多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

(富山のラーメン紀行1)2013/06/07

2000-01-01 21:25:55 | とやまのラーメン紀行
(富山のラーメン紀行1)2013/06/07
県外での研修では、ほぼ毎回、何かに絡めて「富山ブラックって知ってますか?」と質問します。その筋では、それなりに全国的にも名が知られているようですが、自分が聞いた感じですと、100人に1人知っているかどうかってところです。
県内では今や、その名称を知らない人はいないほどの「富山ブラック」。とあるサイト運営者が、富山のラーメンの特長を例示しつつ、命名したのがその起源であり、その時期は自分の曖昧な記憶では、およそ2000年前後だったはず。それを自認する店舗ではのぼりを掲出し、テレビや情報誌に掲載され、およそ10年でほぼ全県民に浸透し、さらにはブラウン、レッド、ホワイト、グリーンなど派生商品も生まれ、富山ブラックを食べに来るといった観光資源にまで成長している。おそるべし!

富山ブラックの老舗的店舗である「大喜」を初めて食したのは1982年(昭和57年)。当時、かなり塩辛い味付けが好きだった自分は、その独特の雰囲気に翻弄されつつも、一口でその圧倒的な存在感に魅了された。自分が知っているラーメンとは別の食べ物だった。その頃、自分は県東部に住んでおり、ラーメンと言えば袋ラーメン若しくは近所の食堂の出前。七越ラーメンが閉店しており、8番らーめんが開店し始めた頃。すでに年長の知人からは、富山市には「大喜」というラーメン店があり、「チャーシューがどんぶり一杯に乗っていて、麺が見えない」と聞いていた。テレビや情報誌で掲載されることもなく、もちろんインターネットもなく、情報は人から人へと伝えられていたのでした。
(もしかしたら連載するかも…)

写真は当時の面影を残す「大喜根塚店」


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