彦四郎の中国生活

中国滞在記

「十八大精神・向雷鋒学習・文明・就学立身」―中国の大学の黒板・掲示板などに書かれる四大標語―

2015-05-05 06:45:34 | 滞在記

 中国の大学を訪れると、教室の後黒板やキャンパス掲示板に標語やスローガンが書かれ(描かれ)ているのをよく目にする。私が勤めている閩江大学の掲示板や教室の後黒板にも多く書かれている。色彩的にも美しい絵と言葉が描かれている場合が多い。言葉でよく書かれているものの一つに「十八大精神」とか「向雷鋒学習」とかの言葉がある。初めて中国の大学に赴任した時、これらの言葉の意味がよく分からなかったが、赴任後半年ぐらいして分かってきた。(※最初のころは、18の標語スローガンがあるのかと思っていた。)

 「学習十八大精神」の「十八大精神」とは、2012年の「中国共産党第18回全国人民代表大会」で採択された基本方針のことであった。「この大会で習近平同志を総書記(主席)とする新中央指導部を選出した。経験豊富で働き盛り、才色兼備かつ有為で奮い立っている同志が中央指導部に入り、党の中央指導部の世代交代を再び実現した。中国の特色ある社会主義が勢い旺盛で、松明が受け継がれ、しっかりとした後継者がいることを示すものである。」「この第18回大会で示された方針を真剣に学習宣伝し貫徹することによって、中国の特色ある社会主義が実現される。」「歴史的意義の大きい十八大精神である。」などと説明されてもいる。

 「向雷鋒学習」とは、「雷鋒から学べ」という意味である。この「雷鋒(らい・ほう)の名前を知らない中国人はいないようだ。中国の街では、よく見かけるし、小学校の教科書などにも何十年も掲載されている人物らしい。
 雷鋒は中国人民解放軍の模範兵士とされてきた人物であった。1962年、電柱を輸送中のトラックを立て直す作業中に頭を強打して死亡。22才であった。死後、毛沢東などの共産党幹部の言葉を引用した日記が見つかった。毛沢東により、人民解放軍の思想的モデルとして宣伝に利用されるようになり、今日まで政府キャンペーンで常に登場している。3月5日は「雷鋒に学ぶ日」として、学生たちが公園や街路なとで掃除をする日になっている。「自己犠牲的精神」「人民に奉仕する」がこのキャンペーンの中心的思想モデルである。一般の企業や工場などにも、雷鋒の像を設置しているところが結構多いという。

 この「雷鋒に学べ」のスローガンに対して、肝心の中国国民や学生たちは、「どう思っている」のだろうか。一度聞いてみたいとは思うが----。中国のネットに次のような主張が掲載されていた。
 
 北米には雷鋒がいないが、そこには道徳がある    南米には雷鋒がいないが、そこには人道がある
 欧州には雷鋒がいないが、そこには信用がある    オーストラリアには雷鋒がいないが、そこには博愛がある
 アフリカには雷鋒がいないが、そこには良心がある  インドには雷鋒がいないが、そこには慈悲がある
 日本には雷鋒がいないが、そこには寛容がある    
 中国にはあちこちに雷鋒がいるが、道徳と人道と博愛と良心と慈悲の精神が消えている
 これこそ百の説法「屁(へ)」の一つである

 なにか、中国社会を言いえて妙な主張の言葉のような気もする。2006年に南京市で起きた「彭宇事件」(転んだ老人を助け起こし病院に送り届けた彭宇さんだが、その老人は彭宇さんが突き飛ばしたために転んだと賠償を求めて告訴した事件。裁判所が賠償命令の判決をいともたやすく下したことには想像を絶する。)などが起きる中国社会。人が道に倒れていて、近くを通り過ぎる人が誰も近づいて助けない映像をテレビで流されていたことを見たこともある。1年8か月間、中国で住んでいて、道徳や礼という「民度」の低さも感じる社会である。
 日本においては、制服を着ている人は、公務員であれその他の人であれ、礼儀正しく職務に忠実に人に親切に対応するが、中国では態度が横柄でいばりくさっていたり、賄賂を公然と要求する公務員などの実態が後をたたないというよりも多い。中国政府も、「汚職追放」を重点政策としているが、その問題の裾野は広く、かなりの年数がかかるだろうと思われる。

 「文明」とは、「中国人の悪いマナーを改善し向上せよ。」という意味のことである。これについても、中国政府はテレビなども通じてキャンペーンを行っている。また、「就学立身」とは、読んで字のごとく「学を修め身を立てよ。」という意味のこと。
 日本語学科の学生がよく使う教室には、日本語で「雨にも負けず 風にも負けず」「雨だれ石を穿つ」「千里の道も一歩から」の言葉がある。