MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

いわき市から戻る

2011年03月18日 | 雑想

先ほどいわき市から帰りました。とりあえず川内村から避難した作家たくきよしみつさんのこのページと、そこでもリンクされている民間ボランティアチームのサイトの情報拡散をお願いします。

行きは両手に紙おむつを抱えて羽田から福島空港に行き、そこからタクシーでいわき市の姉の家に。実は前日四倉町にある母の入院していた病院が閉鎖になったため、母を姉の家に移しました。(病院も津波の被害で一階が砂と泥。スタッフも長靴を履いていたとのこと。水も食料もなく自家発電も限界に来たため、やむを得ず閉鎖。)避難した妹たちと母は元気でひとまず安心しました。いわき市は何よりもガソリンその他の物資が底をついており、外からも入っていない状況です。

帰りの飛行機の便はターミナルに泊まってキャンセル待ちになるため、最悪の場合、日立まで何とかたどり着いて、そこからバスという方法を考えていましたが、幸い今日からJR長距離バスが運行を始めるというので、列(500人ぐらい)に並び、乗ることができました。いわき中央から常磐自動車道に入ると走っている車はほとんどない状態でした。道は茨城県に入ってからがひどく、盛り上がっていたり、亀裂が入ったりしています。対向車線はもっぱら緊急車両だけのようですが、すれ違ったタンクローリー車は3台ぐらい。なぜ常磐自動車道を使って物資を運ばないのか不思議です。(あるいは県知事も言っていたように、福島空港からも運べます。)

わが久之浜町の被災直後の写真はこちら。右下に小さく写っている緑の部分が駅の跨線橋です。実家の位置は左上の歩道橋からさらに左に30メートルほどのところにあり、津波と地震の被害は免れました。とりあえずここまでアップしておきます。