こういった記事のすぐそばに、例えば「ミャンマー」という呼称にさえ、抵抗感を感じる人々が多くいることは読めない。
(以下、毎日新聞から転載)
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「日本国籍取得:ミャンマー出身・栗栖かいんさん「今まで受けた恩、返したい」 /広島」
市民団体「広島ミャンマー(ビルマ)友の会」(会員72人)を設立し、日緬(にちめん)両国の交流を進めるミャンマー出身のティンティンカインさん(37)=南区南蟹屋2=が先月15日、日本国籍を取得し、「栗栖(くりす)かいん」に改名した。国籍取得で日本での選挙権を得たかいんさんは、「日本人として出来ることはすべてやりたい。日本人と日本の価値観をミャンマーに伝えることが私の使命で、今まで受けた恩を多くの人に返したい」と意気込んでいる。【吉川雄策】
かいんさんは今回、06年9月に結婚したニュージーランド出身の夫クリス・モアさん(41)、07年生まれの長男駿君と共に日本国籍を取得。夫の名「クリス」を漢字に当てはめて姓にした。かいんさんが投票可能になるのは、今も自宅軟禁下に置かれるアウンサンスーチーさん(62)率いる国民民主連盟が圧勝した90年5月のミャンマー総選挙以来実に18年ぶりだ。
かいんさんは、高校時代に母国ミャンマーで元日本兵の男性から日本語を学んだことが契機で日本に関心を持った。21歳で銀行に勤務しながら日本語を勉強し続け、98年9月に来日。99年から広島大大学院国際協力研究科の博士課程で学んだ。
当初は、言葉の壁などで苦労もあった。だが、親や親せきのように支援してくれる広島の市民に支えられ、自らの価値観が大きく変わった。「心の中にあった国籍や宗教の壁が自然となくなり、一人一人の人間として見られるようになった」
そうした支援の恩返しをしようと、04年5月に同会を設立。05年4月には首都ヤンゴンに両国交流会館「日本ミャンマーふれ愛センター」を開設。若者のための日本語教室を開くなど活躍している。
しかし、母国ミャンマーは外国からの支援に過敏に反応する軍政下であり、同会が日本人などの支援を得た活動だと公言出来ない側面もあったことから、昨年2月に日本国籍取得を決断。かいんさんは、「世界中のどこにいても、帰りたい場所が広島になった」と内面の変化も語る。
周辺国のタイやインドと比べて母国ミャンマーの知名度は高くない。一方で母国の中にも「日本は金持ちの国」とのイメージが強く、勤勉な点などが伝わっていないと感じている。やるべきことは、まだまだ多い。
9月で来日10年を迎えるかいんさんは「友の会の活動が生きがいになっている。家族3人にとって広島は大切な場所。少なくともあと10年は住み続け、日本語の書物もミャンマー語に訳してみたい」と目を輝かせている。
毎日新聞 2008年3月13日
(以下、毎日新聞から転載)
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「日本国籍取得:ミャンマー出身・栗栖かいんさん「今まで受けた恩、返したい」 /広島」
市民団体「広島ミャンマー(ビルマ)友の会」(会員72人)を設立し、日緬(にちめん)両国の交流を進めるミャンマー出身のティンティンカインさん(37)=南区南蟹屋2=が先月15日、日本国籍を取得し、「栗栖(くりす)かいん」に改名した。国籍取得で日本での選挙権を得たかいんさんは、「日本人として出来ることはすべてやりたい。日本人と日本の価値観をミャンマーに伝えることが私の使命で、今まで受けた恩を多くの人に返したい」と意気込んでいる。【吉川雄策】
かいんさんは今回、06年9月に結婚したニュージーランド出身の夫クリス・モアさん(41)、07年生まれの長男駿君と共に日本国籍を取得。夫の名「クリス」を漢字に当てはめて姓にした。かいんさんが投票可能になるのは、今も自宅軟禁下に置かれるアウンサンスーチーさん(62)率いる国民民主連盟が圧勝した90年5月のミャンマー総選挙以来実に18年ぶりだ。
かいんさんは、高校時代に母国ミャンマーで元日本兵の男性から日本語を学んだことが契機で日本に関心を持った。21歳で銀行に勤務しながら日本語を勉強し続け、98年9月に来日。99年から広島大大学院国際協力研究科の博士課程で学んだ。
当初は、言葉の壁などで苦労もあった。だが、親や親せきのように支援してくれる広島の市民に支えられ、自らの価値観が大きく変わった。「心の中にあった国籍や宗教の壁が自然となくなり、一人一人の人間として見られるようになった」
そうした支援の恩返しをしようと、04年5月に同会を設立。05年4月には首都ヤンゴンに両国交流会館「日本ミャンマーふれ愛センター」を開設。若者のための日本語教室を開くなど活躍している。
しかし、母国ミャンマーは外国からの支援に過敏に反応する軍政下であり、同会が日本人などの支援を得た活動だと公言出来ない側面もあったことから、昨年2月に日本国籍取得を決断。かいんさんは、「世界中のどこにいても、帰りたい場所が広島になった」と内面の変化も語る。
周辺国のタイやインドと比べて母国ミャンマーの知名度は高くない。一方で母国の中にも「日本は金持ちの国」とのイメージが強く、勤勉な点などが伝わっていないと感じている。やるべきことは、まだまだ多い。
9月で来日10年を迎えるかいんさんは「友の会の活動が生きがいになっている。家族3人にとって広島は大切な場所。少なくともあと10年は住み続け、日本語の書物もミャンマー語に訳してみたい」と目を輝かせている。
毎日新聞 2008年3月13日
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