長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

さきの戦争

2015-04-11 08:24:15 | Weblog

東京では、「さきの戦争」というと、70年前に終わった太平洋戦争のことを指す。

京都人の先の戦争というと、応仁の乱のことをさす。その時に西の陣になった

あたりを西陣といい、織物の街として栄えてきた。その西陣から毎年上京して

「染めもん展」が始まった。とむさん、こと野村富造さんが、ろうけつ染めをやっていて、

着物やネクタイやTシャツなどの素敵なアイテムを東京に持ってきてくれた。お茶会

の時は、彼が染めてくれた着物や袴で武装し、ここ、という時の戦闘モードの時は、

彼のろうけつ染めのネクタイで出陣したものだ。今も「ここ」という時には、トム作の

ものを身に纏う習慣がある。明日までやっている「染めもん展」は、2011年に

旅立ったとむさんの意志を受け継いだ河野さん夫妻がやってくれる。今年は奈良の

作家さんのものも加わり、二都物語だ。

京都で初めて下宿したところの近くに「太秦の撮影村」があった。そこをささえてきたのも、

着物や染物や地場のものつくりだ。江戸に都に移ってから、古都といわれているけど、

実は、古くて新しいものがいっぱいある。1300年も前に、近江大津京をつくった天智天皇

が始まり。今の天皇も、さきの戦争の激戦地などを訪問して、これから先にさきの戦争みたいな

愚かで悲惨なことを繰り返さないようにと願いながら、老体に鞭うってがんばっておられる。

それに引き換え、政府の体たらくというか、今の時代に逆行するような動きは、がてんがゆかぬことが多い。

天真庵の建物も東京大空襲の時に焼けて、その年に立てられたものだ。戦後70年であり、築70年。

昭和も戦争も遠くなったけど、70年も戦争がなく平和が続いた、ということでもある。これから先も

「先の戦争」が、太平洋戦争であり、京都では応仁の乱のままで、平和という言葉がいらないくらい

このままいけばいいと思う。右翼とか左翼とかいう言葉もなんか使いすぎや。きんたまだって、右

や左に寄っている。それを右や左やいうのとかわらへんじん。