閩江大学の今年度前期(1学期)日程は1月10日(金)に終了し、11日(土)からは冬期休暇が始まる。2月16日(日)までが冬季休暇期間となる。1月2日までには、私の担当教科期末試験や成績資料作成を全て完了し大学側に提出。1月5日(日)に日本に帰国する予定で12月中旬には航空券を購入していた。ところが航空券を購入した翌日、大学の外事所から「明日、パスポートや写真など、就労ビザ延長の手続きに必要ですから持ってきてください」との連絡が急に入ったので翌日持って行った。
「就労ビザの発行」は「公安局 出入国管理所(入管)」で審査して発行される。通常、出入国管理所に申請をしてから3週間を経て、新たな就労ビザが発行され、パスポートに貼り付けられて戻される。大学の外事所の副所長の鄭さんに「私は1月5日に日本に帰国する予定で航空券も購入していますよ。パスポートがないと飛行機に乗れません」と伝えると、「大丈夫ですよ、すぐに申請しますから。1月5日の飛行機に間に合うように特別に早く発行してもらいますから。おそらく、遅くても1月2日か3日までにパスポートが戻されるように申請しますから」とのことだった。「まあ、不安が大きくよぎるが、しかたないか」ということで1月2・3日を待った。
ところがである、12月30日(月)、午前中の「日本語会話3」(2回生)の会話試験が終了して12時30分頃にホッとしていると外事所から電話が入った。「今日の午後3時に出入国管理所に行ってください」との急な連絡であった。この日の午後、学食で昼食をとり、その後は研究室で期末試験の採点作業を夕方までする予定だったのだが。この日に出入国管理所で「パスポートが返されるのかもしれない」と期待を持った。大学から出入国管理所まではバスや地下鉄を利用して2時間あまりがかかる。昼食もとらずに大学を出発した。
3時前に到着してしばらくすると、大学の外事所に最近入所した若い担当者がやってきて、「今日申請を一緒にします」とのことだった。「ええっ!!!12月中旬にすでに申請したのではないんですか!私は1月3日(金)中にパスポートが戻らないと日本帰国ができなくなりますから、とても困るんですが!!!」と、開いた口がふさがらなかった。「没法子(メイホーズ)」=[しかたがない]と、中国での社会生活では常に諦めの念を持つことが必要だ。日本での社会生活と違って、「まあ、なるようになるしかない」という諦観への切り替えが常に求められる中国生活。これは大学での仕事の面でも常に諦観が求められる。
大学の担当者は「1月5日に日本帰国の事情を入管職員に話しましたので、1月3日の午後2時30分から5時までの間に入管にパスポートを受け取りにいってください」とのことで話がついたようだった。その話を聞いて少し安心したが、半信半疑だった。たった4日後に申請が許可されて就労ビザを発行し、パスポートが返されたというような話は聞いたこともなかったからだ。特別に早くパスポートが返却されるとしても2週間はかかるのが通例だからだ。このような経過を経て、不安のまま1月3日の日を待つことになった。
1月3日(金)の午後1時ころにアパートを出て、バスと地下鉄を乗り継いで入管に向かう。途中、「福建中医薬大学・屏山校区」の正門前を通る。運河のような用水路でたくさんの人が釣りをしている姿も。もよりの地下鉄駅から15分ほど歩いて、ちょうど2時30分すぎに入管に到着した。この日は大学の外事所の職員はだれもこない。入管職員に「パスポートを受け取りに来ました。私は1月5日に日本に帰国しなければならないので、通常は1月20日に返却予定ですが、特別に今日1月3日に認可・発行されたパスポートが返却されるとのことなので、受け取りにきました」とのことを、音声翻訳機なども使いながら職員とやりとりを始めた。ところが、「できていないので1時間あまりとりあえず待っていなさい」との返答。一気に不安が広がった。「没法子‥‥」。「今日果たしてパスポートは返されるのだろうか?‥‥」 1時間以上の待ち時間があるので、入管からほど近いところにある屏山の「鎮海楼」に行くことにした。そこは4年ぶりくらいに訪れる場所だった。
屏山は小高い山だ。麓から山上まで登って20分くらいで到着できる。山麓前の道路で、今年の1月25日から始まる中国の旧正月「春節」を迎えるための道路の飾りつけ作業がすでに始まっていた。山麓の「屏山公園」に入ると赤いブーゲンビリアの花が美しく咲いていた。
4年前にはなかった巨大な壁レリーフが公園入口に。後ろ側に周ると、若い母親たちが小さな子どもたちをかたわらで遊ばせ、話に花を咲かせていた。レリーフには宋時代から明時代の「福州城」の絵図が描かれていた。当時の閩江河畔の福州港や大型帆船なども描かれている。福州城(別名・榕城)の城壁や大きな城門、城内の建物群、そして屏山山頂に築かれていた鎮海楼も描かれている。
春節近しとなったためか、インドソケイの樹木には赤い布が巻かれていた。巨大な赤サンゴのようだ。池の近くでは中国将棋やトランプをしている人たちの姿が。池に面した廊楼には、小さな孫の子守をする祖父母たちの姿ががたくさん見られた。天気もよく、この日も25℃を超える気温となった。
山頂に続く階段を登ってくと、白い椿が開花していた。この福州ではとてもめずらしい「もみじ」の木々があり、中途半端だが赤く紅葉していた。山麓の廊下楼から歩いて登ること20分ほどで、山頂にある「鎮海楼」の石垣に到着。西欧の30歳代くらいの女性が一人で訪れていた。腕には刺青も。一人旅なのだろうか。
鎮海楼の建物が見えてきた。建物の前の石階段の中央には「龍のレリーフ」が置かれている。建物内部に入り楼最上階に上り、福州の町並みを眺める。360度の展望が開けてきた。
山を下りる途中、山中には亜熱帯植物が繁っているさまを眺める。山の中腹にある公衆トイレは、4年前とちがってとてもきれいで美しくなっていた。建物のデザインも中国伝統のデザインが工夫されている。2015年ごろから国家的に取り組まれたトイレ革命政策によって、公衆トイレは全国的に見違えるようにとても清潔になった中国。
2010年頃までの中国の公衆トイレは、どこもかしこも「ニーハオトイレ」(大便の場合も壁や部屋の仕切りがなく、お互いの顔やおしりが丸見えのトイレ。ニーハオと大便しながら挨拶ができるトイレ。)だったようだ。山の麓には、黄色や薄ピンクのハイビスカスの花がまだ咲き残っていた。
4時すぎに入管に戻った。ドキドキしながら、「私のパスポートは今日受け取ることができますか?」と聞くと、引き出しから私のパスポートが出された。「やった!」と心の中で叫び、安心感が広がった。これで1月5日に予定通り日本に帰国できることとなった。毎年のように、この就労ビザ延長手続きの際には、このようなドキドキ不安を経験している中国生活だ。