彦四郎の中国生活

中国滞在記

NHK朝ドラ「まんぷく」モデル・安藤百福、自叙伝やドラマでは語られない彼の人生―日本のテレビドラマ❷

2019-04-23 00:30:06 | 滞在記

 中国に赴任して6年目があと2カ月間あまりで終わろうとしている。中国での食生活で、カップラーメンをどれくらい食べただろうか。日本のカップラーメンと味や香り(におい)は少し(かなり)違って中国人好みのものしか販売されていない。日本人の私にも、まだ食べやすいカップラーメンを見つけて食べている。(※上記の左写真) 

 日本から日清食品のチキンラーメンも運んで、月に2回ほど、これはごちそうとして食べてもいる。中国生活で1週間に4食くらいはカップラーメンを食べているので、年間に150食くらいは食べているだろうか。毎回、ネギや昆布なども入れて栄養価も少し考えて食べている。食べ過ぎの感はあるが、このカップラーメンという食品にはとても助かってもいる。

 3月30日に、NHK朝ドラ「まんぷく」が最終回となった。昨年の10月からずっと見続けていたが、とてもおもしろく、またとてもよいドラマだった。萬平役の長谷川博己や福子役の安藤サクラ、福子の母親役の松坂慶子など、俳優・女優もそれぞれの個性がとても見応えがあった。どの役の人もそれぞれがはまり役という感があった。脚本はたしか福田靖さんだったかと思うが、これもよかったと思う。中国生活での無聊(ぶりょう)を慰められ、このドラマには感謝したい。

 萬平さんのモデルは日清食品の創業者で、「即席ラーメン」や「カップ麺」を発明し製造販売した安藤百福(ももふく)[1910―2007年]。福子さんのモデルは安藤仁子[1917年—2010年]。彼の死去に際して米メディアは「インスタントラーメンの父」「ミスター・ヌードル」と称えた。昨年の11月に1週間ほど日本に帰国した際に、京都の丸善書店で『魔法のラーメン発明物語—私の履歴書』(安藤百福著)という自叙伝を買って読んだ。安藤百福は、1910年に日本統治下の「台湾」南部で生まれ育ったが、資産家だった両親は彼が幼いころに亡くなり、祖父母のもとで育てられたと自伝には書かれていた。

(集合写真:中央は美和を抱く呉百福、左端は金鶯、右端は黄綉梅、前の二人の男の子は美和の兄)

 4月に入ってからの最近知ったことだが、安藤百福は、「呉百福(ウー・バイフゥ)」という名の、生粋の台湾人だった。父も母も生粋の台湾人だったが、当時台湾は日本統治下におかれていた為、百福は日本国籍を持っていた。1945年8月の日本の敗戦を受け、台湾生まれの百福は、大日本帝国国籍から中華民国国籍となっている。そして、1945年に福子のモデルとなっていた安藤仁子と結婚した。いわゆる国際結婚であった。1966年に日本に帰化して日本国籍を再取得。仁子の姓「安藤」を名乗るようになった。

 また、「呉百福」(安藤百福)は、仁子と結婚する以前に台湾女性と結婚(第一夫人[正妻]の黄綉梅)していた。1928年、百福が18歳の時だった。そして男の子を一人もうけている。また、1938年に知り合い、後に第二夫人(妾)となった台湾女性の金鶯との間には、2人の男の子と1人の女の子をもうけている。(※女の子の名前は「呉美和」) 1939年から日本の大阪で金鶯と同棲をしていた。台湾には妻の黄綉梅と息子が暮らしていた。いわゆる、日本と台湾を行き来して百福は「メリヤス商売」(台北と大阪に店)をしていた。

 1943年から44年頃に関西財界の社交場「大阪倶楽部」で受付嬢をしていた安藤仁子と知り合い、逢瀬を重ねるようになり、金鶯や子供達との家庭生活は破綻し、金鶯は子供たちを連れて台湾に戻った。そして、呉百福は1945年に安藤仁子と結婚をすることとなった。台湾に住む金鶯と子供たちへの仕送りや黄綉梅と息子への仕送りは、ずっと続けていたようだ。そして、黄綉梅との間にできた子供(長男)を大阪に引き取っている。後の日清食品二代目社長となる安藤宏寿氏である。(宏寿の母・黄綉梅とは離婚はしていなかった) まあ、当時の世相(台湾と日本にまたがるという)としてはこの二重結婚はそんなに責められるたり罪に問われることはなかったようだ。

 私が買って読んだ安藤百福の自叙伝(90才前半に書いた)には、これらのことは一切書かれていなかった。朝ドラ「まんぷく」はあくまでも、創作されたドラマだった。また、モデルとなった安藤百福という不世出の人もまた、まあ、波乱万丈な人生を歩んだ、自分史の物語を作った人だった。

 百福と日本人である仁子との婚姻については2005年に、大阪家庭裁判所が「黄綉梅との婚姻関係が法的に解消されていず、重婚であり無効」との一審判決が下された。しかしその2年後の2007年に安藤百福として彼は死去した。享年97歳。2010年には安藤仁子が死去した。享年93歳。

 百福の実の娘の呉美和(上記の写真)は、今は老境にはいっているが、台湾ではホームレス同然の困窮生活をおくっているようだ。なんとか飛行機代を作って今年の2月から1カ月間、単身で台湾から来日し東京に滞在した。簡易宿泊所に最初は寝泊まりしていたが、宿代が足りなくなり、新宿中央公園などで野宿をし、アルミ缶などを回収して換金したりして なんとか滞在を続ける。彼女には父・安藤百福への強烈な憧憬と敬慕の念があり、「安藤百福の娘として、世間に認めてもらいたい。そして、安藤家の異母弟や異母妹に金銭的にも救いの手を差し伸べてもらいたい」という思いがあったようだと伝えられていた。何度か日清食品の本社などにもアポなしで行ったようだが、異母弟や異母妹などには会えずじまいで、台湾に戻って行った。(美和の母・金鶯はすでに1972年に亡くなっている。)

 ドラマの萬平さんは、ドラマの中としての萬平さんだった。また、偉人の部類に入る安藤百福さんだが、彼が書いた「自叙伝」に上記のことかまったく一言も書かれていなかったことに、「百福さんの人間としての弱さやじくじくしたもの」を感じたりもする。「波乱万丈人生の偉人だが、偉人・聖人ではなかった」安藤(呉)百福さんだとも思った。多くの人間は、「一生の中の出来事で人は、人に語りたくないこと」もあるものだなとも思う。私も、自分の一生(物語)を振り返る年齢となってきた。