彦四郎の中国生活

中国滞在記

新春・中国福州の三が日、もう水ぬるみ始め、すでに春のきざしが―辛亥革命の福建省策源地「独立庁」

2020-01-04 13:28:04 | 滞在記

 中国福州の年末年始3が日、12月31日〜1月3日にかけて亜熱帯地方の福州は好天に恵まれた。まだ外が暗い早朝6時ころの気温は10℃前後で長袖下着にセーターが必要だが、日中になると気温が急上昇し25℃をうわまわる夏日となり、長そで下着では暑くて汗をかく。半袖のTシャツがちょうどいいくらいだ。連日のその気温差に風邪をひいてしまった。

 日中は日本・京都の3月下旬の頃のようなポカポカ陽気なので、大学構内の水辺の水もぬるみ始めてきているかのようだ。春先の季節の頃を詠う中国の漢詩「春夜喜雨(春夜 雨を喜ぶ)」-杜甫、「春夜(しゅんや)」-蘇軾、「江南春(江南の春)」-杜牧 などの漢詩がふと思い出すような陽気ともなっている。

 日本より2カ月間あまり春に向かう時期が早いこの亜熱帯地方。2週間ほど前までは固かった椿の蕾が開き始め開花する花も見られ始めた年末年始。菫(スミレ)も紫の小さな花をつけ始めている。蓬(ヨモギ)の葉が地面に見られ始めた。まだ1月中は、最低気温が5℃くらいまで下がる日もあるのだが、2月になると沖縄に桜が咲き始めるように、同じ緯度の福州も一気に春めいてくる。

 11月中旬より実をつけ始めた「楊桃(ヤンタオ)」の樹木が大学構内に20本ほどある。年末年始のこの時期、実をたわわにつけている。酸っぱくて独特の味覚のある果物だ。11月上旬から咲き始めた香港蘭とも呼ばれる「バウヒニア」の花は2月下旬頃まで次々と花を咲かせ続ける。

 12月30日の年末から1月3日までの5日間は、期末試験の実施や採点、根を詰めての成績表の作成におわれた日々となった。中国の大学も小中学校も1月1日だけが祭日休み。日本の年末年始は1月1日以外は授業日だ。12月31日の午後4時ころ、大学からアパートに向かう途中のバスの中から、孫の下校を正門で待つ大勢の祖父母たち(迎えにきている)や親の電動バイクでごつたがえしていた。

 師範大のバスを降りて、大学のグラウンド付近を見ると「瓢箪笛(ひょうたんふえ)」を演奏している女性が二人。この笛は日本の小学校で音楽の時間に使う「縦笛」の同じようなものなので、音を出すのは「篠笛(横笛)」のように難しくはない。扇子を使った舞をしている老年の人たちの姿も。

 1月1日は、中国でも一応の元旦・新年だ。(本当の新年快楽は旧正月・春節)  このため、1月1日には、各省のテレビ放送局では「新春歌会」がけっこう大規模に開催され放映される。それぞれの地方での新春歌会の規模は日本の大晦日の「NHK紅白歌合戦」に勝るとも劣らない。

 これが春節時の大晦日に開催され全国放映される中国中央テレビ局(CCTV)主催の大晦日歌会ともなると、その豪華さや規模はNHK紅白歌合戦の数倍規模のすごい演出となり、内容的にもとても豊かで飽きさせなく見応えがある。これを観ると、NHK大晦日歌合戦はもうはるか遠方に霞んで感じてしまう。もともとは、NHK紅白歌合戦の中国版として始まった番組なのだが。

 1月3日(金)の午後、福州市内に用事があるため、地下鉄を利用することにした。アパートから最も近い地下鉄駅「上藤(シャントング)」近くに「独立庁」という歴史的な建物があるので、3年ぶりに立ち寄ってみた。ここは1911年に清王朝打倒の「辛亥革命(しんがいかくめい)」勢力の福建省地区での策源地となった場所だ。1912年、孫文(孫中山)がここで講演をしている。その講演をした小さなホールも残されている。「天下為公 共進大同」の孫文の言葉も。

 その後、福建省福での辛亥革命軍の本拠地(司令部)は、福州城の中心地である小高い山である宇山(ユイシャン)に置かれた。その建物群は今も残る。福州人民広場(五一広場)のそばにあるこの山の麓には、今、巨大な毛沢東像がそびえている。独立庁の建物を出ると、近くの小学校に孫娘を送って行く途中の祖母が大きなリュックサックを背負って歩いていた。孫娘のリュックだが‥。中国ではこのような光景があたりまえで、日本のような「自分のことは自分でさせる」という子育て・教育とは真逆の「小皇帝」家庭教育だ。

 中国のインターネット記事に載っていた絵画。画家の男性の写真とともに絵画作品が掲載されていた。女性の人物画なのだが、一見、写真のような、しかし、写真をはるかに上回る絵画(肖像画)だ。人物の表情はもとより、衣服の描き方にも感嘆させられる。

 スーパーマーケットの化粧品売り場で見かけた絵画。中国風の女性の描き方がとても上手だ。

 

 

 

 


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