天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

桃太郎市・・・

2013年02月09日 23時09分12秒 | 日記
 昨夜は、仕事上の酒飲みがありました。
 異業種交流のような酒飲みですが、気を使う人もいて、
 少々疲れてしまって、日記を休みました。

 先月29日に、岡山市の高谷茂男市長自らが鬼の扮装をして、
 「おしい!桃太郎市。改名します」と発表する“記者会見”の模様が、
 同市のホームページに流されました。
 「おしい!」は広島県がタレントの有吉弘行さんを起用してのPRで、
 「おいしい」の一歩手前との意味で使い始めました。
 改名は、香川県が「うどん県」にするとの事で使われた手法です。
 どうやら話題作りのために、わざと“二番煎じ!?”を演じたようです。

 実際は今月の1日から「伝説の岡山市」をアピールする事前PRだったようですが、
 同市のHPには3日間で39万回ものアクセスがあったとの事で、
 一応の成果を挙げたようです。

 僕は、昨年11月に岡山県を訪れ、
 国宝の閑谷学校、吉備津神社などを回り、倉敷市にも行きました。
 岡山市内の後楽園や岡山城など観光資源に恵まれた所だと思いました。
 しかし、それらが全国的な知名度があるかと言うと、どうも今一つのような気がします。
 その辺からの今回の試みなのでしょうが、
 真面目に名所だけをPRするよりは、インパクトがあるように思います。

 かつて、子どもが遊んでいたファミコンのソフトで、桃太郎電鉄と言うのがあり、
 僕も好きで、結構遊んでいました。
 日本各地の伝統的な産業や施設等を買って、利益を得ると言うゲームでしたが、
 岡山市が中心になっていて、「桃太郎ランド」と言う巨大な遊園地がありました。
 岡山駅前には、桃太郎の像も立っていますし、
 お土産に吉備団子も買って来ました。
 岡山と桃太郎の組み合わせは違和感はないですね。

 地方自治体のPRと言うと、
 滋賀県彦根市でゆるキャラの「ひこにゃん」を作って以来、
 全国の地方自治体でゆるキャラブームが起こりました。
 栃木県では「とちまる君」を作り、
 市や町のほとんどで、何らかのゆるキャラを作っています。
 僕はこのブーム、どうも好きではありません。
 何でも真似すれば良いとの発想の貧困さを感じてしまいます。

 香川県や岡山市の改名の取組、僕はユニークな発想で良いと思いますが、
 三番煎じ四番煎じの地方自治体が出なければ良いと思っています。

 今日は3連休の初日です。
 この3連休は何も予定がないので、のんびり暇を楽しもうと思っています。
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羹に懲りて膾を吹く・・・

2013年02月07日 21時31分28秒 | 日記
 昨日、南太平洋のソロモン諸島の沖合で、マグニチュード8の地震がありました。
 津波が発生して、3つの村が壊滅状態になったとの報道ですが、
昨日の夕方現在、死傷者数は少なくとも5人との事でした。

 この地震を受け、気象庁は太平洋側のほぼ全域にわたって津波注意報を発令しました。
 津波注意報は、高さ50cmまでの津波が予想される場合に発令されます。
 この注意報により、住民の避難勧告を出したり、避難所を開設した市町村などが
 多数にのぼりました。
 岩手県の陸前高田市の中学校では、午後3時前の津波注意報の発表と同時に、
 全校生徒275人を教室に待機させましたが、
 帰宅させたのは、午後11時前に注意報の解除を受けてからだったと報道されています。
 昨夜は、夕方からのニュースで何度も津波の情報が流され、
 些かうんざりした人も多いのではないかと思います。

 昨年12月7日の三陸沖地震で津波警報が発令され、
 NHKのアナウンサーが強い口調で呼び掛けて論議を呼びましたが、
 気象庁や報道は大事を取り過ぎているのではないかと思います。
 羮に懲りて膾を吹くと言う諺が頭に浮かびます。

 原子力発電所に関する活断層の定義についても、
 活動範囲は「12万~13万年前以降」と従来の基準と変えないものの、
 不確かな場合は「40万年前以降」まで遡って検討することにしていて、
 40万年が基準になりそうな気配です。
 40万年前と言うと、マンモスが誕生した頃であり、
 ホモサピエンスが誕生するのが約20万年ですから、現代人の歴史の倍遡る事になります。

 東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故により、
 我々はこれまでに経験した事のない被害を受けました。
 その後、色々な基準が設定されましたが、
 いずれもが厳し過ぎる内容なのではと思います。
 例えて言えば、交通事故で死者が出ているから、
 自動車のスピードを時速30km以下にしてしまえと言うような基準が
 まかり通っているような気がしてなりません。
 可能性をゼロにする事は、無理な事のように思います。
 実現可能性を考える冷静な態度が必要なのではないかと思います。
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雪の降る街を・・・

2013年02月06日 21時18分57秒 | 日記
 今朝起きた時から雪が降っていました。
 雪は一日中降っていて、上がったのは午後5時過ぎでした。
 ほぼ天気予報通りです。

 前回の雪で学習したのでしょう、街中もそれほどの混雑ではありませんでしたし、
 遠くから通勤する人も前回ほどには時間が掛からなかったようで、
 却って、早く家を出て来たので、早く職場に着いてしまったと言ってる人がいました。
 雪かきをした所も前回より多くて、通勤もそれほど危ない感じはありませんでした。

 宇都宮の積雪は7cmとニュースで言っていました。
 一日中降っていましたが、それほど積もった訳ではありませんでした。
 どんどん溶けていたのかも知れません。
 午後から気温が急に下がった感じでした。

 帰り道歩きながら「雪の降る街を」を口ずさんでいました。
 余りスリップに注意しなくても良かったものですから^^

  雪の降る街を 雪の降る街を
  思い出だけが 通り過ぎてゆく
  雪の降る街を 遠い国から落ちてくる
  この思い出を この思い出を
  いつの日か つつまん
  温かき幸せの ほほえみ

  雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を 一人心に満ちてくる
  この悲しみを この悲しみを
  いつの日か ほぐさん
  緑なす春の日の そよ風

  雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を 誰も分らぬわが心
  このむなしさを このむなしさを
  いつの日か 祈らん
  新しき光り降る 鐘の音

 内村直也作詞、中田喜直作曲の名曲です。
 1952年高英男が歌ってヒットしましたが、
 元々はNHKラジオで放送された連続放送劇「えり子とともに」の挿入歌だったそうです。
 全く関係ないですが、この放送劇から名付けられた女の子が同級生にいました。

 短調と長調が途中で切りかえられる曲で、そこが魅力的な気がします。
 「誰も分からぬわが心」この歌詞が昔から好きです。
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リチャード3世・・・

2013年02月05日 21時37分30秒 | 日記
 昨夜は、先輩からの誘いで、酒飲みになりました。
 JR宇都宮駅近くの中華料理の店でしたが、美味しかったです。
 少人数でしたが、
 時間を駆け巡る話題が尽きず(昔話に花が咲いて)楽しい酒飲みでした。

 昨日は立春でしたが、暦通りの暖かな一日でした。
 今日も暖かでしたが、今夜半から雪になるとの予報です。
 明日の朝、積もってなければ良いですが。

 今日のネットのニュースを見たら、
 2012年9月にイギリスのイングランド中部レスターの駐車場から発掘された
 500年前の男性の遺骨が、中世の国王リチャード3世(1452~1485)のものであると、
 確認されたとの記事がありました。
 レスター大学の考古学チームが、
 リチャード3世の姉の直系子孫2人のDNAを用いて鑑定を行った結果との事です。
 姉の直系子孫と言うのが、どうも気になるところではありますが、
 学術的な結論は出たとチームでは断定したようです。

 リチャード3世は、15世紀半ばの30年に及ぶ薔薇戦争の最後に登場する人物であり、
 1485年8月22日に、リッチモンド伯ヘンリー・テューダーとの間で
 ボスワーズの戦いが行われ、リチャード3世が戦死した事により、
 ヘンリーによるテューダー朝が樹立して薔薇戦争が終わります。

 リチャード3世は、同じタイトルのシェイクスピアの演劇がありますが、
 これによる影響からか、怪異な容貌の狡猾な人物のイメージです。
 今回の遺骨は、頭蓋骨が残っていますので、復顔してみると面白いかも知れませんね。
 リチャード3世については、実は良い人だったとの説もありますが、
 ともかくイギリスの中世史の勉強の機会になりました。
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栃木県交響楽団・・・

2013年02月03日 21時50分11秒 | 日記
 今日は、午後から栃木県交響楽団の定期演奏会に行って来ました。
 栃木県交響楽団は、1970年に結成されたアマチュアのオーケストラです。
 これまで何回か聴きに行き、そのたびに日記に書いていますので、
 ご承知の方もいらっしゃると思います。
 昨年の6月10日にも行きましたが、職場の同僚でチェロを演奏している人がいるので、
 聴きに行くのも礼儀かと思い、前回に続いて行きました。
 同僚を見るため、前回と同じように2階席から双眼鏡で見る事にしました。
 チェロは、どうしても奥まった席になりますので、
 2階からの方がよく見えます。
 職場のアルバイトの女性も聴きたいとの事なので、一緒に聴く事にしました。
 席の周囲には知り合いも多くいたので、若干羨望の視線も感じましたが^^
 
 曲目は、
 スメタナの交響詩「モルダウ」、
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、
 チャイコフスキーの交響曲第5番でした。
 この曲は、昨年11月に、キエフ国立交響楽団の演奏を聴いたばかりですが、
 ま~プロとアマチュアですから比較はしない方が良いでしょうね。
 指揮は、末廣誠さんと言う国際的に活躍している方でした。
 2007年2月のやはり栃木県交響楽団の定期演奏会で、
 須藤梨菜さんのピアノでラフマニノフの協奏曲第2番や、
 チャイコフスキーの交響曲第6番(悲愴)を聴きました。
 チャイコフスキーが得意なのでしょうか、エネルギッシュな指揮振りだったと思います。

 ヴァイオリンは、吉田恭子さんと言う女性でした。
 既に多くの交響楽団と共演していますが、
 子ども達への教育プログラムにも熱心に取り組まれている方のようです。
 チョッと演奏が堅いかなと思う感じもありましたが、
 その分清純な感じの演奏だったと思います。
 双眼鏡の威力で、2階席からも綺麗な姿を見られました^^
 
 一緒に行った彼女、お祖母さんの具合が悪いとの事で、
 演奏会終了後、お茶もせずに別れました。
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中国の大気汚染・・・

2013年02月02日 23時36分36秒 | 日記
 北京の大気汚染は長年の難題ですが、1月は4度にわたり強烈な濃霧が襲い、
 1月27~31日までの「第4波」は特に深刻だったとの事です。
 中国環境保護省によると、1月30日のデータで、
 大気汚染の高い数値を示しているのは北京や天津、上海、陝西省西安、江蘇省南京、
 遼寧省瀋陽、黒竜江省ハルビンなど約143万平方キロで、
 日本の面積の約3.8倍近くに達しているとの事です。
 1月に北京で、肺がんやぜんそくなどをもたらす微粒子状物質(PM2.5)が、
 1立方メートル当たり、300マイクログラムを超えたのは、
 計120時間と報じられていますが、独自観測する北京のアメリカ大使館によれば、
 北京の1月の最高濃度は、大使館では計測不能の1000マイクログラムに達したそうです。

 汚染発生の原因は、北京の自動車、天津の石油(関連工場の排煙)、
 (炭鉱の多い)河北省の石炭燃焼とされています。
 特に、500万台以上の車が走る北京市では、
 急速な車の増加に交通インフラ整備が追い付かず、渋滞が深刻化していて、
 低速運転だと排ガス量は5~10倍に増加するとされ、
 質の劣悪なガソリンを使用する車が多いことも重なり、
 汚染がますます進む悪循環に陥っているようです。
 商店ではマスクや空気洗浄機が飛ぶように売れているそうです。

 気になるのは日本への影響ですが、
 30~31日にかけて近畿地方で大気汚染物質「硫酸塩エアロゾル」の濃度が
 急上昇したとみられることが、国立環境研究所の分析で分かったとの事です。
 硫酸塩エアロゾルは、石炭などの燃焼で発生し、
 濃度が高くなると、ぜんそくなどの呼吸器疾患を起こす恐れもあるそうです。
 ただ、まだ基準値を超えた訳ではなく、健康に影響が出るレベルではないとの事です。

 日本でも高度成長の時代に、大気汚染が酷かった時があります。
 中国の現状は、産業が進む段階での一つの現象なのかも知れません。
 しかし、中国は国土も広く、政府の対策も中々効果が表れないように感じます。
 日本の環境技術を輸出できれば、双方にとってメリットもあると思うのですが。

 今日は、午後仕事がありました。
 3時間ほど、研修成果の発表会に出席しました。
 チョッと退屈な感じもありましたが、
 美人さんと再会できたので、ま~良しとすべきなのでしょう。
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テレビっ子・・・

2013年02月01日 22時12分07秒 | 日記
 1953年2月1日午後2時、日本でテレビの本放送が開始されました。
 開局の第一声は、
 「JOAK-TV こちらはNHK東京テレビジョンであります」だったそうです。
 開局式の後、尾上松緑らによる舞台劇『道行初音旅』がオンエアされ、
 これが日本初のテレビ番組とされています。
 当時の受信契約数は866、受信料は月200円でした。

 この年の8月28日、日本初の民放テレビ局・日本テレビも開局します。
 ちなみにテレビスポンサー第1号は『寿式三番叟』を提供した東芝で、
 CM第1号は精工舎の『正午の時報』(22秒)だったそうです。

 テレビ放送が始まって、しばらくして街頭テレビが始まりました。
 宇都宮に街頭テレビが出来たのはいつの事だったでしょう?
 旧市役所前の広場に街頭テレビが出来て、多くの人と見た記憶があります。
 当時人気があったのはプロレスですね。
 力道山の活躍に多くの人が興奮していました。

 僕の家にテレビが入ったのは、1959年(昭和34年)の事でした。
 当時の皇太子殿下のご成婚は家のテレビで見ました。
 そのテレビが家に入った日、
 屋根の上に電気屋さんがアンテナを立てていた姿は今でも覚えています。
 とにかく大変嬉しかったのですね。
 最初に見た番組は「轟先生」だったような気がしますが・・・。

 僕達の年代をテレビっ子と言うのだと思っています。
 生まれた時には家にテレビのあった人と、
 家にテレビの入った時の感動を知っている人とでは、違うと思います。
 テレビに夢中になったのは、僕達の年代だと思うのですが、いかがでしょう?

 テレビっ子の名に恥じず、僕はテレビが好きです。
 最近のバラエティ番組はほとんど見ませんが、
 スポーツや映画、旅番組、動物番組などは今でも好きでよく見ています。
 時々日記にも書いていますので、ご承知の方も多いと思いますが^^

 60年を迎えたテレビ放送ですが、
 これからの情報の高度化の中で、どのような変貌を遂げて行くのでしょうか?
 テレビっ子としては、その行く末をできるだけ見ていたいと思います。
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女子柔道の暴力問題・・・

2013年02月01日 00時01分49秒 | 日記
 ロンドン五輪の柔道に出場した日本代表を含む女子のトップ選手15人が、
 園田隆二女子代表監督等による暴力やパワーハラスメントを受けたと告発した問題で、
 全日本柔道連盟は、一旦園田監督を留任させる方針を明らかにしました。
 しかし、戒告のみの裁定は甘かったような気がしていました。
 結局、今日になって、園田監督は辞任に追い込まれました。

 15人の選手は、柔道連盟で埒が明かないため、JOCに提訴しました。
 言うなれば、身内の問題を対外的に明らかにした訳で、
 選手達の思いの強さを感じるとともに、
 暴力問題が報道されているよりも酷いのではないかと思いました。
 また、柔道連盟の対応の甘さは、
 暴力などが日常的にある問題なのではないかとの疑いを持たせました。

 大阪市立桜宮高校の男子バスケット部主将の自殺以来、
 スポーツ現場での体罰問題が取り上げられていますが、
 女子柔道の問題は、その前に起こっていた問題で、
 昨年9月に一人の選手が柔道連盟に訴えた事が発端だったとの事です。

 15人の中に、金メダルを取った松本選手が入っているのかどうか分かりません。
 松本選手を殴るなんて、僕には怖くてできませんが・・・。
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