彦四郎の中国生活

中国滞在記

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映がようやく始まった❶—映像の美しさ、内容の面白さを感じる歴史大河

2020-01-21 19:15:06 | 滞在記

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が1月19日(日)からいよいよ始まった。

 主人公の明智光秀。彼の前半生は謎に包まれている。最も有力な説の出生年は1528年。これも1516年や1540年など諸説あるがいずれも子(ね)年、今年と同じ鼠年である。出生地も5説あり、そのうち4つが岐阜県、1つが滋賀県多賀町。1556年(28歳)、明智城が落城し美濃(岐阜県)を追われ、妻とともに放浪の旅に。

 1567年(39歳)、越前・朝倉家の家臣として、足利義照と出会う。1569年(41歳)、織田信長に初めて謁見する。1576年(48歳)、織田の有力武将として、丹波・丹後地方(京都・兵庫)への侵攻を信長より命じられる。1582年6月、本能寺の変により信長を自決に追いやるが、その後の山崎(天王山)合戦にて羽柴秀吉軍に敗れ、光秀の居城・坂本城に逃れる途中で土民たちに殺害され死去。享年54歳。信長はこの年、49歳だった。人生50年といわれたこの時代の歴史的大事件だった。

 私は大のNHK大河ドラマやNHK朝ドラ好きだが、昨年度のNHK大河ドラマ「いだてん」だけは、ほとんど観ることもなかった。脚本、演出、過剰演技のまずさばかりが際立ったドラマだった。また、昨年4月からの朝ドラ「なつぞら」はかなり良かったが、10月から始まっている「スカーレット」はつまらないので、主人公の父親(北村一輝)が亡くなってからは、もう観ることもなくなった。こんな中、ようやく始まった「麒麟がくる」。初回は通常の45分間ではなく75分間放映だった。

 初回の75分間を観た。長く感じず、なかなか良かった。美濃の明智庄の田園風景が美しい。登場人物たちの衣装の色とりどりの色彩も美しい。

 村を襲う野盗たちの群れ、それを迎え撃つ明智庄の武士たち(土豪)との演出もなかなかだ。光秀役の長谷川博己も清々(すがすが)しい。

 物語の推移テンポはなかなか早いが、早すぎると感じさせない脚本や演出。「いだてん」のような過剰演技もない。木本雅弘演じる稲葉山城城主・斎藤道三。渋さのさかにも迫力のある人物をじっくりと演出させながら表現している。明智庄➡稲葉山城➡明智庄➡堺➡京都と移る物語の進行テンポに緩急がある見事な脚本・演出だ。京都の医師の助手をしている娘・駒役の門脇麦も初々しい。

 斎藤道三の娘・帰蝶役に急きょ抜擢された川口春名という女優さん。帰蝶役としてはかなり物足りなかった。薬物常習で逮捕された沢尻エリカがもともと帰蝶役だったが、彼女の退役は仕方がないが惜しまれる。

 NHK出版の「大河ドラマ・ガイド 麒麟がくる」を買って見る。ドラマの配役が掲載されている。明智光秀の母親役の石川さゆりや妻・熙子役の木村文乃などなど、戦国の女たち。そして男たちの群像とそれを演じる俳優たち。

 ガイド冊子本には、このドラマの脚本を書いている池端俊策(1946年生まれ)、俳優の長谷川博己(1977年生まれ)、木本雅弘(1965年生まれ)の3人の対談が掲載されていたので興味深く読んだ。「麒麟とは何か?」「麒麟がくる」というドラマの題名はなぜつけられたのか?についても語られていた。この麒麟や題名の由来については次号のブログで触れたいと思う。

 京都民報という地方週刊新聞などでもこの「麒麟がくる」が特集されていた。コンビニエンスストア―に行くと、明智光秀に関する書籍雑誌が何冊か置かれている。『明智光秀』(ピア社)や『歴史人―明智光秀の真実』(kkベストセラーズ)の2冊を購入して読む。

 『歴史人―明智光秀の真実―天下の謀反人と呼ばれた男は何者なのか―「麒麟がくる」主人公・明智光秀の全てがわかる』は、光秀の54年間についてとても詳しい。その中で、1576年 光秀48歳の時から4年間をかけて「丹波平定戦」を戦っていくのだが、光秀が 抵抗する丹波・丹後国衆の城を落城させたていった(八木城・宇津城・園部城・八上城・黒井城・横山城[後の福知山城]・弓木城など)。また、丹波・丹後平定後に明智方の拠点・城郭として築城や改修された城として亀山城・周山城・八上城・黒井城・福知山城・須知城などが京都府を中心に存在している(城址)。

 これらの城址は全て行ったことがあるが、とりわけ素晴らしいと思える城址(山城)は、黒井城[兵庫県春日町黒井]・八上城[兵庫県篠山市]、八木城[京都府八木町八木]、須知城[京都府丹波町須知]、周山城[京都府京北町周山]の5城だ。いずれも45分〜1時間半ほどの山登りとなるが。(※いままでに京都府内や兵庫県内にまたがる丹波地方や京都府内の丹後地方[丹波・丹後地方]では、その多くは山城だが、いままでに80余りの城址を訪れた。[登頂した]  そのなかでも、この5城はなかなかよかった。)

 また、かなりの山城ファンでも ほとんどの人が行ったことがないと思われる宇津一族の居城・宇津城と宇津嶽城[京都府京北町宇津]も面白い。私は 信長や光秀の軍に抵抗し続け滅ぼされた宇津一族に興味を持っている。私の妻の里の家(京都府京北町山国)の目の前には、地元の人にもほとんど知られていない「中江城」という山城がある。誰が築城したのか歴史的にはまだ不明だが、宇津一族が築城したのではないかと私は思っている。土だけで成る、典型的な山城の一つだ。

 応仁の乱から始まる日本の戦国時代(中世)、とりわけ京都・滋賀・兵庫というこの時代の日本の中心的地方には、山間部でも小さな平地(山間盆地)があれば、そこにはそこを領する地方国人や土豪・豪族たちの城があった。より大きな勢力下に帰属しながら一族と小さな所領を代々守って暮らしていた。大きな勢力が侵攻してくれば「どちらについて味方をするか?」という判断を常に迫られることとなる。丹波地方はこんなことの繰り返しの100年間だった。小さな山城に登りながら、城址にたどり着き、「そんな一族郎党の運命を守りながら、時代の波にさらされ続けた人々」の古(いにしえ)のことに思いを馳せながら、15年ほど前から 丹波・丹後地方や全国の一つ一つの山城を訪れてきた。(京都府は約1000の城址・滋賀県は約3000の城址・兵庫県は約2000の城址、全国的には約3万の城址が存在するが、都・京に近いこの3府県はとりわけ城址が多い。)