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多文化共生とは永続的なココロの営み

外国人への生活保護、日本人より高い支給率…片山さつき氏が問題提起

2015-02-18 16:53:04 | 多文化共生
(以下、ZAKZAKから転載)
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外国人への生活保護、日本人より高い支給率…片山さつき氏が問題提起
2015.02.16


 今年は戦後70年だが、生活保護については「戦後」がいまだに続いている。局長通達で、一時的に認められたはずの「外国人の生活保護受給」が、何と60年以上も続き、日本人の支給率より高くなっているのだ。日本の財政も厳しいなか、生活保護制度を見直すべきではないのか。自民党の片山さつき参院議員が問題提起する。

 「高齢者はともかく、新しい世代の外国人にまで生活保護を適用すべきなのか。もう一度、考えるべきです」

 片山氏はこう語る。

 昨年10月時点で、生活保護を受給している世帯は161万5240世帯と、過去最多となった(厚労省1月発表)。2010年の調査による、国籍別の世帯数と生活保護受給世帯数、受給率は別表の通り。日本人の世帯に比べて、韓国・朝鮮籍、フィリピン籍世帯の受給率が高いことが分かる。

 1950年に制定された生活保護法は、対象を「生活に困窮する国民」としている。最高裁第二小法廷も昨年7月、「外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しない」と判断した。

 ところが、4万を超える外国籍世帯が生活保護を受給している。

 片山氏は「厚生省社会局長名で54年5月に出された『生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について』という通達が理由です。51年のサンフランシスコ講和条約によって、日本国籍を失った韓国・朝鮮籍で生活に苦しい人々を、人道的かつ治安上の観点から“当分の間”保護したのです」という。

 65年に日韓基本条約が締結され、両国間の請求権問題は完全かつ最終的に解決された。韓国籍の生活保護は韓国政府が支払うのが当然との考え方もあった。片山氏はいう。

 「同時に締結された日韓法的地位協定で、『日本に永住する韓国人には教育、生活保護、国民健康保険について考慮しなければならない』とされ、協定議事録で生活保護は“当分の間、従前通り”とされました」

 「当分」の措置が50年間も続いていることは異常だ。加えて、韓国・朝鮮籍以外の外国人を保護する必然性はまったく感じられない。

 片山氏は「すでに戦後70年、日韓国交正常化50年を迎えました。韓国では『韓国国民と結婚し、かつ韓国国籍の未成年を養育している』場合だけ、外国人に基礎生活保障を認めています。国際化という観点では相互主義を考えてもいい。制度の抜本的見直しが必要です」と語っている。

災害時 外国人を支援 「語学サポーター」研修

2015-02-16 12:43:02 | 多文化共生
(以下、読売新聞【岐阜】から転載)
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災害時 外国人を支援 「語学サポーター」研修
2015年02月16日

研修に取り組む語学サポーターら

 災害時にボランティアで外国人を手助けする「災害時語学サポーター」の研修が15日、可児市の「市多文化共生センターフレビア」で行われ、同市や美濃加茂市などに住む28人のサポーターが参加した。県内では現在約50人のサポーターが登録しているが、大規模災害時は不足が予想され、県などが養成を急いでいる。(古和康行)

 サポーターは、外国語が話せる日本人や日本語が堪能な外国人が、公益財団法人「県国際交流センター」に登録。文化や習慣の違いから情報や支援物資が届かなかったり、避難所でトラブルとなったりする事態を防ぐため、外国人に通訳などの支援をする。

 この日の研修にはブラジル、フィリピン出身の6人と日本人22人が参加。東日本大震災などで外国人支援に当たったNPO法人「多文化共生マネージャー全国協議会」の高橋伸行理事(48)が「大震災では多くの外国人が言葉の壁に苦しんだ。役所やメディアの震災情報も理解しにくく、手助けが必要」などと講演。マグニチュード8・3の南海トラフ巨大地震が起きたとの想定で、総務班、情報班などに分かれて研修した。

 自治体の災害対策本部からの情報を各国の言葉に翻訳する研修では、「電車が不通」との情報を、「普通」と取り違えるサポーターも。「日本語は少し難しい」などと首をかしげながら真剣な表情で取り組んでいた。ブラジル出身で市職員の川崎ミシェリさん(31)は「自分の周りにも日本語がうまく話せない外国籍の友人がいる。いざというとき支えになりたい」と話した。

 県内の外国人は約4万3000人。同センターは、南海トラフ巨大地震などに備え、より多くのサポーターが必要として登録を呼びかけている。

母国語も、日本語も 鈴鹿で外国人向け対応学習会

2015-02-16 12:42:28 | 多文化共生
(以下、中日新聞から転載)
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母国語も、日本語も 鈴鹿で外国人向け対応学習会

ポルトガル語と日本語で交互に絵本を読み聞かせるブラジル人の母親ら=鈴鹿市の鈴鹿地域職業訓練センターで
写真
 県内で暮らす外国人の子どもたちが母国語と日本語の両方を身につけられるよう、絵本を通じた言語学習の方法を考える講座が十五日、鈴鹿市の鈴鹿地域職業訓練センターであった。フィリピンとブラジルの親子四十人が参加し、母親らが自ら翻訳した絵本を子どもたちに読み聞かせた。

 県国際交流財団(津市)が初めて企画。日本で翻訳されている絵本は英語がほとんどで、タガログ語やポルトガル語のものは手に入りづらい。読み聞かせの習慣も海外では日本ほど一般的ではなく、幼児期から楽しみながら言葉に触れる方法として提案した。

 参加した親は、「よくばりすぎたねこ」などの幼児向け絵本を協力し合って母国語に翻訳。日本語と母国語で交互に読み、子どもたちに物語の内容を伝えた。次男(7つ)と長女(2つ)を連れて参加したブラジル人の主婦金城パトリシアさん(36)=鈴鹿市=は「絵本は物や動作を示す身近な日本語であふれている。家でも時間を見つけて取り組んでみたい」と手応えを感じていた。

 財団によると、両親が外国人の子どもが家庭で母国語の生活を送り、就学時になって急に日本語を学び始めることで、いずれの言語も未熟なまま年齢を重ねてしまう「ダブル・リミテッド」と呼ばれる問題が教育現場などで広がっているという。

 講座を担当した専門員の猪狩英美さんは「絵がある分、言葉の意味は理解しやすい。家族や社会で必要なコミュニケーション能力を身につけるのに絵本はとても有効」と話していた。

発達障害の診断名を生徒らに伝えるべきか?

2015-02-12 10:02:54 | ダイバーシティ
(以下、沖縄タイムスから転載)
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発達障害の診断名を生徒らに伝えるべきか?~教育の医療化(3)
2015年1月24日 13:30


知名孝(ちなたかし)
NPO法人ぺあ・さぽーと理事長/沖縄国際大学人間福祉学科准教授。
1962年那覇市生まれ。1986年日本福祉大学社会福祉学部(Ⅰ部)卒業。1990年沖縄県人材育成財団米国長期留学生としてスミス大学ソーシャルワーク研究科(1992年修了)。その後いくつかのアメリカの(児童思春期・成人)の精神保健福祉施設にて勤務。1998年より、いずみ病院(精神科病院)相談室、ファミリーメンタルクリニック(児童思春期心療内科)にて相談業務・地域支援業務を行う。そのかたわら、発達障害児の児童デイサービス・ショートステイを運営するNPO法人ぺあ・さぽーと設立。発達障害児をかかえる保護者のためのペアレント・トレーニング、教育・保育関係者のためのティーチャーズ・トレーニング、成人アスペルガーの会「スカイ」、ひきこもり青年をかかえる親のサポートグループ「つどい」の設立・運営に関わる。


 学校の先生方や保護者の方々から、「診断名・障害名を伝えるべきか」という相談をうけることがあります。学校の場合だと圧倒的にクラスの子どもたちに伝えていいか、というものです。

 例えば、小学校3年生のクラスを担当しているみなこ先生(以下すべて仮名)は、ADHD(注意欠陥・多動症)と診断されているまさる君とお昼の休み時間に二人でオセロをするようにしています。まさる君は、多動が著しく指示の通りにくいところがあり、クラスでも浮いた存在になっています。オセロを始めた頃から、まさる君はみなこ先生と「関係性」ができはじめ、これまでのような突拍子もない・コントロール不能な行動を起こすことがかなり少なくなってきました。ある日、クラスの子ども達数名がみなこ先生に、「どうして先生は、まさる君を特別扱いするの…」という疑問を投げかけてきます。みなこ先生は、まさる君がADHDだということを子ども達に説明すべきかどうか迷ってしまったわけです。

 以前同じような状況で、保護者の了解のうえで、子どもの発達障害のことをクラスで説明したケースがいくつかありました。そのなかで、「○○は伝染病だ」とか「○○はADHD/アスペルガーだよな、病気だよな」というセリフが子ども達から聞かれ、こちらが伝えたいことがうまく伝わっていない結果になったことがありました。おそらく現場でこういう子ども達の勘違いを目の当たりにされた方も少なくないはずです。

みなこ先生は、疑問をつきつけてきた子ども達に「説明する」(伝える)かわりに「尋ねる」ことを始めました。

先生:「みんなは、先生が、まさる君にひいきしてる感じがするの?」

子ども達:「45分の休み時間にオセロやってるって、まさるが自慢してたよ」

先生:「どうして、先生はまさる君とオセロやってると思う? 当ててみてよ」

子ども達:「えーっ、わからん」

先生:「じゃぁ、みんなからするとまさる君ってどんな子ね?」

子ども達:「あー、あれさー、うるさいよ」

先生:「どんな、『うるさい』なの?」

子ども達:「授業の時席離れるし、意味ないのに走ったりするし、すぐ怒るし」

先生:「それは、みんな困ってるの?」

子ども達:「はぁ、でーじ(とても)困ってるさ-」

先生:「どうして、まさる君は授業中うるさくなっちゃったりするのかな?」

子ども達:「んーっ、授業わからんからじゃない」「まさる、幼稚園の頃から落ち着かなかったよ。昔はもっとすごかったよ」

先生:「先生はね、先月の運動会の後からまさる君とオセロやってるわけ。オセロやると、まさる君少し落ち着くってわかったわけよ。さっきの時間、まさる君席立たなかったんじゃない?」

子ども達「…だね。相変わらずしゃべるけど、席は立たない」

先生「でしょ。少しずつだけど、落ち着くようになってるし、まさる君もがんばってるわけ」

子ども達「あーはー、それでか。あいつ最近、オセロの自慢して、でーじ(とても)機嫌いいから、あまり怒らないよ・・・」

 みなこ先生ほどうまくいくことは少ないかもしれませんが、これをひとつの基本形だと考えてみましょう。基本形は尋ねられた時には「説明する・伝える」前に、まずは答えを求めている本人達がある種の答えを持っていないか「尋ねる」わけです。しばしば子ども達は既に自分の言葉で「診断名」を持っているということです。まさる君の例では「うるさい」「席離れる」「走る」「怒る」等々・・・、彼らがいつも見ている具体的な行動が彼らにとっての診断名です。ここで「ADHD(という医学的診断)があるからオセロをやってるのよ」という説明をするよりも、子ども達自身がもっている診断名を活用してみるわけです。「まさる君ってどんな子ね?」という質問で彼らの「診断」を引き出し、それに対してオセロをやっているのですという説明にもっていく「やりとり」を展開していったわけです。

 子ども達の中からまさる君のような子の行動を「自己チューだから」とか「甘いから」とか、行動に対してマイナスの解釈が出てくる可能性もあります。子ども達に医学的診断を説明することで、マイナスの解釈や感情が中和される可能性もありますが、逆にさらなるマイナスを生み出す可能性もあるようです。それに通常このような状況で求められるのは、解釈の方向性よりも解決策だと考えると、とりあえずの(解決への)試みに同意してもらうようなやりとりをつくっていく方が得策のようにも思えます。

 子ども達は毎日自分のクラスメートと生活しているわけです。大人が思うよりも、子ども達自身がお互いのことを知っていることは不自然ではありません。行動が激しい子どもになるほど、他の子ども達は日常の経験から、その子への支援の必要性をわかっていることも少なくないようです。したがって、「診断を伝える」ということの基本形は、周りの子ども達自身が日常の経験から構築された「診断名」を引き出しながら、彼らがまさる君のような子どもにどういうまなざしを向けているかを確認することが基本になるのではないかと思うのです。彼ら自身の「診断名」は、彼ら自身がその子どもと生活をともにするにあたっての「困り感」と重複することも少なくありません。もちろん、すべてこの基本形通りにいかないかもしれませんが、試してみる価値はあると思うのです。

 周囲ではなく本人に「診断名を伝えるべきか?」という問いに対しても、同じく「説明」よりも先に「尋ねる」ことから始めるとどうでしょうか。本人が自分のことをどう思っているか、困り感やつまずき感があるのか、それらの困り感・つまずき感をどのようにとらえているか・・・、こういうことが「診断」を理解する際のベースになるように思うのです。友達とうまくいかない、先生や上司とトラブルになる、仕事がうまくいかないなどの生活上の困り感。しかし本人が困り感・つまずき感を持っていても、それが親、先生、上司など「他人のせい」になっている限りは、(自分に対する)「診断」に納得するのは難しい可能性が高いはずです。

 「診断」は「自分についての困りごと」に名前をつけたものと考えると、自分についての「困り」のないところには、「診断」が成立しにくいことになるのでしょう。これは心理検査でも何でも言えると思うのですが、「伝える」という行為は、伝えられる側の準備性ができていなければ、伝わるべきものが伝わらないと思うのです。伝える前に尋ねるというのは、伝えられる側の準備性を確認するという(情報共有前アセスメント)作業だと考えていいのではないでしょうか。

 冒頭のみなこ先生は、結局クラスの子ども達みんなでオセロ大会をしました。まさる君もクラスのみんなとオセロを楽しみました。「勝ち負け」のあるゲームを、喧嘩や騒動なしにまさる君が楽しめたというのは、彼の大きな前進だったとみなこ先生は思いました。負けても楽しいと思える、成長の証が見えた一時だったようです。

発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の小学校

2015-02-12 09:57:02 | ダイバーシティ
(以下、DIAMONDonlineから転載)
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発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の小学校


大空小学校に学ぶ児童と教師 (c)関西テレビ放送
「不登校ゼロ」の公立小学校の映画ができたと聞いて、試写を観に行った。

 舞台は大阪市住吉区にある大空小学校だ。

 隣の小学校の児童数が増えすぎたことをきっかけに、2006年4月に開校した。

 全校児童は約220人。発達障害のある子や、自分の気持ちを上手くコントロールできない子などの特別支援の対象は30人を超える。それでも、すべての子どもたちが同じ教室で学ぶ。

 教職員は、クラスや担当の垣根を越えて、みんなで子どもたちを見守る。地域のボランティアや保護者も、サポーターとして子どもたちを支える。

 校舎に貼ってあるのは、「みんながつくる、みんなの学校、大空小」。開校以来、木村泰子校長を中心に、みんなが一緒になって、誰もが通い続けることのできる学校を作り上げてきた。

 そんな“誰にとっても居場所のある学校”づくりの取り組みを取り上げた関西テレビのドキュメント『みんなの学校』は評判を呼び、2013年度に様々な賞を受賞。そのドキュメンタリーを拡大する形で製作したのが、今回公開される映画『みんなの学校』だ。

みんなの学校、唯一のルールは
「自分がされていやなことはしない」

 監督は、番組でディレクターを務めた関西テレビ報道局報道番組部の真鍋俊永さん。実は、同校の取材を始めたのは、職場の同僚で妻でもある迫川緑さんで、真鍋さんは引き継ぐ形で、本格的な長期取材を始めたという。

「(彼女は)元々、障害者の方々と関わる機会が多く、学校で障害を持った子がどのように過ごしているのかを何度か取材していました。その中で、大阪市内にこんな学校があるよと教えてもらったのが大空小との出会いのきっかけです」

 10分ほどのニュース内での特集にした後、迫川さんは、子どもたちの自然で生き生きとした表情を引き続き取材したいと交渉。同じ部署にいた夫の真鍋さんが後を継いで、2012年4月から翌年3月まで、取材を続けたという。

「私自身は、詳しくなかった状況で、1年間の取材が始まったんです。やはり、いろいろな子が同じ教室にずっといてるというのは、驚きました。世界的に見れば、当たり前だということは、後になって知っていくのですが、自分の中では、当たり前とは思えていなかったんです」(真鍋さん)

 大声を出しながら歩いていく子がいる。そんな中で、普通に授業が行われている。

「“冷たく見えるやろ、周りの子ら”って、校長は私に説明しましたが、実際に周りの子らは障害のある子を無視しているように見えかねないほどに自分のやることに集中している。そんな映像を映画の中でも使っていますが、こういう環境でも学んでいけるんだということが、驚きでした。難しい環境に置かれている子はゼロではないですけど、その子たちを見捨てずに、必ずアプローチするので、みんなとのつながりを持てているように、私には見えました」(真鍋さん)

 いじめについても、ないわけではなく問題を認識して解決へと向かう。ただ、市教委から調査依頼が来れば、いじめのような問題を隠すことなく記述する。なかったことにするのではなく、解決に向けて可視化できることが誇るべきことだと、木村校長は話しているという。

 同校の唯一のルールは“自分がされていやなことは人にしない。言わない”。

 子どもたちは、このたったひとつの約束を破ると、やり直すために“やり直しの部屋”という名前の校長室にやって来る。

 映画の中で、木村校長が全校児童だけでなくそこにいる教職員や地域の大人も含む全員に、こう問いかけるシーンがある。

校長「大空小学校は誰が作りますか?」
児童「一人ひとりが作ると思います」
校長「一人ひとりって誰ですか」
児童「自分」
校長「自分って誰ですか?手を上げてください」

 すべての人たちが手を上げる。

校長「大空小学校は、自分の学校だから、自分が作るんです」

学校から飛び出す児童には
校長自ら追いかけて話しかける


(c)関西テレビ放送
 映画の出演者は、「大空小学校のみんな」。中でも象徴的な存在は、大阪市内の別の小学校から転校してきたセイシロウ君だ。

 校長は、全校児童にこう紹介する。

「セイちゃんは4年生になりましたが、みんなのように毎日、学校へ行くことができませんでした。行けても2時間くらい。それは、セイちゃんが学校で1人でいることが落ち着かなかったからです。でも、今日から大空小学校に来て、みんなと一緒に安心して暮らします」

 そんなセイちゃんの最初の課題は、1日中学校にいること。何度も学校を飛び出していくセイちゃんに、校長は自ら追いかけていき、話しかける。

「友だちのことを信用せなあかんと思う。人を信用してへんから、セイが居にくいと思うんや。でも、大空小学校は、みんなでつくっている学校です。セイが安心して居れないわけがない」

 安心できる場とは、周りの支えとつながりがカギを握っているのだ。

 また、6年生のカズキは、5日間、学校に来ていない。毎朝、なかなか学校に来ることができないため、先生たちが迎えに行く。

 校長は、こう言う。

「(カズキが新入生として入学して来るとき)あの子が大空へ行くのなら、みんな大空はやめとこうという噂が広がった。あの子のそばにいたら、怪我させられるし、落ち着かない。でも、そんな子は、じゃあどこへ行けばいい?」

 ユニークなのは、同校ではPTAとは呼ばないことだ。親と教員ではなく、サポーター(保護者と地域の大人)と教職員で作る「大空SEA」と呼ぶ。

 さらに、授業参観も家庭訪問もない。学校の窓ガラスも、すりガラスから透明なガラスに入れ替えた。

 いつも授業は開かれているし、家庭訪問も問題が起きたときに、担任が自主的に行けばいいという考え方だそうだ。

 どんなことも、決まりごとを一度解体して、新たに構築する感じがしたという。

 こうした全国にも前例がないであろう「大空文化」を6年かけて作りだしてきたという。

不登校がなくなったのは
「周りの子」が変わったから


(c)関西テレビ放送
 木村校長は、「学校に来られない子がなぜ来られるようになるのか」と言う問いかけに、こう答える。

「その子が学校に来れるのは、周りの子が変わったから。その子を見る目が変わったから。だって、彼は何も変わってへん。彼は、彼やから」

 このコメントは、不登校にとどまらず、「大人の引きこもり」をはじめ、様々な社会的課題の当事者への向き合い方を考える上でも、大きなヒントになるのではないか。

 真鍋さんは、映画の「ディレクターズノート」の中で、こう振り返る。


大空小学校の校舎には綺麗な大空が広がっている
(c)関西テレビ放送
<校長は「“みんな”の中には“関西テレビの真鍋さん”も入ってますよ」と言っていた。私にはその言葉が指すものがよく分かっていなかったが、1年間、学校に通い続けることが、私自身にとっても「ともに学ぶ」日々であったことが、終わってみれば良く分かった。学校とは、教師が一方的に子どもたちに知識を与える場ではなく、様々な人が関わり合って学び合うところであった。そして学校だけではなく、社会という存在そのものが「大きな学校」であり、いろいろな人たちが関わり合うことで、学び合う場だと、いまは感じている>

 筆者も映画を通して、木村校長がどのようにしてこのような考えに至ったのか。ぜひ、この学校へ学びに行きたくなった。

 社会という大きな学校の中で、自分は何ができるのか、映画の中から大事な何かが見つけられるかもしれない。

『みんなの学校』は、2月21日(土)から、渋谷「ユーロスペース」ほかで順次公開される。

 お問い合わせ:「東風」(とうふう)TEL03-5919-1542 fax03-5919-1543 info@tongpoo-films.jp(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)

多文化で災害備える

2015-02-09 16:14:02 | 多文化共生
(以下、神奈川タウンニュースから転載)
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多文化で災害備える
パンダ幼稚園で講座
掲載号:2015年2月5日号

減災マップを作成する母親たち

 中区にあるパンダ幼稚園(学校法人横浜山手中華学園)の保護者を対象にした防災ワークショップが1月20日に行われた。多文化で防災を考えようと、子育て支援を行うNPO法人シャーロックホームズがフォーラム南太田との協働事業として実施。

 講座では幼稚園にいる時に地震が発生した場合を想定。防災ファシリテーターの鈴木光さんからハザードマップの見方を学んだ後、シールやペンで色分けしながら幼稚園から自宅までの通園路内における危険箇所や避難場所などを記し、オリジナルの減災マップを作成した。後半は同NPO法人理事の宮島真希子さんが、災害時に役立つ情報収集法について説明。宮島さんは現在市内の外国人登録者は約7万8千人、国籍別では中国人が一番多いことから、中国語を話せる母親たちが防災について学び、発信していく意義を述べた。

 同園に2人の子どもが通う陶鑫(とうきん)さんは「自宅も幼稚園も震度6強地域に入っており、備えないといけないと強く思った」。黄偉初園長は「園はもちろん、各家庭の防災意識も高めていきたい」と話していた。

 同NPOでは市内各地で外国籍の人を対象に4カ国語で防災アンケートを実施。2月末までに集計予定。

外国人労働者、過去最多の78万7627人 - 国籍別では中国がトップ

2015-02-02 15:46:51 | 多文化共生
(以下、マイナビニュースから転載)
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外国人労働者、過去最多の78万7627人 - 国籍別では中国がトップ


厚生労働省はこのほど、2014年10月末時点の外国人雇用についての届出状況を発表した。それによると、10月末時点の外国人労働者数は前年同期比9.8%増の78万7,627人となり、2007年に届出が義務化されて以来最多を更新した。


国籍別外国人労働者の割合(出典:厚生労働省Webサイト)

同省は外国人労働者数が増加した要因として、政府が推進している高度外国人材の受入れが増えていることや、雇用状況の改善などを挙げている。

外国人労働者を雇用する事業所数は前年同期比8.1%増の13万7,053カ所と、こちらも届出が義務化されて以来最高を記録した。

国籍別の外国人労働者の割合を見ると、中国が31万1,831人(構成比39.6%)で最も多く、以下、ブラジルが9万4,171人(同12.0%)、フィリピンが9万1,519人(同11.6%)と続いた。対前年伸び率は、ネパールの71.3%、ベトナムの63%などが高かった。

在留資格別に見た場合、永住者や永住者を配偶者に持つ人など「身分に基づく在留資格」が43.0%でトップ。このほか、「専門的・技術的分野の在留資格」が18.7%、「技能実習」が18.5%などとなった。このうち、「専門的・技術的分野」は14万7,296人で、前年同期比11.1%の増加。また、「身分に基づく在留資格」は33万8,690人で、前年同期比6.2%増加した。

外国人共助、福島で拡大 災害弱者の不安解消

2015-02-02 15:45:31 | 多文化共生
(以下、河北新報から転載)
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外国人共助、福島で拡大 災害弱者の不安解消


震災後、小島さん(左から2人目)ら中国人妻が結成したコミュニティー「つばさ」で中国語を学ぶ子どもたち=須賀川市の岩瀬公民館

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に見舞われた福島県で、外国人がコミュニティーを結成する動きが広がっている。言葉の壁や文化の違いから「災害弱者」に位置付けられる外国人。同胞による共助が、異国で直面した未曽有の震災を乗り越える力になっている。(山崎敦)

<「子に影響は」>
 「子どもたちに放射能の影響はないのか。原発事故直後は不安だらけだった」。中国・遼寧省大連出身の小島梓さん(49)が流ちょうな日本語で振り返る。
 小島さんは、日本人男性と結婚し福島県内に居住。震災後の2011年10月、中国人妻らと「つばさ~日中ハーフ支援会」を須賀川市で設立し、会長に就いた。
 会員は中国人妻と家族ら63人。月3回、須賀川市の岩瀬公民館に集まり、子どもたちに中国語を教える傍ら、教育、防災、原発事故など幅広く情報交換している。
 2人の子どもを連れ、毎回参加している副会長の城坂愛さん(43)は「中国人妻の多くは日常会話には不自由しないが、原子力用語は難解。中国語で情報交換できる場は助かるし、ストレス発散にもなる」と話す。

<地域連携に力>
 原発事故前、県内には5000人近い中国人がいたが、約1000人が母国に避難した。大半は「家族と離れたくない」と留まったが、異国で震災を経験し、大きなストレスを抱え込んだままの人も少なくないという。
 「つばさ」のメンバーは地元の祭りに積極的に参加し、地域連携にも力を入れる。小島さんは「外国人にとって住みやすい社会は、日本人、特に高齢者や障害者など災害弱者にも住みやすい社会になるはず」と考える。
 いわき市ではフィリピン人妻ら約50人が11年11月、「イワキ フィリピノ コミュニティー」をつくり、毎月、集会を開いている。
 「震災のときは言葉の問題から正しい情報がタイムリーに得られず、皆不安に駆られた。仲間が協力すれば震災を乗り越える大きな力になる」と会長の丹野ジュリエッタさん(53)。

<自分で命守る>
 郡山市でも、ベトナム料理店を経営する沢上チャンさん(36)が中心となり、ベトナム人コミュニティーが形成されつつある。1月11日にはベトナム人対象の防災教室に約20人が参加し、消火器の使い方などを学んだ。
 沢上さんは「日本は地震国。防災意識を高め、自分の命は自分で守れるようにしたい。そうすれば周りの命も救うことができる」と強調する。
 県国際交流協会の斎藤隆専務理事は「災害時、外国人コミュニティーは正しい情報の伝達やパニック防止などで重要な役割を果たす。地域の防災力強化にもつながる」と指摘している。

[福島県内の外国人登録者]2014年6月時点で9879人。震災前は約1万1000人いた。地震と原発事故を機に約9200人に減ったが回復傾向にある。国別は中国が3672人で最多。フィリピン2149人、韓国・朝鮮1707人と続く。