昨日不思議な女性が遊びにきた。
スペインに演奏旅行にいって帰国した足で、蕎麦を手繰りに
こられた。インドの民族音楽をやっているらしい。
土曜日に京都の寺でライブをやる、ということだ。
直感的に「もしかして・・・」と思いきいてみると
「ピンポン」だった。そこは黒谷のお寺で、3年くらい前に
「梅見の会」で、ぼくが蕎麦をうったことがある。
しかもそこにこられるという人の中に、知人がいた。
時々、この界隈は「100人くらいしか住んでいないのは?」
と思うことがあるが、京都も100人?なんて思ったりすることもある。
どの街も、「あのひと」が住んでいる街、というのは、「たったひとりの
あのひと」でイメージが変わってしまうものだ。人の「思い」というのは、
時空を超えて存在する。
手術室にいく直前の友だちから丁寧なメールが届いた。
本日の8時半から、食道ガンの手術。
ただただ祈るだけ。今日は休みだけど、いつものように
これから珈琲の焙煎をしようと思う。自分流のたったひとつの
瞑想法みたいなものだ。合掌。
スペインに演奏旅行にいって帰国した足で、蕎麦を手繰りに
こられた。インドの民族音楽をやっているらしい。
土曜日に京都の寺でライブをやる、ということだ。
直感的に「もしかして・・・」と思いきいてみると
「ピンポン」だった。そこは黒谷のお寺で、3年くらい前に
「梅見の会」で、ぼくが蕎麦をうったことがある。
しかもそこにこられるという人の中に、知人がいた。
時々、この界隈は「100人くらいしか住んでいないのは?」
と思うことがあるが、京都も100人?なんて思ったりすることもある。
どの街も、「あのひと」が住んでいる街、というのは、「たったひとりの
あのひと」でイメージが変わってしまうものだ。人の「思い」というのは、
時空を超えて存在する。
手術室にいく直前の友だちから丁寧なメールが届いた。
本日の8時半から、食道ガンの手術。
ただただ祈るだけ。今日は休みだけど、いつものように
これから珈琲の焙煎をしようと思う。自分流のたったひとつの
瞑想法みたいなものだ。合掌。