多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

留学先としてのフィリピンの魅力

2011-07-25 09:44:39 | 多文化共生
(以下、留学ニュースから転載)
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留学先としてのフィリピンの魅力

フィリピンを留学先に選ぶ学生増加中
ここ最近,フィリピンを留学先に選ぶ学生が増えているという情報を,フィリピンの新聞 Philippine Daily Inquierが6月に掲載した。フィリピンが留学先に選ばれる理由として,次の理由をあげている。


学費の安さ
フィリピンでの教育にかかるコストや生活にかかるコストは,他の国に比べて低い。例えば,アメリカの大学に留学した場合,年間3万ドル以上を必要とするのに対し,フィリピンでは2500ドル以下で済ませることができる。

母国で薬理学を学んだナイジェリア人,Ikechukwuは,フィリピンだと家族の貯蓄を使い果たさずに勉強をすることができることを利点としている。コストが低いことで,フィリピンでテラピー学を学ぶことを決断したアメリカ人もいる。

英語が広く話されていること
フィリピン国内には公立,私立を含めて2100以上の学校が,さまざまな分野におけるコースを提供している。移民に関する方針が外国人留学生に対しては好意的な制度になっているため,2万人近い外国人留学生が特別ビザで滞在している。

他にも,フィリピンはアメリカの植民地であったため,英語がかなり普及しているので,韓国や中国から,短期間の英語語学学校に通っている学生も数万いる。先ほどのIkechukwuもフィリピンに留学前,海運業コンサルタントをしている彼の父親が実際にフィリピンに訪れ,英語が広く使われていることを確認した。

アジアの教育のメッカ
フィリピン政府は1980年代から,薬学と農学の分野で積極的に外国人学生を勧誘し始めた。後に,英語語学や,パイロット学校,ホテル・レストラン経営学,船舶学校などのコースを提供する学校が増えはじめ,2000年代になると,政府が主体となって,学生に対してのビザ発給条件を緩和し,フィリピンはアジアの教育における中心地であることを宣伝し始めた。他にも,オーストラリアやアメリカ,韓国,カナダ,ヨーロッパの国々の学校と交換留学プログラムを実施してきた。

フィリピン人の人のよさ
学費の安さだけでなく,フィリピン人の人の良さを魅力にあげている留学生もいる。フィリピン人のライフスタイルはゆったりしたものである。このゆるさが外国人留学生をひきつける魅力となっている。

学生の視点で街歩き 多言語地図 作製目指す 長崎国際大

2011-07-25 09:44:02 | 多文化共生
(以下、新聞から転載)
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学生の視点で街歩き 多言語地図 作製目指す 長崎国際大
2011年7月25日

佐世保市の外国人バー街を調査する長崎国際大の学生たち

 “街歩き”を通じて佐世保市の魅力を再発見し観光活性化に生かそうと同市の長崎国際大国際観光学科の学生約60人が24日、中心商店街などのフィールド調査を行った。参加者のうち16人は中国や韓国からの留学生で、海外からの観光客や若年層を意識した多言語観光マップを本年度中に完成させるのが目標だ。

 調査は、同大の尾場均准教授(情報工学)が指導。「Made in Sasebo」をテーマに地域との交流を通じ学生の目線で街の魅力を再発見する。今年5月ごろから尾場准教授のゼミ生や希望者が集まり、海上自衛隊や米海軍の基地とともにある街の歴史を学ぶなど準備してきた。

 市中心部を6区域に分け、自由に写真を撮り印象をメモする「キャプション評価法」で調査。外国人バー街では、初めて訪れたという香港の女子留学生が「香港と港町の雰囲気がよく似ている」と話し、バーの看板や民家を撮影していた。

 今後、撮影地や印象の分析・再調査を行いマップに掲載する場所を決めていくという。

=2011/07/25付 西日本新聞朝刊=

外国人へのもてなし確認 観光地に留学生派遣

2011-07-25 09:43:31 | 多文化共生
(以下、日本海新聞から転載)
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外国人へのもてなし確認 観光地に留学生派遣
2011年07月24日

 観光地に留学生を派遣し、外国人旅行者受け入れ環境などを確認する国交省のサポーター派遣事業が23日、鳥取県倉吉市の白壁土蔵群周辺であった。広島経済大学の留学生が古い町並みを散策し、外国人観光客へのもてなし体制をチェックした。
白壁土蔵周辺の歴史についてガイドから話を聞く留学生たち=23日、倉吉市東仲の倉吉ふるさと工芸館前


 東日本大震災以降、風評被害などで全国的に外国人観光客が減っていることから、地域のインバウンド対策も兼ねて同省中国運輸局が企画。観光地の魅力をインターネットなどで母国に発信してもらうことも狙う。

 この日は中国や韓国、インドネシアなどの学生30人が韓国ドラマ「アテナ:戦争の女神」のロケ地にもなった白壁土蔵群周辺を散策し、倉吉絣の展示販売や機織りの実演も見学した。

 韓国出身で同大経済学部2年の盧尚逸さん(24)は「昔の日本という雰囲気が感じられてとても良かった。友達にも薦めたい」と話していた。留学生らは三朝温泉に宿泊し、24日は青山剛昌ふるさと館や水木しげる記念館などを訪れる予定。

石巻復旧ボランティア参加の3人 27日報告会

2011-07-24 13:26:42 | 多文化共生
(以下、十勝毎日新聞から転載)
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石巻復旧ボランティア参加の3人 27日報告会
2011年07月23日 14時08分
 東日本大震災被災地の宮城県石巻市に災害復旧ボランティアで参加した帯広の高倉裕一さん(63)=市民フォーラム十勝事務局長、元白樺学園高教諭=ら3人が27日午後7時から、とかちプラザで報告会「がんばれ!石巻」を開く。それぞれ現地での体験を語り、継続的支援の必要性を訴えるほか、ボランティア参加希望者のための相談を受け、9月末か10月初めには同フォーラムとして団体で同市へのボランティア派遣の参加を呼び掛ける。参加無料。

災害復旧ボランティアの参加を呼び掛ける高倉裕一さん
「継続支援」 現地で実感
 報告するのは高倉さんと、芦澤満さん(44)=同高教諭、芽室町=、高倉さんの弟・徹夫さん(60)=釧路管内標茶町。

 高倉さんはテント、寝袋、食料、水など持参で3月末から、さらに弟ら3人で5月中旬に同市でボランティアに参加。芦澤さんもキリスト教団体の支援活動で4月初めから復旧支援活動に従事した。

 災害ボランティアセンターが石巻専修大キャンパスに設けられ、各地から続々と支援者が集まり、テント村に宿泊しながら活動に従事していた。高倉さんらは地盤沈下した海沿いの場所で浸水防止のための土のう積み、ヘドロで覆われた民家の清掃作業やがれきの除去などに当たった。

 「1日活動するとふらふらになるほど疲れたが、各地から毎週末にボランティアに来る人、東北地方に在住の外国人の家族ら、意欲にあふれる人々と一緒になった。日本政府は不安だが、人々はなかなかだと思えた。一度参加した人は、何度も行きたくなる」と高倉さんは語る。

 同市でのボランティアにはこれまでに全国から7万人以上が参加。テント村には臨時のコンビニエンスストアが開店、ボランティアのための診療所も開設されていた。「活動は被災した民家の片付けから、漁業の復旧準備、仮設住宅への引っ越し手伝い、また教員であれば子供たちへの教育支援や心のケアの手伝いなど時間がたつにつれて内容が変わってきている。今後も数年かけて支援を続ける必要がある」と高倉さんはボランティアへの参加を訴える。問い合わせは高倉さん(0155-31-6037)へ。(横田光俊)

暮らしの課題や解決策を考える 浜松市中区で在住外国人サミット

2011-07-24 13:23:39 | 多文化共生
うちの代表も最前列で堪能した模様。

(以下、中日新聞から転載)
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暮らしの課題や解決策を考える 浜松市中区で在住外国人サミット
2011年7月24日
世界各国の国旗を振ってオープニングを盛り上げる子どもら=浜松市中区のアクトシティ浜松コングレスセンターで

 浜松市などで暮らす外国人が抱える課題や解決策などを考える「在住外国人サミットin浜松」が23日、浜松市中区のアクトシティ浜松コングレスセンターで開かれた。ブラジル国籍の会社員や大学生が生活体験を発表したほか、教育や福祉などの現状を協議するパネルディスカッションもあった。
 小中学校で学習支援など行うブラジル人の母親らでつくる「将来のための種」(椎木マリナ代表)が、浜松市制100周年記念事業の委託を受けて開催。市内外の外国人や支援グループの担当者ら300人が駆けつけた。
 体験発表では、11年前にブラジルから浜松市に移住したリベラ・ルイスさん(33)=浜北区東美薗=が、結婚や自動車部品メーカーの正社員に採用されるまでを紹介。「日本に来た頃はあいさつも分からなかった」と、言葉の壁を強調した。リストラも経験したが、結婚後にマイホームも購入し、「住宅ローンを払うためにも仕事に頑張りたい」と意欲をみせた。
 静岡文化芸術大学4年の金城ジゼレさん=東区有玉台=も言葉の壁に悩んだが、両親や教師らの応援に支えられたと説明。大学卒業後は「子どもの頃から好きだったデザインの仕事に就きたい」と語った。
 会場ではペルーダンスやブラジルの格闘技カポエイラなどのパフォーマンスが披露されたり、市民団体の活動紹介パネルが展示された。椎木代表は「外国人が日本で暮らして行くには、積極的に自立し、地域の人らと協力し合っていくことが大事」と呼び掛けた。 (赤野嘉春)

「生きてるだけで価値がある」

2011-07-22 15:54:40 | 多文化共生
多様性への配慮が必要です。
世界に無駄な存在は、ひとつもない。そこにいるだけで、奇跡。

(以下、読売新聞から転載)
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歌手・松田さん出版「生きてるだけで価値がある」

がん、離婚、うつ病…葛藤の記録

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ライブで熱唱する松田陽子さん。「子宮を失ったかわりに、命の言葉とメロディーを生み出す力を授けてもらった」(大阪市城東区で)

 がんのため子宮を全摘出し、家庭の崩壊やうつ病にも見舞われた大阪府豊中市出身のシンガー・ソングライター松田陽子さん(39)が、闘病記「生きてるだけで価値がある」を出版した。

 「すべてを失った」と絶望した日から、生きる希望を取り戻すまでの歩みを、ありのままにつづっている。
笑顔で隠した闘病

 大学在学中、歌手にスカウトされた。ニューヨークの大手ホテルで歌い、司会者や通訳としても活躍。27歳で結婚して専業主婦となり、長女を出産した。

 だが2002年春、子宮頸(けい)がんが見つかり、31歳で全摘手術。主治医からは「5年生存率は50%」と言われた。娘はまだ1歳半だった。

 <幼稚園の制服姿が見られるよう、この命を延ばしてください>

 つらかったのは、むしろ退院してからだった。育児は病み上がりの身にこたえた。再発への不安やいらだちも募り、むずかる娘に思わず手を上げた。夫は次第に家に帰らなくなり、孤独感から自殺を考えた。ベッドから起き上がれず、子どもの食事さえ作れない。04年2月、離婚した。

 <がんのもたらした一番の苦しみ。それは、家庭の崩壊と、なにより私自身の精神の崩壊>

 仕事を再開して程なく、うつ病と診断された。けれど職業柄、笑顔は欠かせない。無理して働き、疲れ果てて伏せる。悪循環。「死にたい」と思い詰めた。

 「産めない恋愛」の葛藤にも苦しんだ。離婚後、交際を始めた男性に、子宮がないことを告白。相手は「それでもいいよ」と言ってくれたが、程なく去った。「やっぱり子どもがほしい」という言葉を残して。

 <子宮のない私が、心の底から憎らしい。でも子宮を取ってなかったら生きていない。こんな宿命を、いったいどうすればいいの>

 絶望の中で、難民問題をテーマにしたある映画を見た時、飢えに苦しむ人たちの描写に涙があふれた。そして気付いた。自分だけが苦しいと思っていたけれど、私は家にも食べ物にも困らず、こうして満足に暮らせている――。

 <人のために生きる。苦しんでいる人には手を差し伸べる。それが私の使命〉

 発想を変えると、うつ症状は少しずつ和らぎ、「命」にまつわる歌詞が次々とあふれてきた。ライブで闘病体験を話したことがきっかけで、がん検診の啓発や児童虐待防止のイベントにも招かれるようになった。

 舞台では、結婚や育児につまずいた過去も、あえて話す。同じ境遇に悩む人の心に響くはず、と考え、「一人じゃない。周囲の助けを借りて一緒に乗り越えよう」と語りかける。

 「がんという宿命を与えられたかわりに、『伝える』という使命をもらった」という松田さん。著書の最後をこう締めくくった。

 <人生に無駄なことは、ひとつもない。生きているだけで、奇跡なんだから>

 サンマーク出版刊、1365円。印税の全額を難民支援と東日本大震災の被災地のために寄付する。

(2011年7月22日 読売新聞)

入居者本位にこだわり続ける “庶民向け介護住宅”のパイオニア

2011-07-22 09:36:31 | 多文化共生
(以下、週間ダイヤモンドから転載)
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入居者本位にこだわり続ける
“庶民向け介護住宅”のパイオニア
メッセージ会長 橋本俊明

 突然、親の介護が必要となったが、家族では対応できない。安くて安心な有料老人ホームがあれば、心強い。そんな介護ニーズを背景に急成長してきたのが、メッセージだ。現在、同社が全国で展開する介護付き有料老人ホーム「アミーユ」は163施設にも上る。

 特徴は、入居費用の安さ。介護付き有料老人ホームといえば入居時に支払う一時金が1000万円以上、月々の利用料が30万円以上というのがザラである。ところがアミーユの場合、一時金なし、月額費用は12万~23万円前後で、厚生年金の受給額程度で入居できる。一時金なしの安価なホームは、3~4年前までは画期的なことだった。

 それを実現した低コストの秘訣は、合理化が進む外食産業や流通業のノウハウを研究し、積極的に採用した点だ。

 食事はあらかじめ工場で調理した食品を用いるセントラルキッチン方式、初期投資の抑制のために建物を地主に建ててもらって借り上げる賃貸借方式を採用、人員配置はコンピュータで効率的に管理している。

 合理的手法を次々に取り入れる姿から、メッセージを創業した橋本俊明は、「介護を科学する人」と業界人に評される。

 1948年に岡山市で生まれた橋本は、医師としてキャリアをスタートさせた。73年に岡山大学医学部を卒業、81年に橋本胃腸科外科医院を開業し、94年には医療法人自由会を設立した。
介護参入の契機となった刑務所を連想させる
高齢者の悲惨な処遇

 高齢者の処遇をもっと改善できないものか──。

 橋本は、80年代にある老人福祉施設を訪問した際の光景が忘れられない。玄関をくぐった瞬間に、鼻につく排泄物の臭気。オムツ交換用カートの前では、高齢者をベッド上で転がし、流れ作業でオムツを交換する。入浴時には、風呂場の前に裸の入居者が一列に並ぶ。それは刑務所を連想させた。

 当時、橋本が経営する医院では、手術後に退院した高齢者を「家庭の事情で引き取れない」という家族が増えていた。

 そこで、91年に家庭に戻るまでのリハビリを行う老人保健施設(老健)、95年に低額な高齢者入居施設のケアハウス、認知症の高齢者が共同生活するグループホームを始めた。

 重視したのは「入居者の声を聞く」という入居者本位の姿勢だった。

 しかし、介護職員はまったく言うことを聞かない。「介護の世界がまるでわかっていない。お医者さんは介護の現場に口を出す必要がない」とまで言われてしまう。

 奮起して介護を本気で学ぼうと考えた。図書館に通い詰め、外国の文献を読みあさった。

 96年にはオーストラリアの老人ホームを見学した。以後、英国、フランス、スウェーデン、デンマークなどの海外の施設を矢継ぎ早に訪問した。

 海外の様子を見て「日本の介護は、合理性がない」と感じた。たとえば、オムツ交換。当時の日本の施設では布オムツを用いて1日に10回以上も交換した。

 一方、オーストラリアでは吸水量の多い紙オムツを用いて1日4~5回程度と半分以下の交換回数だった。頻繁なオムツ交換は入居者と介護職員の双方にとって大きな負担。どちらが合理的なのかは明らかだった。

 介護の奥深さを知った橋本は、臨床医としての立場を捨て、介護にのめり込んだ。

 97年にはメッセージを設立、2000年度からの介護保険制度の導入に合わせてアミーユを本格的に展開した。04年には上場を果たした。施設を増やすため、地主に賃貸借方式での協力を呼びかけても、当初はまったく相手にされなかった。

 それでも実績ができると急速に協力してくれる地主が増え、設立からわずか10年で120施設を超えた。

 アミーユができるまでの高齢者施設は、富裕層向けの有料老人ホームか、低所得者向けの特別養護老人ホームなどしかなく、最も需要が多い一般世帯向けが欠如していた。このため、低価格と快適さを兼ね備えたアミーユへの入居希望者は後を絶たない。通常の有料老人ホームでは80~90%程度が目標とされるなかで、アミーユの入居率は97%にも達する(11年3月時点)。

自由な暮らしができる高齢者向け住宅を主軸に
さらなる躍進を目指す

 業績も好調だ。10年度は売上高352.9億円(前年度比10.5%増)、経常利益59.5億円(同26.1%増)といずれも過去最高を更新した。

わが社はこれで勝負!
4年前から開始したサービス付き高齢者向け住宅(高専賃)「Cアミーユ」。介護が必要な状態でも自宅と同じようなプライバシーのある生活と生活支援・介 護サービスを提供する。今後は同社の主軸事業として期待している

 今後、橋本が力を入れるのは、アミーユではなく、高齢者専用賃貸住宅(高専賃)の「Cアミーユ」だ(高専賃は来年度以降に法改正でサービス付き高齢者向け住宅に統合予定)。

 理由は二つ。一つは、介護保険の負担増を抑制するため、各自治体は有料老人ホームの建設を抑制しており、新規開設が困難だからだ。

 もう一つが、賃貸住宅という形態のほうが居住者の行動や介護サービスの選択肢が増え、“自由な暮らし”ができると考えるからだ。Cアミーユは7月1日時点の21棟(1922室)を、16年に200棟(1万室)まで増やす計画だ。

 橋本の視点は、一貫して「入居者本位」の住まいづくりだ。理想の高齢者住宅にかける情熱は尽きることがない。(敬称略)

(「週刊ダイヤモンド」編集部 山本猛嗣)

はしもと・としあき/1948年9月生まれ。73年岡山大学医学部卒業、81年橋本胃腸科外科医院設立、97年メッセージを設立し、代表取締役社長就任。2008年代表取締役会長に就任し現在に至る。

韓国の半数超「九州も危険」

2011-07-22 09:36:13 | 多文化共生
(以下、西日本新聞から転載)
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韓国の半数超「九州も危険」 東日本大震災・原発事故意識調査
2011年7月22日

釜山から到着した高速船を降りる旅行客。東日本大震災の発生後、韓国人客は大幅に減った=4月、福岡市博多区の博多港国際ターミナル

 東日本大震災と福島第1原発事故以来、日本を訪れる外国人観光客が急減している問題で、韓国の一般市民の半数以上が「九州も放射能の影響があり、安全ではない」と考えている実態が21日、九州運輸局などが実施した意識調査で明らかになった。韓国人は九州を訪れる外国人の約6割を占める“得意先”だけに、韓国向けの安全性PRの強化が九州観光にとって喫緊の課題だ。

 同運輸局によると、調査は韓国人客誘致に役立てる目的で、7月9日に九州観光推進機構などと韓国・釜山の街頭で実施。10-60代の男女218人から回答を得た。

 それによると、福島原発事故については196人(89・9%)が「事故を知っている」と回答。「福島から千キロ以上離れた九州は放射能の影響がなく安全だと思うか」との質問には「いいえ」とした回答者が124人(56・8%)に上り、「はい」とした89人(40・8%)を上回った。

 韓国内の事情に詳しい同機構海外誘致推進部の李唯美主任は「そもそも韓国人の多くが九州のことを知らず、日本国内というだけで『危ない』と思われている」と指摘。「名前が似ている『福岡』と『福島』や『宮崎』と『宮城』の区別が付いていない人もおり、まずは一般市民に九州を分かってもらう必要がある」と話す。

 同運輸局や同機構は震災以降、韓国などアジア各国に九州観光の安全性をアピールしようと、現地メディアを九州の観光地に招待するPR事業などを展開。韓国人旅行者については、JR九州高速船と未来高速が共同運航する博多-釜山の高速船の6月の利用者数が前年実績を上回るなど、客足が回復する兆しも出始めている。

 それだけに、今回の調査結果について、同運輸局国際観光課の担当者は「予想以上に多くの韓国人が九州を危ないと考えていることが分かった」とした上で「九州の安全性をもっとPRする必要がある」と強調。メディア招待などの広報事業に一段と力を入れる考えを示した。

 法務省入国管理局の統計では、4月に九州の空港や港から入国した韓国人を含む外国人は、前年同期比68・8%減の2万6121人にまで落ち込んだ。

=2011/07/22付 西日本新聞朝刊=

都城市が救急指さしカード

2011-07-22 09:35:45 | 多文化共生
(以下、西日本新聞から転載)
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都城市が救急指さしカード
2011年7月22日 01:02

 宮崎県都城市は、外国人や耳が不自由な高齢者が救急搬送時に病気の症状、けがの状態や患部を的確に伝えられるよう、英語、中国語、日本語で医療用語などを説明した「救急指さしカード」を作り、市消防局の救急車7台に載せた。市によると同様のカードの作製は県内自治体で初という。

 カードはA4サイズで2枚組。「めまいがする」「しびれる」「吐き気」などの症状のほか、ぜんそくや脳梗塞、糖尿病などの持病も指で示して救急隊員に伝えられる。ラミネート加工のため書き込みもでき、隊員が服用させた薬を搬送先の医師に伝達する際などに役立つ。

 2010年に市消防局が救急搬送した外国人は中国人、フィリピン人など11人。市消防局が今年5月、救急隊員を対象にしたアンケートでは約7割が「傷病者が外国人などで意思疎通が図れず対応に困った経験がある」と回答した。

 市消防局職員の手作りで費用は1枚当たり100円程度。要望があれば、民間病院の救急車にも提供する。

=2011/07/22付 西日本新聞朝刊=

中国で日本アニメの「パクリ疑惑」が持ち上がっている。

2011-07-22 09:35:10 | 多文化共生
(以下、東奥日報から転載)
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2011年7月22日(金)
天地人
 中国で日本アニメの「パクリ疑惑」が持ち上がっている。中国版新幹線を主役としたテレビアニメが日本のアニメ「超特急ヒカリアン」にそっくりといい、どう見ても盗用ではないかと来月の放送開始を前に騒ぎになっている。

 ネットの書き込みの中に「コピー王国は恥ずかしい」とあったそうだが、アニメに限らず時々そっくりさんが出回る。そもそも新幹線自体がコピーではないかといわれてきた。北京と上海を結ぶ最高時速300キロの中国版新幹線「和諧号」は東北新幹線「はやて」によく似ている。

 それもそのはず日本とドイツから導入した技術をベースに開発した。元は「はやて」だから兄弟分のようなものだ。それを言われるとかちんとくるらしい。向こうはあくまでも「国産技術」と言い張り、国際的な特許申請手続きに入った。輸出を目指すのだと鼻息は荒い。

 明治の鉄道事始めを振り返れば、日本だって大口をたたけない。機関車、客車からレール、枕木に至るまで英国から輸入した。お雇い外国人に教えを請い、測量し土木工事をしてやっとのことで走らせた。惜しげもなく先端技術を与えてくれた産業革命の旗手に足を向けては寝られない。

 中国人が中国版新幹線を語るとき肩に力が入るのは、国威発揚プロジェクトだからだろう。手前みそながら日本は、外国に学び自前の技を磨いて世界に誇る鉄道王国をつくり上げた。創意工夫を凝らし技術革新に挑んだ姿勢はまねてもらっていい。そんなコピーなら大歓迎だ。