MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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TTR「日本の翻訳」特集号刊行へ

2010年06月26日 | 翻訳研究

学会関連の雑務が結構手間がかかり、なかなか他の作業に手が回らない。加齢により事務作業の効率が著しく低下していることも原因のひとつだろう。まもなく年次大会発表の受付や理事会関連の作業も加わる。

TTRの「日本の翻訳」特集号(Volume XXII numero 1 La Traduction au Japn)がようやく刊行されることになりそうだ(早ければ来月)。編者のNatalia Teplovaの紹介に続いて7本の論考が掲載されていて、うち5本は日本通訳翻訳学会の会員によるものだ。目次などはそう遠くない時期に紹介できると思う。しばし待たれよ。しかし、この特集号は何の因果か事故続き(文字通りの事故である)で、刊行が3年も遅れてしまった。したがって僕の論文は3年前の問題意識のままで、今の志向性とは大幅に違っている。もう少し早く日本の翻訳研究のプレゼンスを示したかったのだが、編者Nataliaの大変な苦労を思えば、出るだけでもよしとしよう。


In Other Words...

2010年03月07日 | 翻訳研究

In Other Words... というとMona Bakerの有名なテキストを思い出すが、これはタイトルに[ ... ]がついた雑誌だ。1月の立命館の会議のとき、サンプルコピーが展示されていた。サブタイトルがThe Journal for Literary Translators で、University of East AngliaのThe British Centre for Literary Translationが出している。立命館でも発表していたValerie Henitiukさんが編集しているようだ。名刺をもらったので、メールしたらNo.32(2008 Winter)とNo.33 (2009 Summer)を送ってくれた。
No.32の方が紹介しやすいのでこちらにするが、まずアラビア語の方言やスラングを創造的に翻訳する可能性について、ある種のポルトガル語の話し言葉を英訳すると、リスボンの住民がロンドンのイーストエンド住民やバルチモア市民が話しているようになってしまう問題、エスペラントへの翻訳の問題、オリジナルの言語を読めない読者に向けて翻訳するのはやめようという「挑発的」な提言、文学作品の意味と含意を充分に伝えるために翻訳者は言語の他にどのていど直接的な文化の知識を必要とするのかという問題、ベンガル語の児童文学を翻訳するさいに
、教訓主義を避けて読者がそこから理解と喜びを得るために、翻訳者は何をすべきか、というようなテーマが取り上げられている。つまり、内容はかなり実務的なのだ。いわゆるTranslation Studiesの分野の参考文献は一切挙げられていない。というか文献指示のない文章がほとんどである。ただし書評の一部には翻訳研究の本が取り上げられている。ゲーテのファウストの新訳(英訳)についての書評もある。なぜ新訳なのかについては日本とは事情が違うようだ。

写真は2日前のニコライ堂と明治大学のリバティタワー。以前ここにあったビルが解体されてこの角度から見えるようになったのだが、新しいビルの工事が始まっていて、この2ショットがこの見られるのは短い間だけだ。


Yukari Meldrumさんの博士論文

2010年03月03日 | 翻訳研究


Yukari Fukuchi Meldrumさんの博士論文Contemporary Translationese in Japanese Popular Literature。昨年頂いたのに、多忙にかまけて紹介できないでいた。これはUniversity of Alberta, Department of Language and Cultural Studies; Department of East Asian Studiesに提出されたTranslation StudiesのPhD Thesisだ。『翻訳通訳研究』9号に短い要旨が掲載されている。ひとことで言えば、現代日本のpopular fictionの翻訳規範のあり方、具体的にはこの分野でtranslationese(翻訳調)が読者にどのように受けとめられているかを記述的研究によって探ったものだ。方法はコーパス分析と360人から回答を得た質問紙調査法である。
popular fictionと言ってもさまざまなジャンルがあり、歴史物、スリラー、ミステリー、ロマンス、冒険、自己啓発、ファンタジーなどが含まれている。この論文ではTranslation CorpusとNon-Translation Corpus (comparable corpus)を使っているが、たとえば前者には(題名、著者名とりまぜていくが)Shogun, フォーサイス、シドニー・シェルダン、ハリー・ポッターなどがあり、後者には松本清張、赤川次郎、堺屋太一、小松左京の作品、渡辺淳一の「失楽園」などがある。前者のコーパスの規模は原稿用紙にして約1,000枚、後者は約700枚で、手作業(OCR)で作っている。
構成は、1. Introduction 2. Translationese 3. Japanese Translationese: an Historical Overview 4. A Corpus-Based Study of Contemporary Japanese Translationese 5. Readers' Attitudes toward Japanese Translationese in Popular Fiction 6. Conclusion/ Bibliography/ Appendixとなっている。(全206ページ)
2章は理論と方法、3章は歴史的概観であるが、この部分も精緻で大変興味深い。僕などが見落としていた文献も丹念にレビューしている。結論を単純化してはいけないのだが、あえて言えば、読者は翻訳調に対して極端に否定的でも肯定的でもなくニュートラルである。つまり言われるほど翻訳調を気にしてはいない。翻訳調は現代の日本語に統合されている。異化にせよ同化にせよ、西欧の翻訳研究で否定的に評価されるアプローチは、歴史的・社会的背景を考慮すれば特定の国では否定的には見られない。日本の場合、同化的翻訳は必ずしも否定的にはとらえらず、むしろ優勢な規範になりつつある、というものだ。
この論文は現代日本のpopular finctionの翻訳規範という大きな問題を見事に分析しており、今後の研究の不可欠の参照点、出発点になるだろう。何とか広く読まれる方法があればいいと思う。

小宮豊隆『演劇論叢』について

2010年02月25日 | 翻訳研究



2月19日に「出所不明の論文」を書いたが、その後コメント欄で教えてくれた人がいて(ありがたいことです。どなたでしょうか?)、『演劇論叢』という本に載っているとのこと。古書店にあったので取り寄せてみた。この本自体は昭和12年刊であるが、「戯曲の翻訳」は大正4年の発表のようだ。700頁近い大冊だが、「戯曲の翻訳」は6頁。東の本が引用しているのは全体の約半分である。比べてみると、微妙に句読点の打ち方や語句(「およそ」が「凡そ」だったり)が違う。しかし、その点では東=河盛=別宮であることもわかった。ただし、この三者が初出から引用して、小宮が本にまとめる際に変えたということも考えられるから、これだけでは何とも言えない。
翻訳劇に関する文章がかなり入っていて、翻訳自体についての言及も多い。上田敏、森鴎外、森田草平、島村抱月などの戯曲翻訳を舌鋒鋭く批判しているが、「エレクトラ」を日本初演した松居松葉に対する批評はすさまじい。(「私は初め松居松葉氏の訳本を読んだとき、訳者は、芸術の翫賞といふ事には全然無力(イムポーテンツ)であるといふ事を知つた」、「この訳者は「言葉」といふ事に殆ど何の神経をも持つていない」、「訳者は、言葉に対する敏感を持つてゐないといふよりも前に、外国語に対する知識をまるで持つていない」など。)反対に小山内薫に自分が訳した「父」を批判されたことに対しては、徹底して自分の翻訳を正当化している。上田敏への批判はここで出てくる。ただ全体に、小宮の翻訳についての考え方はわかりにくいのである。戯曲翻訳に興味のある人は読んでみるといいかもしれない。1,800円ぐらいで買える。
初出はいぜんとしてわからない。小宮が奉職していた東北大学と学習院大学の図書館にも著作目録はないようだ。あとは大正4年の演劇関係の雑誌とかを調べる手があるが、そこまでやることもないだろう。長く気にかかっていたことがようやく半分ほど解決したのであった。


「昇曙夢の時代があった」

2010年02月15日 | 翻訳研究

昇曙夢(のぼりしょむ)と言っても知る人は少ないと思うが、二葉亭四迷亡き後、ロシア文学紹介を引き継いだ翻訳者である。中村白葉や米川正夫は次の世代になる。昇について入手しやすい本が2冊ある。和田芳英(1991)『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』(和泉書院)と田代俊一郎(2009)『原郷の奄美-ロシア文学者昇曙夢とその時代』(書肆侃侃房)。和田の本は研究書で田代のは伝記だ。先の宇野浩二の項で触れたように、昇の影響力は現在からは想像するのが難しいぐらいに圧倒的だったようだ。まさしく「昇曙夢の時代があった」(武者小路実篤)のである。和田は、「ひとりの翻訳家の仕事が、同時代の多くの作家(文学者)や作家予備軍、或いは無名の青年達に「芳烈なる新鮮味」(山崎斌)で迎えられ、「思ひ出深い愛読書」(豊島与志雄)となり、第一等の「文学の教科書」(谷崎精二)とまで言わしめた事例をわが国の近代文学史上、私は他に知らない」と書いている。しかし昇に関する研究は少ない。ましてその翻訳の研究となるとほとんどなかったのではないか。上記二著も翻訳自体の分析はない。
 昇曙夢は1953年に亡くなっているが、葬儀の際には鳩山一郎元首相や藤山愛一郎外務大臣からの弔電が届いている。晩年に奄美大島の日本復帰運動に尽力したためだろう。本名は直隆で、雅号の曙夢は内村鑑三の訳詩集『愛吟』冒頭の詩句から取られている。


宇野浩二『わが文学遍歴』

2010年02月11日 | 翻訳研究

宇野浩二(1891-1961)といえば、長い顔の、インバネスに帽子という風貌で、「根気だ根気だ、ただそれだけだ」と言っているようなイメージしかないのだが、この本は面白い。よくある文学的自伝ではなく、明治末から大正時代の文学的雰囲気を知るのに役に立つ記述が含まれている。「外国文学の影響」と「昔の訳詩」という章があって、翻訳研究の資料としても使えるのだ。たとえば昇曙夢については、

「(昇の翻訳は)そのころの文学書生にもつとも愛読された。それは、私などは(私の知ってゐる人はたいてい)、そのころの雑誌を手にすると、創作よりさきに、翻訳物を読んだほどで、そのなかでも、昇の翻訳した作品が私たちの心をひいたほどである。さうして、私は、牛込の神楽坂のちかくの下宿にゐたとき(明治末年ころ)、夜になると、友人と一しょに、神田まで歩いて「趣味」(雑誌の名)、「新小説」、その他、昇の翻訳の出てゐる、古雑誌を買ひ出しにいつたものである。」

こういうエピソードだけでなく、昇の翻訳を神西清の翻訳と比較したり、内田魯庵と米川正夫の訳を比較したり、広津和郎の翻訳まで取り上げている。

ところでこの本、昭和24年刊なのだが、戦争に負けたせいか、紙質、製本がかなり粗悪で、補修しないと読めなかった。たまたま明治31年刊の『ニューナショナル第五読本直訳』というのを買ったのだが、こちらは表紙こそ触れると薄片が落ちるように解体寸前なのに、本文はしっかりしていて、宇野の本よりも紙が白いのである。これについては明日。


『繋思談』の真の訳者

2010年01月25日 | 翻訳研究

いまやっている「日本の翻訳論アンソロジー」関連の仕事で、どうしても気になっていたことの一つに、藤田鳴鶴・尾崎庸夫(訳)『繋思談』の実際の訳者の問題がある。柳田泉などが、実際に訳したのは学生時代の朝比奈知泉(のち東京日々新聞主筆となる明治のジャーナリスト)だと言っているのだが、典拠を示していないのだ。いったいどういう根拠で言っているのか、そこが知りたかった。たまたま目にした江藤淳(1958)「近代散文の形成と挫折―明治初期の散文作品について―」(『文学』第26巻7号)にも朝比奈説が出てきたので、江藤が典拠としている柳田泉のある本を取り寄せて見てみた。結論としては、柳田が朝比奈に直接問いただし、朝比奈が認めたということのようだ。ちなみに、尾崎は名義を貸しただけで、実際にはタッチしていない。ただし、かの「例言」を誰が書いたのかは結局わからない。柳田が聞き漏らしてしまったようなのである。「例言」の署名が「訳者等識」となっているからには、可能性としては藤田鳴鶴の単独執筆から、朝比奈執筆で藤田が加筆というまでの幅があることになる。

昨日はしばらくぶりに長距離を踏破。本郷から水道橋―飯田橋―市ヶ谷―四谷ー紀ノ国坂を通って青山一丁目―六本木―芝公園―御成門―内幸町―日比谷―大手町―神保町―水道橋―後楽園―小石川柳丁―自宅というルートである。まあ皇居を大回りしたようなものだ。歩数3万歩であった。今回は青山一丁目―六本木―芝公園―日比谷が未踏のルートで、なかなか面白かったのである。


Anthony Pymの新著

2009年10月05日 | 翻訳研究

Anthony Pymの新著、Exploring Translation Theories (Routledge)が届いたのでごく簡単に紹介。ご覧のように表紙はMundayやPochhackerのIntroducing...に似ている。序文によると実際、この二著のcompanion volumeという位置づけになっている。違いは、研究や応用ではなく「理論」に焦点を合わせている点だ。つまり「批判的考察」が中心であり、翻訳理論に重要なオリジナルな貢献をしたとみなされない研究は除外されている。翻訳の理論であるから、「等価」の問題が正面から取り上げられ、自然的等価natural equivalenceと指向的(一方向的)等価directional equivalenceという概念が導入される。この辺りにこの本の核心部分があるようだ。
なお本書の邦訳はすでに完了し、出版に向けて最終作業が進行中。


Mona Baker編の新論文集

2009年09月20日 | 翻訳研究
Mona Baker (Ed.) (2009) Critical Readings in Translation Studies (Routledge)が出版された。確認していないが、これは例の4巻本から精選したものかもしれない。内容は目次をみれば一目瞭然で、翻訳の政治、イデオロギー、権力、マイノリティの問題が中心になっている。Amazonではハードカバーしか扱っていないようだが、Routledgeに直接注文すればペーパーバックが45ドルで買える。
もう1点、これも以前に紹介したAnthony PymのExploring Translation Theoriesも出版された。こちらはRoutledgeのサイトではなぜか削除されてしまっているが、
Amazonでペーパーバックが買える。