彦四郎の中国生活

中国滞在記

「麒麟がくる」❸タイトルの意味は?未来が見えない現代への思い―それでも、この仁なき時代を愛せるか

2020-01-23 09:46:15 | 滞在記

 NHK大河ドラマ・ガイド雑誌の対談で、「麒麟がくる」の脚本を担当している池端俊策氏は「麒麟は平和な世に現れるという伝説の生き物。しかし、人間の争いはなくならない。永遠の課題です。果たして争いのない世は来るのか。そんな問いかけを込めたタイトルなんです」と語っている。池端氏は1970年代には、「太平記」(NHK大河ドラマ)の脚本を担当をしたことがあった。

 「麒麟がくる」の制作統括の落合将氏は、「一人の青年が困難な時代をどのように生きていくのか。それが"麒麟がくる"のテーマです。(中略) 室町幕府が崩壊し、中世から近世へ変わる過度期。脚本の池端さんの言葉を借りると"1つの価値観が崩れて新しい価値観が生まれる激動の時代"です。」(中略)「経済成長とともに幸福感を得られた昭和の時代が終結。平成では、高齢化社会が極まり、新たな格差社会が発生。さまざまな自然災害にも見舞われました。暗い影が日本を覆い始め、そして迎えた令和。これまでの常識や価値観が揺れ動き、転換が求められています。そんな今だからこそ、戦国の若者たちが新しい価値観を作り上げていく姿は、希望と映るのではないかと思うのです」と語っている。(落合将:1968年生まれ。「とと姉ちゃん」「ゲゲゲの女房」「大河ドラマ・平清盛」などを過去にプロデュース)

 大河ドラマ「麒麟がくる」のテーマタイトルの伏流水として、「それでも、この仁なき世を愛せるか」がある。昭和・平成・令和という時代に生きてきた、または、平成・令和という時代を生きてきた日本人の私たち。世界的も中国の台頭にともない、さまざまな価値観を巡る激動・戦いの時代ともなってきている。世界はこれからどのように推移していくのか予想がなかなか難しい不安の時代だ。

 落合将氏は、2020年の大河ドラマを担当することになった時、「僕自身は、戦国時代という時代が成り立つ以前、時代がどう進んでどう戦国時代になるのか、その最初の卵みたいな時代の揺籃期に興味がありました。ドラマとしてこれまであまりやっていないし、歴史ロマンとしても面白いと思ったんです」と感じたという。「流行りの言葉で言えば、戦国時代の"オリジン"というか、英傑たちが英傑になっていく時代を描くのに、最も描きやすい青年は誰か?池端さんと相談する中で明智光秀が浮上してきました」と主人公を光秀に選んだ経過を語っている。

 いわゆる日本の戦国時代は1467年から11年間も続いた「応仁の乱」から始まるとされる。100年以上続く「下剋上の時代」である。それまで、室町幕府の権威・権力のもと、各地の守護が治めていた各地方で、守護代や国人や豪族などが実権を掌握し、分国の戦国大名が出現していく。その下剋上の典型とされる人物が、斎藤道三(もとは、京都乙訓の油売りの下層民)や北条早雲(これももとは身分が低い伊勢新九郎)だった。

 作品タイトルの「麒麟がくる」にはどんな意味があるのか。落合氏は、「この言葉をもってきたのは池端さんです。中国の歴史書"史記"では、王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、穏やかな世になった時、その王のところに現れる霊獣が麒麟なのだそうです。(中略) 今の私たちは、昭和・平成・令和と大きな時代の転換期にいて、戦国時代ほどではないにしろ、生きにくさを感じるし、100年後の未来が見えないという意味では、戦国時代と共通している。閉塞した世の中に麒麟が来てほしいと願うことは、視聴者にも届くのではないかと思いました」と、タイトルに込めた想いを明かしている。

 上記写真:左より、①織田信虎(信長の父)高橋克典、②土田御前(信長の母)壇れい、③織田信長・渋谷将太、④斎藤道三・本木雅弘、⑤斎藤義龍(道三の嫡男)伊藤英明、⑥土岐頼芸(※美濃の守護・義龍の父とも噂される)

 そして、大河ドラマで歴史を描く意義について、「日本がどういうふうに出来上がって、今どういう時代にあるのか、揺れ動いている今だからこそ"座標"となるようなエンターテインメントとして、若い人にも観てほしい」と。また、染谷(信長役)や本木(道三役)ら多くの配役・キャスティングについて、「後世の物語が作り上げた虚飾を一度外して、我々のドラマとして、時代を作る人物像を、新しい形にしていこうと思いました。例えば、15歳という信長以前の信長から描き、母親の存在が欠落していて、暗い影を落とす信長像を演じる(アダルト・チルドレン)のに、渋谷君はふさわしいと思いましたし、本木さんも、我々が想像した以上に重厚な道三像を作り上げてくれています」とも語る。(ドラマでは、どの時代にもある親子の確執―特にこの戦国時代は親子で血と血を洗うことも多い時代―を強烈に描かれる。)

 1973年放映のNHK大河ドラマ「国盗り物語」では、前半が斎藤道三[平幹二朗]が、後半は織田信長[高橋英樹]が主人公として描かれた。この物語での第三の主人公・明智光秀は これまでさまざまな大河ドラマの中でいろいろな人が演じていたが、「国盗り物語」では近藤正臣が演じていて、光秀役としてとての印象の深さが今でも残っている。この時の帰蝶役は松坂慶子、光秀の妻役は中野良子だった。また、秀吉役は火野正平。信長も光秀も、道三チルドレンという視点。

  「麒麟がくる」の時代考証を担当している小和田哲男氏(歴史学者)が、1月18日に京都府福知山で、光秀の半生を振り返りながら、本能寺の変を招いた背景や謎に迫る講演を行ったことが京都新聞の記事に掲載されていた。本能寺の変の背景の考察し、陰で朝廷などが関与していたとされる「朝廷黒幕説」を、「光秀は誰かにそそのかされるような武将ではない」と排除、家臣への暴言や死者への弔い方などで信長の振る舞いが許せなかったため、主君を討つに至った「信長非道阻止説」を説いたと報道されていた。

 世界は今、混迷が深まってきている時代に突入している。とりわけ、2012年に、今までの「とう航養海」(※力を蓄えながらも周囲を油断させ、力量が充実して初めて牙をむき始める)政策を脱ぎ捨て、世界の覇権を求め始めた中国・習近平政権のスローガン「中国の夢」の実施。これにより、世界各国は「アメリカとその支持国VS中国・ロシア・イラン・北朝鮮とその支持国」への分断が進む。それは一面、「民主主義VS全体主義(独裁主義)」との大きな分断への変化でもある。2020年以降に私たちが生きなければならない世界がどうなるか、およその見当も難しくなっているが。西洋社会の「リベラル」な経済的・社会的・政治的・人権的価値観(自由と民主)は20年以降、かってないほど強力な挑戦を受けることとなる。

 また、資本主義の世界(※中国は国家資本主義形態と社会主義政策の混合)の世界では、わずか1%の人々が世界の人々(下層の)50%と同じ富を得ている超格差の社会となっている。これへの改革は依然として進まないばかりか、より格差の広がりが世界各国でみられるその。この事実は先進国になればなるほど、その格差実態はひどくなっている。特にアメリカでは。このため、2015年のアメリカ大統領選挙を巡っては、格差解消を訴えたサンダース候補(民主党上院議員)への期待が若者を中心に広がりをみせた。最近の米国調査会社ギャラップ社の全米世論調査によると、2016年を境に、「アメリカの20代は資本主義に展望をもっているより社会主義に展望を持っている」と回答した割合が、高くなった。

 日本では日本共産党が、この1月に党大会を開催し、「①発達した資本主義社会下での、民主主義や自由の権利の尊重、経済格差の根本的改革②中国を社会主義国とはみなさず、単なる覇権主義の大国だと批判」という、大会決定や綱領改定などを行った。ソ連型や中国型の「社会主義」は実は社会主義とは縁遠いものだとして、人類史上初めての本当の社会主義を目指すとしている。今はまだその支持は国民的には少ないし、共産党という党名や党内民主主義を阻む民主集中制などは変革の必要はある党だが、この混迷の世界で、今後人々の支持を集めて来る時代もくる可能性は否定できない。ヨーロッパでは、1~2年前まで無名だった党が、過半数近くの議席を獲得することもあるのだから。

 そればかりではない。国々の国境を超えた6つの大きな流れがあり、それぞれがもたらす6つの大きな変化がある。6つとは、「人口(人口増大地域と人口減少・高齢化社会地域)・技術(AIと人間の暮らし・仕事の変化)・温暖化の流れ(異常気象のさまざまな変化)」と「経済・ポピュリズム(自国第一主義と排外思想)・伝統回帰」の流れである。そして、今のところこの「変化の6騎士」とも言われるものに太刀打ちできる国家も人類史的世界観(思想・哲学)も、萌芽はあるものの出現はしていない。

 私たち人類は、そして日本民族は、将来において「麒麟」を迎えいれることができるのだろうか。まさに、2000年から始まった21世紀の100年間は、歴史上始まって以来の複雑で新たな混迷の時代に突入している感がある。

 「それでもこの仁なき世界を愛せるか?」。私たちには親兄弟、子供や孫がいる。かけがえのない愛する人たちがこの世に存在する。愛する山河、愛する民族がそれぞれの国々の人々にはある。「仁なき世界」となり、混迷の21世紀の真っただ中だが、「それでもこの仁なき世界を愛せる」と思うのが人情だ。大切な人と大切な山河や文化があるからだ。「麒麟」の出現を常に求めながらも、「愛せるが、しかし、とても不安だ」と思う人々は多くなっているだろう。

 人類史の進歩・獲得の中で、人権としての「民主と自由」の獲得は貴重なものである。今後100年間の世界史の流れの中でも、これは消え去ることはなく、維持しながら 紆余曲折を経て、いかに世界により広げていくかという重要な価値観である。この意味で、香港や台湾の情勢は一つの大きな人類史的「仁・義・徳など」の戦いである。いつの日か台湾や香港に「麒麟」がくることを願う。台湾の蔡英文総統などは、年齢は63歳と高齢だが、「麒麟児(その分野で優れた先見性や能力を持つ若者)」と言えるかもしれない。また、明智光秀も本能寺の変の時は54歳と、その当時にすれば高齢だが、時代の麒麟児と言える。

  私は今67歳の高齢者だが、中国と日本を往来する大学教員生活において、中国の学生達への啓蒙として、何ができるのだろうか自問しながら講義実践(「日本概論」での日中政治体制比較や「日本文化論」の講義内容)の進化を求め続けてきた。昨年度の「日本概論」の講義実践で、7年目にしてようやく、中国の政治体制に関して 学生たちにその〇〇〇に気づいてもらう講義内容の実践に手ごたえを感じるものができたように思う。(※ブログでは 今はその実践内容は明らかにできないが) 小さい小さいわずかな取り組みながらも、こんなことが、それぞれの世界で生きている人の さまざまな種類の相互の取り組みの積み重ねで世界は わずかずつ変化もしていくと信じたい。

 「麒麟がくる」の放映開始に合わせて、全国の書店やコンビニでは、明智光秀関連本(書籍・雑誌)がたくさん目立つようになってきた。私は2014年に「書籍・歴史小説の『光秀奔る』(文芸社)―戦国の嵐を駆け抜けた父娘、光秀とガラシャの生涯―光秀の真の人物像に迫る力作―と『摂丹の霧』(文芸社)―本能寺の変にいたるまでの信長と光秀の確執!人間光秀に賭けた能勢の三兄弟―光秀謀反の真意と真実、明智光秀に対する不当な歴史的評価を文献と著者自身の見解で検証する」―を書いた人を訪ねたことがある。この2冊の本に感動したからだ。

 この本を書いた人は家村耕さん(1945年生まれ)。家村さんは、大阪府の摂津市の田舎に住んでいた。ほとんど京都府の亀岡市(丹波地方)との国境に近い能勢の在所(村)の「地黄」という地区にて、農業や家業の「酒屋(酒販売店)」をついで暮らしている70歳のおじいさんだった。いわゆる自営業の郷土史家で、作家として2004年に60歳になりデビューしたこととなる。その後数年間、家村さんからは年賀状も届いた。光秀について、丹波や摂津の地方豪族・国人たちの思いがよく描かれている2冊の作品だ。(現在も、いわゆる一般書店などでこの2冊を見かけることはほぼないのは残念だが。私がこの本を買ったのは、2014年に亀岡市の郷土歴史館で販売されたものだった。しかし、光秀に関する歴史小説としては名著の一つであると思う。読みやすく面白く、新たな視点もあるので一気に読んでしまう。)

 その本の挿絵(作者は前京都府知事の山田啓治氏かと思う?)に「黒塗り」の光秀の木像があった。この黒塗りの木像は、京都市京北町周山の「慈眼寺」に安置されている。謀反人・悪人の光秀というイメージが広まっていた時代は長い。このためもともとは黒く塗られていなかった光秀の木像が塗られたものらしい。この寺の背後の周山には光秀が築城した「周山城」がある。今週の土曜日、妻の実家に一晩泊まりに行くので、再び、この像を拝顔するつもりだ。