ネタは福井新聞記事だ。
こちら。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/834903
とりあえず引用する。
---ここから----
【論説】いろんな考えの人がいるけれど、みな平等。理解し合ってやっていこう―。「多文化共生社会」を平たく言い換えてみると、小学生にも通じる、当たり前の社会だということに気づく。
不寛容さが大手を振る、偏狭な時代を終わらせたい。福井県内の市町で、住民に占める外国人の割合が最も高い越前市は昨年度末、多文化共生推進プランを策定、本年度から5年間で実行に移す。66施策から成るプランは「多文化共生の実現に向けた啓発」「子育て環境の充実」が2本柱。プラン策定委員長を務めた石川昭義・仁愛大人間生活学部長は「プランの根幹は人権とアイデンティティー」と言い切る。
越前市の外国人住民の割合は1月現在で5・2%。「残り95%の日本人が、数の威を借りてルールを押しつけることは、マイノリティー(少数派)への迫害」と石川委員長は指摘する。「共存」は交流がなくても可能だが、目指すのは「共生」社会。「外国人も日本人も、互いの違いも含めて認め合う。ところどころで摩擦が起きても、それを粘り強く乗り越えることが成熟した民主主義」と言う。
プランに基づき、越前市は本年度予算に1億円余を計上した。重点は、子育て・教育環境の充実と、言葉の壁を越えるためのコミュニケーション支援。▽学校と保護者の橋渡し役となるアクセスワーカー1人、日本語基礎指導員2人を増員▽多言語翻訳機を学校や保育園、児童センターを含む官民施設に約200台導入▽町内会からの連絡等の翻訳委託の拡充―などの具体策が並ぶ。
市以外の取り組みでは、仁愛大が昨年度に行った、保育士を目指す学生や現役保育士を対象にしたポルトガル語入門講座を本年度も継続する方針だ。昨年度の講座では、「食事を全部食べられる?」と子どもに聞く文章や「お友達と遊んでいました」と保護者に活動報告する文章など、保育現場で必要な会話文を絵付きでまとめた資料を整備した。今後さらにプランを推し進めるには、産業界の参画が鍵の一つになろう。
一方、改正入管難民法により外国人就労の拡大を目指す新制度が1日にスタートしたが、懸念された国の準備不足は解消していない。全国100カ所に国が設けるとした一元的相談窓口は、現在調整が進められている設置基準を前提に単純計算すると人口25万人以上の自治体に限られ、約8万3千人の越前市は対象外になる。法改正の主目的を、地方中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない状態が続くなら、国への不信は強まるばかりだ。
---ここまで----
論点はいくつかあるが、まずは客観的事実を押さえておこう。
平成30年6月末現在の在中外国人人数は231万人。一方、人口推計での平成30年6月1日現在の概算値は1億2,652万人。異なる統計データを並べているので精緻な数値ではないのだが、外国人比率は、まぁ1.8%くらいだ。
なので、越前市の5.2%はかなり多い方である。
外国人を指標とした都市分類は存在しないのだが、自分が作ったものがこちらにあるので、これを参照すると、外国人集住都市に分類される。
http://www.clair.or.jp/j/multiculture/docs/33f9e4b38a42c5ebb7543d08b41b2b23.pdf
要するに、1741団体あるうちの269団体、外国人が集住して住んでいる約15%の自治体のひとつであるということだ。
次に、越前市は1億円あまりを計上したとあるので、その規模を確認しておこう。平成31年度の越前市の一般会計予算は366億円であり、そのなかの1億円というのは、0.27%である。これが多いのか少ないのか、なかなか自治体予算に敏感でない人にはわかりにくいと思うが、たとえば、富山県の一般会計予算に占める0.27%だとすると、15億円である。
国が全国100か所に設置するとしているワンストップ相談センターの設置経費は2,200万円。多言語自動翻訳機設置事業が545万円である。越前市、破格だよ。
富山県の重点施策はこちら。
http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00019696/01220806.pdf
これをみると、いかに越前市が多文化共生社会の推進に力を注いでいるかということが手に取るようにわかるだろう。
後段で問いかけている「中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない」というのが容易に理解できると思う。
外国人住民比率や急増自治体などの単純な指標で割り出すだけでも単純に計測することができるものなのに、それすら行わないのはいかがなものか?と思ってしまうのは無理からぬことだろう。
ということで、当たり前のことができていない制度も困ったものだと福井新聞と同じようなトーンで終わる。
こちら。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/834903
とりあえず引用する。
---ここから----
【論説】いろんな考えの人がいるけれど、みな平等。理解し合ってやっていこう―。「多文化共生社会」を平たく言い換えてみると、小学生にも通じる、当たり前の社会だということに気づく。
不寛容さが大手を振る、偏狭な時代を終わらせたい。福井県内の市町で、住民に占める外国人の割合が最も高い越前市は昨年度末、多文化共生推進プランを策定、本年度から5年間で実行に移す。66施策から成るプランは「多文化共生の実現に向けた啓発」「子育て環境の充実」が2本柱。プラン策定委員長を務めた石川昭義・仁愛大人間生活学部長は「プランの根幹は人権とアイデンティティー」と言い切る。
越前市の外国人住民の割合は1月現在で5・2%。「残り95%の日本人が、数の威を借りてルールを押しつけることは、マイノリティー(少数派)への迫害」と石川委員長は指摘する。「共存」は交流がなくても可能だが、目指すのは「共生」社会。「外国人も日本人も、互いの違いも含めて認め合う。ところどころで摩擦が起きても、それを粘り強く乗り越えることが成熟した民主主義」と言う。
プランに基づき、越前市は本年度予算に1億円余を計上した。重点は、子育て・教育環境の充実と、言葉の壁を越えるためのコミュニケーション支援。▽学校と保護者の橋渡し役となるアクセスワーカー1人、日本語基礎指導員2人を増員▽多言語翻訳機を学校や保育園、児童センターを含む官民施設に約200台導入▽町内会からの連絡等の翻訳委託の拡充―などの具体策が並ぶ。
市以外の取り組みでは、仁愛大が昨年度に行った、保育士を目指す学生や現役保育士を対象にしたポルトガル語入門講座を本年度も継続する方針だ。昨年度の講座では、「食事を全部食べられる?」と子どもに聞く文章や「お友達と遊んでいました」と保護者に活動報告する文章など、保育現場で必要な会話文を絵付きでまとめた資料を整備した。今後さらにプランを推し進めるには、産業界の参画が鍵の一つになろう。
一方、改正入管難民法により外国人就労の拡大を目指す新制度が1日にスタートしたが、懸念された国の準備不足は解消していない。全国100カ所に国が設けるとした一元的相談窓口は、現在調整が進められている設置基準を前提に単純計算すると人口25万人以上の自治体に限られ、約8万3千人の越前市は対象外になる。法改正の主目的を、地方中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない状態が続くなら、国への不信は強まるばかりだ。
---ここまで----
論点はいくつかあるが、まずは客観的事実を押さえておこう。
平成30年6月末現在の在中外国人人数は231万人。一方、人口推計での平成30年6月1日現在の概算値は1億2,652万人。異なる統計データを並べているので精緻な数値ではないのだが、外国人比率は、まぁ1.8%くらいだ。
なので、越前市の5.2%はかなり多い方である。
外国人を指標とした都市分類は存在しないのだが、自分が作ったものがこちらにあるので、これを参照すると、外国人集住都市に分類される。
http://www.clair.or.jp/j/multiculture/docs/33f9e4b38a42c5ebb7543d08b41b2b23.pdf
要するに、1741団体あるうちの269団体、外国人が集住して住んでいる約15%の自治体のひとつであるということだ。
次に、越前市は1億円あまりを計上したとあるので、その規模を確認しておこう。平成31年度の越前市の一般会計予算は366億円であり、そのなかの1億円というのは、0.27%である。これが多いのか少ないのか、なかなか自治体予算に敏感でない人にはわかりにくいと思うが、たとえば、富山県の一般会計予算に占める0.27%だとすると、15億円である。
国が全国100か所に設置するとしているワンストップ相談センターの設置経費は2,200万円。多言語自動翻訳機設置事業が545万円である。越前市、破格だよ。
富山県の重点施策はこちら。
http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00019696/01220806.pdf
これをみると、いかに越前市が多文化共生社会の推進に力を注いでいるかということが手に取るようにわかるだろう。
後段で問いかけている「中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない」というのが容易に理解できると思う。
外国人住民比率や急増自治体などの単純な指標で割り出すだけでも単純に計測することができるものなのに、それすら行わないのはいかがなものか?と思ってしまうのは無理からぬことだろう。
ということで、当たり前のことができていない制度も困ったものだと福井新聞と同じようなトーンで終わる。