彦四郎の中国生活

中国滞在記

宿舎近辺にある地区の子どもたち―チャンバラ・かくれんぼ―

2015-05-29 19:23:05 | 滞在記

 今日5月29日、午前中いっぱいの授業を終え、学生たちと食堂で食べ、研究室に戻り昼寝をした。「梅雨の晴れ間」、とにかく蒸し暑いの一言につきる一日だった。気温は午後には38度、夕刻になっても35度。「蒸し暑い」は、中国語では「闷热(メンルォー)」と書き発音する。心が悶絶(もんぜつ)するような熱気という意味が感じられる単語だが、そんな一日だった。

 インターネットが不通になり始めた日の翌日の5月14日(木)。授業がない日だったので、午前中、長い散歩にでかけた。台江街まで行き、宿舎に戻る途中、川向うの小さな丘のようになっている盛り土の上で子どもたちが遊んでいる姿が見えた。盛り土の丘の上の周りが布で囲まれているので、てっきり「隠れ家」を作って遊んでいるのだろうと思った。面白そうなので、小さな橋を渡って行ってみた。
 ここは貧民街的な地区である。かなり広いエリアにこの貧民街は広がっている。何度かこの地区の中を散策したことがあるが、迷路のようになっている住宅地。庶民の生活が息づいている面白いエリアである。
 行ってみたら、おじいさんのような人に子どもたちが怒られて、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めたところだった。小さな盛り土丘の上は、そのおじいさんが「畑を造り野菜を育てていた」場所だったのだ。
 怒られた子どもたちは、すぐにチャンバラごっこを始めていた。小学校の低学年~中学年の子どもたち数名が実に活発に遊びまくっていた。「一番小さな赤い服を着た子供×ほかの子どもたち」という感じでチャンバラごつこをしていた。小さい子は、泣きながら戦っていた。しばらく様子を見ていたが、「いじめ」という感じではない。このようにして、悔しさを乗り越えてたくましく育っていくのだろうなと思った。

 写真を撮っているのに気がついた子どもたちが、私の方に集まって来た。撮った写真を見せてと言っているので、見せてあげたら笑顔で笑っていた。

 チャンバラに飽きた子どもたちは、蓆(むしろ)を穴の上に置いただけの「落とし穴」づくりを始めていた。近くの空き地には、この地区のおじさんやおばさんたちが、荒れ地を利用した野菜の畑を世話していた。

 この地区一帯は、都市の環境美化政策のため、川の沿岸を東西4キロあまりにわたって河川公園を両岸に作成中だ。そのため、川沿いの古い建物は、全て取り壊された。取り壊された空き地が公園に造成されるまでの期間、畑を作っているようだ。

 別の場所では、畑の植物を利用して「かくれんぼ」をしていた。しばらく様子を見ていたが、日本のかくれんぼとまったく同じだった。鬼になる子は、日本では目をつむって「1・2・3・4-----29・30」ぐらい数えるが、中国では「イー・アル・サン・スウ-------・アルスージョウ・サンスー」と数えていた。

 川の方を眺めていると、6月の「端午節」に行われる、福州ドラゴンボート大会に向けて練習している船が通過して行った。