)だった。彼は、日本人の母と中国人の父との間で、今の長崎県平戸で生まれた人物である。1662年、抵抗の根拠地とするためにも、台湾のオランダ勢力を武力で追い出した。その後、鄭成功の勢力も弱くなり、事実上「清朝」の勢力下の島となったが、清王朝は「毛外(もうがい)の国」と台湾を呼んだ。つまり、「統治の及ばないの国」という意味であり、その統治はどこの国からも事実上放っておかれていた。
1871年に、沖縄の宮古島の人たちの船が、沖縄島に貢物を運ぶ途中に難破して台湾島に漂着した。ところが、66人中54人が原住民に殺され、12人がなんとか沖縄に逃れてこれを訴えるという事件(牡丹社事件)が起きた。これがきっかけとなり、1874年に日本は台湾に出兵をした。その後、清政府と日本政府の交渉があり、清政府が日本に事件の賠償金を払うことを条件に、正式に「台湾は清国の領土である」ことを認めることとなった(この頃、ようやく地政学的に重要な島であることを清は認識し始めた)。ところが、1894年に起きた「日清戦争」のあとに「下関条約」(1895年)が締結され、「台湾が日本の統治下」に置かれることとなった。そして、第二次世界大戦での1945年日本敗戦までの約50年間、日本の統治が続いた。
1945年、中国の蒋介石総統の「国民党軍」が進駐。台湾の本省人から「犬が去って豚が来た」と言われていたようだ。これは、「日本人はうるさくても番犬としては役にたったが、中国人は豚のように貪欲で汚い」という意味のようだ。軍の規律が乱れ切った国民党軍に対する揶揄である。これ以後、大陸から渡来した漢人を「外省人」という。
1949年、中国国内の「国共内乱(国民党軍と中国共産党軍との戦い)」に敗れた蒋介石は、台湾に逃れた。そして、台湾だけでなく、初めは海南島なども勢力下に治めていた。しかし、その後、1955年に海南島や上海沖にある船山諸島は中国共産党政権によって制圧されることとなった。1958年、台湾武力侵攻を目指す毛沢東の中国共産党政権によって、福建省の厦門(アモイ)沖にある「金門島(きんもんとう)」[台湾の支配下]は、猛攻撃にさらされたが、アメリカ軍の支援により、金門島への攻撃を退けることに至った。(第一次台湾危機)
台湾は1949年以降、蒋介石及び彼の息子の蔣経国による「軍事独裁政権」が40年間あまり続いた。そして、1987年にようやく戒厳令が解かれた。当時、「国民党」の副総裁だった「李登輝(りとうき)」(本省人)が政権の中心となり、アメリカからの「台湾民主化」の要求もあって、1996年に初の「台湾総統選挙」(直接民主選挙)が実施され、国民党の李登輝氏が民主選挙による初代総統となった。
このような台湾の状況に「中台統一」への危機として、1996年に中国共産党政権の江沢民主席や鄧小平は「台湾武力侵攻」の実施のために、台湾に向けての軍事行動を準備したが、アメリカの2つの空母機動部隊群に台湾海峡を封鎖されたことにより侵攻を断念した。(第2次台湾危機)
2000年の総統選挙では「民進党」(台湾独立を主張)の陳水扁氏が総統に選出され2期を総統として勤めるこことなる。2008年の総統選挙では、国民党の「馬英九」が総統に選ばれ、その後「中国と台湾の統一を標榜し、経済的にも政治的にも中国寄り」の政権となった。馬氏も2期を勤めた。
そして、2016年の総統選挙では、民進党の「蔡英文」氏(中国との中台統一ではなく、民主国家としての現状維持)が 馬氏の後継候補を破って総裁選挙に勝利をした。これにより、中国は、さまざまな政治的・軍事的圧力をかけはじめ、現在に至っている。そして、今また 第三次となるかもしれない台湾危機が始まりっっあるように思われる。キーワードの年は、東京オリンピックが開催される2020年を境としての危機が起こる可能性が今、始まり高まりっっあるという情勢だと思う。
まずは、中国国内及び台湾国内の「世論操作」をさまざまな報道を通じて本格的に始めたなぁという感じてある。2020年には「台湾総統選挙」が行われる。この選挙情勢や結果により、台湾と中国の関係に決定的な事態(情況の大変化)が起こると予測される。「民進党」の候補が勝利状況となれば、「武力侵攻」も起こる可能性が大きい。そのための世論造成が始まったということである。
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