goo blog サービス終了のお知らせ 

多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

精神障害者求職、5年で倍増 社会参加 企業も後押し

2013-09-06 10:08:58 | ダイバーシティ
(以下、河北新報社から転載)
====================================
精神障害者求職、5年で倍増 社会参加 企業も後押し


スクラム古川店で接客する千葉さん。レジや商品陳列など幅広い業務を担う

障害者の雇用促進を求める宮城労働局の井上局長(右)
 障害者雇用に向けた法的整備が進む一方、採用する企業側では試行錯誤が続いている。中小企業を中心に法定雇用率を達成する事業所数が伸び悩む中、重要な戦力として活躍する障害者も少なくない。宮城県内で先進的な取り組みを展開する宮城県内の職場を取材した。(報道部・熊谷吉信)
 CD・書籍販売店「スクラム」を運営するイオングループのアビリティーズジャスコ(宮城県利府町)。障害者雇用率が36%に上る同社は、「障害者は顧客の前に出ないケースが多かったが、積極的に店頭に配置している」と説明する。
 スクラム古川店(宮城県大崎市)の千葉剛史さん(28)は、3歳の時に事故で右手首を切断した。レジや商品の陳列を担う千葉さんは「来店した子どもに接することで、障害者への理解も進む。障害者の社会参加が当たり前になってほしい」と期待する。
 同社は今年から、障害者の職業訓練を行う就労移行支援事業所の機能も担う。現在、3店舗で13人が接客などの実践トレーニングを受けている。
 4月から古川店に併設された事業所に通う女性(36)は、大学生の時にうつ病を発症した。長く昼夜逆転の生活が続いていたといい、「最初は不安だったが、ようやく慣れてきた」と笑顔を見せる。
 貨物カートの洗浄事業を手掛けるクリーン&クリーン(仙台市)は、宮城野区の東北工場で知的障害を中心に18人を雇う。作業の補佐役ではなく、他工場に出張して業務指導に当たっている。
 猪又明美社長は「ハンディはあっても適した仕事なら十分に能力を発揮できる。今後はキャリアアップの手法を考えたい」と期待する。

◎「法定雇用率達成を」/宮城労働局 5経済団体へ要請

 宮城労働局は5日、宮城県内の五つの経済団体を訪れ、障害者の雇用促進を要請した。今年4月に障害者の法定雇用率が1.8%から2.0%に引き上げられたのに伴い、宮城県や仙台市などと合同で実施した。
 県中小企業家同友会(仙台市)では、労働局の井上真局長が要望書を手渡し、「法定雇用率の早期達成に最大限努力してほしい」と求めた。
 同友会の鍋島孝敏代表理事は「障害者も健常者も職場で区別しないことが大切だ。会員の意識向上に努める」と応じた。井上局長らは同日、県商工会議所連合会なども訪問した。
 障害者の雇用は、従業員規模50人以上の事業所に義務付けられる。労働局は県内の対象1500社に要望書を郵送する。


2013年09月06日金曜日

生活保護法改正案の「扶養義務強化」が 障害者にもたらす破壊的ダメージの中身

2013-09-06 10:07:12 | ダイバーシティ
(以下、ダイヤモンド・オンラインから転載)
====================================
生活保護法改正案の「扶養義務強化」が
障害者にもたらす破壊的ダメージの中身
――政策ウォッチ編・第38回

2013年6月に廃案となった生活保護法改正案は、再度、国会に提出されて審議される可能性がある。2013年7月に参議院・衆議院の「ねじれ」が解消したため、今回は廃案とはならず、成立する可能性も高い。改正案に含まれていた「扶養義務強化」は、特に障害者たちにとって、どのように破壊的な可能性を持っているだろうか?

廃案となった生活保護法改正案
問題は「水際作戦」だけではなかった

 2013年5月に国会へと提出され、6月に廃案となった生活保護法改正案で、最大の問題となっていたのは、一言でいえば「水際作戦の法制化」であろう。つまり、生活保護の申請を困難にし、申請をさせなかったり、断念させたりしようとすることであった。

 現在の生活保護法では、福祉事務所を訪れて口頭で「申請したい」と意思表示するだけでも、住所・氏名等の必要事項とともに「申請したい」という意思を記した書面を郵送するだけでも、法的に申請として有効である。もっとも、このような形態での申請を「申請」と認めない運用、いわゆる「水際作戦」を行う福祉事務所も少なくないのだが、現行の生活保護法では、そのような運用の方が違法である。

 ところが改正案は、さまざまな添付書類とともに申請書を提出することが要件化されており、特にホームレス・DV被害者などの生活保護申請を、極度に困難に、実質的に不可能にしかねない内容となっていた。文字通り「生きるか死ぬか」という状況にある人々が申請も行えなくなるのは、非常に重大な問題である。そこで、改正反対運動は主に、この「水際作戦法制化」の側面を争点として展開された。これらの働きかけを受け、改正案は一応、「申請の要件を緩和することができる」という内容の文言を含むものに修正されてはいた。

 改正案には、その他にも、数多くの問題点が含まれている。再度の生活保護法改正案が、どのような形で国会に提出されるのかは今のところ明確ではないが、今回は、「扶養義務強化」を焦点として、特に障害者にとって「親族の扶養義務」が持つ意味を考えてみたい。

 2012年4月に持ち上がった、いわゆる「生活保護バッシング」のきっかけは、お笑い芸人の河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことであった。当時、年収5000万円とも伝えられる河本氏が「母親を扶養していない」と報道され、問題視されたのである。その後、公務員の親族が生活保護を受給しているケースもあることが報道されたりもした。

 これらの報道によって、「扶養義務強化」については、

「親族を扶養する能力が充分にあるにもかかわらず、扶養する義務を果たしていない人の問題」

 という理解が一般的になっている。その一般的理解は、実態を反映しているだろうか? それ以前に、「親族を扶養する」は、「当然の義務」であるべきなのだろうか?

「家や施設を出て地域で暮らしたい」
障害者自立生活運動と生活保護の関係

 かつての日本の障害者は、充分な教育を受けることもできず、したがって就労することもできず、親とともに家で、親亡き後は施設や病院の中で生涯を送る以外の選択肢を持たないことが多かった。長年にわたる障害者たちの運動によって、その状況は徐々に改善されてきてはいるけれども、現在も「家族と離れたい」「施設や病院から出たい」という希望を持ちながら、その希望を叶えられずにいる障害者は少なくない。

 本連載政策ウォッチ編・第33回で紹介した生活保護当事者の須釜直美さんは、生まれつきの重度障害により、母親からの暴力・ネグレクトにさらされて生育した。養護学校といえども通学が可能な身体状況ではなかったので、訪問指導という形で、きわめて不完全な義務教育を受けた。重い障害を持ち、教育も充分でない須釜さんが就労収入を得ての経済的自立を実現することは、現実の問題として、極めて困難と考えられる。

 須釜さんは、施設に3年ほど入所して生活訓練を行った後、生活保護を利用して、単身で、アパート暮らしを続けて現在に至っている。須釜さんは生き生きと毎日を送っており、豊かな人間関係の中で、さまざまな意味での社会生活を営んでいる。もし、須釜さんに「生活保護を利用しての地域生活」という選択肢がなかったとしたら? 須釜さんを実質的に育てた父方祖父母亡き後は、虐待する母親のいる原家族で過ごし、親亡き後は施設で生涯を送るしかなかっただろう。

 障害者が障害によって失う機会は、就学・就労以外にも、実に数多い。「地域で暮らす」という選択肢を障害者から奪い取ることは、障害者から「『今日の夕食にはアジの開きが食べたい』と考え、調理して食べる」「生活をしやすくするための数多くの工夫を自分で行う」「近隣の人間関係に悩んで解決方法や折り合いを考える」といったさまざまな機会、障害のない人にとっての、時には疎ましい「あたりまえ」の生活を奪い取るということだ。

 生活保護制度は、極めて不完全ながら、障害者たちに対して「地域で『あたりまえ』の生活をする」機会を提供し、支えてきた。その背景には、障害者たちが1960年代から粘り強く展開してきた障害者自立生活運動があった。ここでいう「自立」の内容は、「誰の助けも借りない」ということではなく、「自分の生活、自分の人生を、自分で選びとる」ということである。この「選びとる」の中には、必要なら他人の助けや制度の支援を得ることも含まれる。「生活保護を利用する」も、「自立」の一環として選び取られてきている経済的「自立」の手段の1つだ。

 しかし、廃案になった改正案のとおり、親族の扶養義務が強化されてしまったら、どうなるだろうか? 障害者は結局のところ、「親が生きている間は親の家で、親亡き後は施設で」という生活に戻るしかなくなってしまうのではないだろうか? 特に、障害者であることに対して何の「自己責任」もないのに、幼い時からの障害の場合、「あたりまえ」を奪われた生活を強いられ続ける。このようなことが当然とされていた1960年代以前の日本に戻ってしまってよいのだろうか? そもそも、「家か施設へ」という障害者への扱いは、どこが問題なのだろうか?

障害者の存在を「見えなくする」
それ自体が“障害者差別”


尾上浩二(おのうえ・こうじ)氏 1960年大阪に生まれる。小学校を養護学校、施設で過ごした後、普通中学・高校へ進む。78年大阪市立大学に入学後、障害者問題のサークル活動をきっかけに、自立生活運動に取り組み始める。2005年通常国会、2006年臨時国会で、障害者自立支援法に関する参考人として意見陳述。現在、DPI日本会議事務局長、障害者政策委員会委員。他に自立生活センター・ナビ運営委員等。
 長年、日本の障害者自立生活運動をリードしてきたDPI(障害者インターナショナル)日本会議・事務局長の尾上浩二さんは、

「今までの障害者施策って、家族依存ですよね。家族とは、実質的には親のことで、その親が高齢になったり亡くなったりすると、施設に行くことになります」

 と語る。その通りである。広く社会的に評価される活動をしている障害者たちの生育歴には、献身的な母親と、その母親の献身を支える経済力を家庭にもたらす父親が存在していることが多い。その両親が中心となって、その障害者たちは障害児時代に充分な支援を受けて学校生活を送り、充分な教育を受けることが可能になり、広く評価される障害者たちが生まれるのである。

 筆者自身が、中途障害者になってから国立大学の大学院博士課程に在学していた経験からも、「献身的な親あってのこと」という側面は大きく感じられる。その大学は、障害学生支援に非常に注力している大学の1つであり、多数の障害学生が在籍している。しかし、その障害学生たちがアパート等での生活を含めて学生生活を全うし、さまざまな活躍をしている背後には、献身的な両親の存在がある。筆者も、「頭の下がるような」と形容したくなるような親たちを数多く見てきた。逆に言えば、そのような親に恵まれなかった多くの障害児たちは、心身とも健康に生育することも、充分な教育を義務教育レベルといえども受けることも難しく、「国立大学の入試を突破して大学生になる」ところまでたどりつくことができずにいるのである。

 話を尾上さんに戻そう。現在のところ、親なくては、家族の献身なくては、障害者の活躍はありえないという現実がある。その現実が現実であることは、認めざるを得ないのだが、何が最大の問題なのだろうか? 施設だって、障害者施設が「しかたなく押し込められる悪条件の場」ではなく、たとえばホテルのように障害者の社会活動を支える場になれば済む話ではないのだろうか?

「親がかりの在宅や、障害者施設への入所では、私たちが求める解決にならないんです。障害者が、家や施設の外の、障害のない人からは見えなくなったり、見えにくくなったりします。その『見えなくすること』が差別なんです」(尾上さん)

 尾上さん自身は、1960年に大阪で生まれた。生まれつきの脳性麻痺で下肢が不自由だった尾上さんは、小学校時代は養護学校に通学したり、障害児のための施設に入所して施設内の小学校で教育を受けたりした。中学校からは、地域の中学校に通うことを強く希望した。その希望は叶えられたものの、学校や教員たちからは必要な配慮や支援を「全く」といってよいほど受けられなかった。クラスメートたちの友情に支えられて中学校・高校生活を送り、大学に進学し、大学時代から障害者自立生活運動に取り組み始めた尾上さんは、障害者団体の事務局に勤務したり、政策検討に参加したりして、現在に至っている。

「夜間中学に行きたい」という
障害者の希望を支えた生活保護制度


DPI日本会議Webサイト。DPIは、障害者をとりまく問題に、人権の問題として・社会の問題として取り組む障害当事者たちの国際団体であり、国連の諮問機関でもある
拡大画像表示
「1990年代には、『障害者を施設に入所させることは、本人にとって幸せ』という都市伝説がありましたね。風光明媚、すなわち人里離れた場所にあり、夏は涼しく冬は暖かい屋根の下にいられて、医療・介護を提供するスタッフがいて、食事が出てきて。障害者はそういう場所で暮らすことが幸せなんだという」(尾上さん)

 1990年代までだろうか? 現在も、そういう考え方は根強く残っていると筆者は思う。年配の人々がそう考えているだけではない。20代や30代でも、「障害者や生活保護当事者は、そのような人々だけを集めた場所で過ごすことが本人の幸せ」と考えている人々は少なくない。その人々は、理由については、「そのようなマイノリティに対する理解のある施設であり、仲間がいて、必要な支援が受けられるから」とも言う。「一生懸命生きている自分たちの『世間』にマイノリティがいると面倒くさいから、どこかに閉じ込めておきたい」という本音を、どこかで背負っている意見かもしれないが。

「1993年に、『施設を出たい』という重度障害者に、相談を受けたんです。その人は、20年ぶりに施設を出て、夜間中学に行きたかったんです。障害児が『あたりまえ』に就学免除を受けていた時代に育った人ですから、義務教育も受けられなかったんですよ」(尾上さん)

 夜、ちょっと散歩して夜風に吹かれたかったら、外出する。文化施設や教育機関に行きたかったら、行って参加する。夜遊びしたかったら、居酒屋やカラオケボックスに行く。健常者なら誰もが享受している「あたりまえ」。しかし、そんな自由はないのが、障害者施設だ。

「その人のご両親は、とうに亡くなっていて。お兄さんが1人いたんですけど、そのお兄さんとも入所以来会ってなかったんです。施設にいる障害者が、家族と絶縁状態になっていることは少なくありません」(尾上さん)

 兄は、その人が施設を出ることに反対だった。施設を出たら、どうやって生活するのか。障害者の生活支援に関する制度化が不十分だった当時、障害者の生活は、障害者自身が募集したボランティアに支えられていることが多かった。兄は、

「今はボランティアに囲まれていい気になっているかもしれないが、いずれ逃げられる。その時に泣きつかれても、自分にも家族や仕事があるから、何もしてやれない。今、せっかく、1日面倒みてもらえる施設にいるんだから、その方がいいではないか」

 と、その人に言った。そして尾上さんに、

「お前らが、かどわかすから!」

 と怒ったそうだ。

「ご本人の自立への思いを、お兄さんは知らなかったし、分からなかったんですね」(尾上さん)

 結局、兄弟での話し合いの結果、

「どんなことがあっても、兄を頼ることはしません」

 という念書を、その人が兄に提出することで、反対する兄をなだめることができた。

 さて、その人が施設を出て地域生活を始め、慣れたら夜間中学にも通うには、生活保護を利用するしかない。現行生活保護法では、親族による扶養義務は、夫婦間・未成年の子に対する親を除き、「余裕があって、扶養したいという意志があれば、小額でも扶養してください」という程度にしか求めていない。その人が生活保護を申請すると、兄に「扶養できませんか」という照会状が送られるが、兄が「扶養できません」と返事して返送すれば済むことであった。尾上さんたちは、

「照会状がありますけど、お兄さんの方で返事を書いてもらったら、私たちの方で手続きを支援しますから」

 と兄を説得した。そして、その人の「施設を出て自立生活、さらに夜間中学へ」という夢は叶った。

生活保護の「無差別平等」の意味を
改めていま、考えるべき

「6月に廃案になった生活保護法改正案は、親族扶養に対する証明書とか、申請するときの書類とか、ゴチャゴチャ要求してたじゃないですか。障害児や障害者が教育を充分に得られず、結果として就労、充分な収入の得られる就労も得られない。だから、障害者が生きる権利を保障するために、生活保護があるんです」(尾上さん)

 でも、改正案は、また国会に提出されるかもしれない。昨年12月に自民党政権が成立し、7月には参院・衆院とも、自民党が与党になった。

「もう、『どの党だから』ということではないと思います。6月に成立した障害者差別解消法も、党も派閥も越えた、数多くの理解ある議員さんたちの障害者問題への思いがあって、成立しました」(尾上さん)

 生活保護問題については、「真に困っている人」だけを助ければよい、という見方も強い。そして、障害者は「真に困っている人」と考えられやすい。そのことについては?

「その『真に困っている人』を、誰かが選ぶとしたら、それは『生きてよい人なのか、生かしておく価値のない人なのか』に関する選別ですよね。生活保護の『無差別平等』の意味を、良く考えてみるべきだと思います。生活保護が『無差別平等』でなくなったら、障害者も含めて、恣意的な切り捨てが次から次に起こるでしょう」(尾上さん)

 そもそも、障害者だから困っているとは限らないし、困っている人が障害者であるとも限らない。働いている障害者もいるし、合理的配慮があれば働ける障害者もいる。就労にかぎらず、幅広い意味での社会参加を重層的に支える支援の仕組みが、すべての人に対して開かれていれば。そのための、生活保護制度であれば。筆者は強く、そう思う。

 次回は、これからの生活保護制度はどのようであることが望ましいのかについて考えてみたい。生活保護問題に関わる法律家・支援者・学識経験者などは、しばしば「反対するばかりで、実行可能な代案を出せない」と批判される。その見方は、当たっているだろうか?

「障害者 復興から取り残さない」…岩手

2013-09-05 13:13:18 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
================================
「障害者 復興から取り残さない」…岩手

大槌町の就労支援センター(遠野まごころネット提供)

 岩手県遠野市のNPO法人「遠野まごころネット」が、釜石市と大槌町に被災地の障害者を対象にした就労支援施設「まごころ就労支援センター」を設置し、就労希望者を募集している。

 法人の小谷雄介副理事長(46)は、「障害者が復興から取り残されることがないように支援したい」と話している。

 法人によると、釜石市と大槌町で、障害者手帳の所有者はそれぞれ人口の約5~7%いるという。センターは被災地の就労環境が十分ではない中、より厳しい状況にある障害者の自立や雇用を支援するため設置した。

 対象となるのは、知的、精神、身体に障害のある沿岸被災地在住者。二か所のセンターで計42人を受け入れる。障害の程度などにより、雇用契約を結び最低賃金を保障する型や、より緩やかに利用者という立場で作業料を得られる就労方法を用意。一人ひとりの状況に合わせたサポートを行う。

 釜石市の施設は、空き家を改修し、ジュエリー・アクセサリーなどの工房、パソコンを使った事務作業やデザイン技術を学びながら仕事ができる作業場となっている。

 大槌町の施設はカフェを備え、店員として働いてもらうほか、既に整備しているハーブ園で収穫などの作業にあたる。

 一部有料で、施設への送迎や食事を提供する。施設の見学会も受け付けている。問い合わせはセンター代表(0193・27・2002)。

(2013年9月5日 読売新聞)

障害者のための乗馬療育

2013-09-05 13:12:48 | ダイバーシティ
(以下、朝日新聞から転載)
================================
障害者のための乗馬療育

気持ちよさそうに馬に乗る翔太くん。やさしく声をかけながら一緒に歩くインストラクターの江刺尚美さん(右)と理学療法士の小島愛子さん(左)=浦河町

騎乗前後の左右の座骨にかかる体圧の変化=理学療法士・小島愛子さんの資料から

■身体機能活性化、癒やしにも

 【深沢博】馬産地・日高で馬に乗り、運動不足を解消し、心身をリフレッシュしたい。数ある乗馬クラブを調べていると、浦河町西舎で障害者のための乗馬に取り組む「わらしべ乗馬療育研修センター」が目にとまった。

 さっそく訪ねてみると、センター長の千葉祐記さん(74)がにこにこと笑顔で迎えてくれた。「今日は翔太くんが来る日。乗馬療育の現場を見ていかない?」

車から降りてきた菊地翔太くん(10)は札幌の養護学校の5年生。知的障害に伴う運動障害で歩くこともままならなかった3年前、同センターの乗馬療育と出合った。

 「まさか馬に乗れるなんて思わなかった。それが、乗るととってもうれしそうだし、何より、歩けるようになったんです」と父の保夫さん(41)。車で3時間以上かけて、月に1~2回、浦河まで通う。「それに、スタッフの皆さんが専門知識を持ってやさしくしてくれるので、安心して任せられる」

 スロープ付きの乗馬台からスタッフが手綱を持つ馬の背にまたがった翔太くんは、乗馬療育インストラクターの江刺尚美さん(33)と、理学療法士の小島愛子さん(32)に見守られ、気持ちよさそうに馬場を巡った。

 「馬の背で揺られることで身体機能が活性化され、精神的にも癒やされるんです」と江刺さん。これまで障害のある多くの人の乗馬療育プログラムを考え、実践してきた。

 科学的に乗馬療育を支えているのは小島さんだ。「試してみますか?」。馬場近くにある研究室棟で体圧測定器を尻の下に入れ、左右の座骨にかかる圧力を測ると、「えっ、こんなに違うの?」。

 小島さんは全国理学療法学会で、乗馬前後の体圧(座圧)の変化などを発表した。脳性まひ、脳血管障害(脳卒中)後遺症、精神運動発達遅滞などの障害がある11~98歳の男女30人の測定データで、乗馬前は左右に大きな違いがあっても、乗馬後は左右均等に近づいたことを示した=グラフ。また、唾液(だえき)アミラーゼを測定し、騎乗後に数値が下がってストレスが減少したことも実証した。

 「馬に乗ってみましょう」。パカポコと常足(なみあし)で歩く馬の背でバランスを取ろうとすると、自然と背筋が伸びる。内ももの筋肉も使う。30分足らずの乗馬でうっすらと汗をかいた後、座圧を測ってみると、左右が均等に近づき、驚いたことに左右の座圧ともに格段に高まっていた。「まっすぐに背筋が伸びれば骨盤が起きて座骨に体重が乗り、座圧は高まる。馬に乗ることで自然に姿勢がよくなったということです」

 センター長の千葉さんは北海道大の馬術部出身。「人を笑顔にする馬の力を最大限に引き出したい」と、8頭の馬の世話や厩舎(きゅうしゃ)管理を主に担い、チームを引っ張る。

 心やさしい専門スタッフが馬を育て、レッスンの計画を立て、障害に応じた乗馬を科学的にサポートする。そんな「チームわらしべ」の挑戦をこれからも見守りたい。

福祉避難所:高齢者、障害者受け入れ2割増

2013-09-04 10:36:33 | ダイバーシティ
(以下、毎日新聞【福井】から転載)
=================================
福祉避難所:高齢者、障害者受け入れ2割増 県内174施設に 震災後、必要性に理解 /福井
毎日新聞 2013年09月03日 地方版

 介護が必要な高齢者や障害者を災害時に受け入れる「福祉避難所」が、県内では東日本大震災前より約2割増の174施設(今年5月現在)になったことが、県の調査で分かった。大震災で一般の避難所に逃れた高齢者や障害者が体調を崩すケースが相次ぎ、市町が指定を進めたとみられる。岩手県陸前高田市に職員を派遣した勝山市は現地での職員の経験を生かし、積極的に福祉避難所を増やしたという。【佐藤慶】

 福祉避難所は耐震性や耐火性があり、バリアフリーのトイレなどが備わった福祉施設や学校、公民館などを市町が指定する。

 県地域福祉課によると、2010年11月に147施設だった県内の福祉避難所は、大震災約8カ月後の11年11月には166施設に急増。現在の174施設のうち、約7割は特別養護老人ホームなどの高齢者施設で、残りは障害者施設や児童福祉施設など。

 最も多く指定しているのは福井市(60施設)で、越前市(17施設)、坂井市(16施設)が続く。一方、高浜町は指定施設がなく、池田町(1施設)やおおい町(3施設)も低迷している。

 勝山市は10年11月時点で1施設だったが、現在は計10施設を指定している。震災後、同市が陸前高田市に派遣した職員は、介護が必要な高齢者らが集まった避難所で食事や入浴などの介助を手伝った。トイレに1人で行けなかったり、環境が変わって症状を悪化させたりした避難者と接し、福祉避難所の重要性を強く感じたという。

 同市は11年秋に、福祉避難所として開設可能な規模のほぼ全ての市内の福祉施設と災害時の協定を結び、指定にこぎつけたという。福祉避難所の担当者は「介護施設の職員のなかにもボランティアで陸前高田市に行った人もいる。福祉避難所の必要性を理解してもらっており、多くの施設と協定を結べた」としている。

 一方、県内で唯一、福祉避難所がゼロの高浜町。担当者は「施設からは『災害時に外部の人を受け入れられる体制を確実にとれる約束ができない』などの意見をもらっている。理解してもらえるようにお願いするしかない」と頭を悩ませている。

発達障害の4歳長男を殺害した母親…夫の苦悩

2013-09-04 10:36:09 | ダイバーシティ
(以下、産経新聞から転載)
======================================
発達障害の4歳長男を殺害した母親…夫の苦悩
2012.1.21 12:00

 青白い顔の女が腰縄をうたれた姿で法廷に座っていた。東京都立川市で昨年、発達障害と診断された4歳の長男を絞殺したなどとして殺人と殺人未遂の罪に問われた母親(36)の裁判員裁判。東京地裁立川支部は今月17日、母親に懲役5年(求刑懲役7年)を言い渡した。黒髪を肩まで伸ばし、「学生時代から真面目な子だった」(実父の証言)という被告。なぜ修羅の道を突き進んでしまったのか。(三枝玄太郎)

 女は昨年1月12日、立川市の自宅で、血管が浮き出るほど白く細い手で長男を絞殺し、長女(6)の首も絞め、重傷を負わせた。発達障害だと診断された長男の将来を苦にした末の凶行だった。

 傍聴席には支援者とおぼしき姿も散見され、夫(37)も情状証人として出廷し、刑の執行猶予を求めた。だが被告の細い目は終始虚ろで、目の前で繰り広げられる光景にさほど関心があるようには見えない。

「刑務所に入れて誰が幸せになるのか」

 「家内をこういう状態にして申し訳ない。もっと早く私が考えてあげれば、こういうことにはならなかった」-。情状証人として出廷した夫は弁護人の問いに7秒ほど沈黙した後、涙声で答えた。

 被告は1歳半検診で長男が発達障害だと指摘されたことや幼稚園への入園を断られたことを機に一人で悩みを深めていった。

 長男は広汎性発達障害と診断されたが、軽度の知的障害の疑いはあったものの障害の程度は軽く、保育園での生活も多少の問題行動はあったものの保育園側は深刻には考えていなかった。

 だが保育園とのやりとりを記したノートに被告の返信は徐々に減り、殺害の約1カ月前の平成22年12月には甲府市に長男と長女を連れて家出してしまった。

 心配した親族はたびたび被告の家を訪れていたが、その矢先の事件だった。

 サービス業の会社員の夫はなかなか休めないほどの仕事中心の毎日で被告は日々悩みを募らせていた。

 証人「朝早くから深夜まで連日忙しかった。妻の状態は把握していました。辛そうだなという状態は感じていました。私も何もしなかったわけではなく、休みの日は子供たちを保育園、幼稚園に連れて行きました」

 弁護人の質問は続く。

 弁護人「拘置所で面会したときの被告人の様子はどうでしたか」

 証人「最初の頃は正直大変な状態でした。目は虚ろで魚が死んだような目で、何を言っても通じないような感じで、ここにいたら調子が悪くなるんじゃないかと」

 弁護人「死んだ息子さんが食事をとれないから自分も食べないと言って、点滴しながら面会したこともありますね」

 証人「正直、この場にいたら家内はだめになってしまうと思いました」

 弁護人「今は死にたいとか言いませんね」

 証人「がんばりたいと…」

 事件当時に住んでいた立川市の自宅は引き払い、残された長女と夫は都内の被告の実家に住んでいる。

 弁護人「被告が帰ったら一緒に住んでいくことにしているんですね」

 証人「そういうことで」

 弁護人「今、長女は小学1年生?」

 証人「はい」

 弁護人「お母さんである被告のことはどう説明しているんですか」

 証人「もちろんこのような状態であることは話せません。今は病院に行っていると話してあります」

 弁護人「娘さんのことですけど、被告のことは家で話したりしますか」

 証人「娘も何を知っているかは分かりませんが、気丈にこらえているようで、そう話はしません。ただ全くしないわけではなく、寝ているときや私と2人になったときに『お母さんはいつ帰ってくるの』と言います」

 夫によると、長女は被告宛ての手紙を何回も書き、夫は「お母さん、早く戻ってきて」という趣旨のビデオを撮り、DVDにした。勤務先に願い出て勤務形態も時間に余裕があるポジションに代えてもらい、職場の同僚らからは減刑嘆願書を44枚出してもらった。弁護人は被告が執行猶予の判決を受けてもケアする態勢はできていることを引き出そうとした。

 弁護人「被告人の夫、長男の遺族としていろいろな立場があるけど、どういう判決を希望しますか」

 証人「私としては妻には一日も早く戻ってもらいたい気持ちです。妻が戻ってきても今までの環境と違い、家内の実家に住まわせてもらっています。妻がもう一度生きていくためには最も良い場所だと思います。長女は1年生ですが、周りの親の方にも病気であると言っています。帰って来ないと周りに詮索されます」

 証人「刑務所に入れるという見せしめもあると思いますが、被害者の父としては必要ないと思っています。今、それをしてどうなるのか。誰もいい結果にならないのではないか。刑務所に行って何になるのか。罪が消える訳じゃない。日常生活を送る方がどれだけ苦しいか。罰を考えるのであれば、一日でも早くそういう生活をさせねばならない。妻は後悔と苦しさに闘っている毎日。妻、母としての役割を何もしていない状態。なぜか分かりませんが、検察もそれを(おそらく起訴のこと)しない、やらない。(裁判開始まで)1年かかりました。長い1年でした。いろいろな行事があり、周りのお母さんがいる中でつらい思いをしました」

 途中まで言葉少なだった夫は、妻を一刻も早く返してほしいというくだりでは言い方を変えて何度も裁判官、裁判員に訴えた。

 弁護人は最後にこう質問した。

 弁護人「長男の方、天国にいると思うけど、被告人のことを恨んでいるでしょうか」

 証人「そんなことは思っていないと思います。一日も早く母としての顔を取り戻すことを息子は望んでいると、私は思っています」

 検察官は反対尋問でやや遠慮がちながら質問した。

 検察官「事件前の12月18日に被告が家出をして、心中という目的だったとは聞かれていたんですね」

 証人「後から」

 検察官「家出の目的は直接聞けなかったんですか」

 証人「聞きたかったんですが、家内の様子が落ち着いてから聞かなければ、と。『ごめんなさい。ごめんなさい』という状態で…。だから少し間を置いて気分が良くなったときに話を聞こうと…」

 検察官「家出以降、自殺というか悩みが深いということが分かっていたらどういう対応をとりましたか」

 証人「病院へ行こうと考えていました。また家内の実家に行くことも考えていました。それが昨年の1月12日(事件当日)。私も年末年始はかなり忙しかったので、休みがとれず、やっととれそうな感じだったので、それを妻に伝える予定でした」

 検事は夫が、長男が母に殺害された事実を隠していることを問うた。

 検察官「長女さんですが、被告から首を絞められたりというのは認識しているようですね。理解していますか、長女さんは」

 証人「正直、聞いていません」

 検察官「事実を話したら長女さんはどういう気持ちになると心配していますか」

 証人「私としてはもう一度家族でやり直したい。話してしまったら娘は母親に対して複雑な気持ちになると。親としては一生今回のことは話すことはないと思います。もう一度3人で暮らしていくためにそんなことを話す必要はないからです」

 検察官「長男さんの死亡の事実を隠して、本当のことは話せず、嘘をつくということは正しいとお考えでしょうか」

 証人「正しいか正しくないかは分かりません。今は一番それがいいと思っています。刑務所へ行けば罪は消えるんでしょうか。私はそうは思いません」

 検察官「長男さんの気持ちにそぐわないのではないかと考えませんか」

 証人「父親として見て、息子が一番うれしいと思っているときがどんなときか考えます。それは母親が苦しんでいる姿でしょうか、悲しんでいるときでしょうか。そうではないと思います。笑っているとき、それが長男は一番いいんだと思っています」

 裁判官からも「長女に謝罪させるべきでは」という質問が出たが、夫は「あなたの首に手をかけました、とか、そういうことを言う必要はないんじゃないでしょか」と答え、質疑はやや噛み合わない印象を拭えなかった。

 夫は証人尋問が終わる際、「氏名、住所等配慮いただきありがとうございます」と裁判官、裁判員席に深々と一礼し、傍聴席に振り向くと「マスコミの方々もその点ご配慮頂けたら助かります」と述べ、再び頭を下げた。

殺される直前までお母さんと遊んでいると…

 続いて被告の実父(69)も証言台に立ち、夫と同様、刑の執行猶予を求めた。

 拘置所で面会した際の弁護人の質問にはこう答えた。

 証人「こんな状態になって娘に会うのが悲しかったです。ほとんど植物人間(ママ)のようになりまして、生きていてもかわいそうだと、当時の弁護士や検察官に抗議したこともあります」

 弁護人「点滴をつけて食事も通らず、弁護士にも抗議されたんですかね」

 証人「はい」

 残された長女が不憫でならないとも訴えた。

 弁護人「(現在同居している長女に)あなたは何と言っていますか」

 証人「今日、孫が友達と遊んだけど、『あんた、本当にお母さんいるの。連れてきてよ』と言われた、と。『少し待ってろ。じいちゃんが病院行って連れ戻してくるから』と言ってあるんです。孫がかわいそうでなりません。孫と指切りげんまんしたんです。こんなことを言って勝手なお願いですが、お願いします」

 だが被告人質問を通して事件当日を再現すると、あまりの執拗さ、残虐さに沈鬱な雰囲気が法廷を支配する。

 長男の発達障害を指摘され、気に病んだ被告は保育園に入れるためにパートの仕事を始めた。

 小さな声で被告は答えた。夫とは保育園入園以来、不仲になったこと。それまではすれ違い夫婦ではあったが、仲は良かったこと。

 通っていた保育園では、部屋から飛び出すなどの問題行動が見られたが、友達に御菓子をあげたり、以前より話す言葉も増え、「経過は良好」(捜査関係者)だった。保育園はまめに連絡事項に長男のことを記し、被告も積極的に返信していたが、事件の数カ月前から記述が激減していた。

 被告は事件前夜の1月11日午後9時ごろからインターネットで自殺の方法を調べた。「抽象的に死のうと思った」(被告)からだった。1月10日午前6時3分にもインターネットで自殺方法を検索したことが捜査で分かっている。

 その日の夜は「怖かったから」(被告)、実行しなかったが、12日午前6時ごろ、起床すると子供を殺害することを決意する。

 寝ていた長男の首をタンスから取り出したリボンで絞めた。そばには夫も寝ていたが、気に留めなかった。

 長男が目が覚めたため、いったん長男の殺害をあきらめ、12日午前7時ごろには2階南側の和室で長女の首をマフラータオルで絞めた。

 会社に行く夫を見送った。長男も長女も殺せなかった。午前9時ごろ、パート先に電話して「休みます」と伝えた。

 午前10時ごろ、保育園から「今日は来ないんですか」と電話がかかり、長男を休ませることを伝えた。

 長男はその後も2回、母親に首を絞められた。背中合わせになる形で柔道の背負い投げの要領で首を吊る形でやった。1回目は失敗。途中、昼前には夫の父親が不意に訪問してきた。だがそれでも犯行をやめなかった。

 義父を見送ると再びネットで自殺方法を検索し、「ゴワゴワしていて痛いから」という理由でマフラータオルをやめ、長女が使っていた熱冷まし用シートのカバーを取り出した。

 玄関付近で遊んでいた長男に声をかけ、背中合わせにして吊り上げた。

 「長男は嫌がらなかったの」との問いに被告は「遊んでもらっていると思っていました」と答えた。

 このときの具体的な会話は明らかになっていない。だが遊んでもらっていると思っていた母親に笑みを浮かべて近づいていったのだろうとは容易に推測される。

 足をばたつかせて苦しんだ長男を殺害後、自分も死のうと物干し竿に熱冷まし用シートのカバーをかけてそこに自らの首を吊ったが、物干し竿が折れて目的を遂げなかった。

 夕方に2階居間に長男の遺体を移し、長女と1階居間でDVDを見て過ごした。

 この間、被告は再び長女に「○○(長男)のところに行こう」と言って首を絞めたが、長女は「いやだ」と近所に聞こえそうなほどの声で(被告の証言)泣き叫び、かわいそうに思ってやめたことで全治1カ月の重傷を負い、殺害されることは免れた。

 帰宅した夫は長女から「ひいじいちゃん、ひいばあちゃんのところに○○(長男の名前)を連れて行った」と泣いて伝えられた。夫は自分と妻の両親に泣きながら電話をかけ、翌朝、警察署に電話した。

 「事故で死んだことにしよう」という会話も交わされたといい、当初は被告は「事故で死んだ」旨の供述を警察にしていた。

 傍聴席から検察官の手元にある資料に、笑顔ではしゃぐ長男の写真のコピーが目に入り、自分の長男と重なり、やりきれない思いになった。死の直前まで母を慕っていた長男が殺されなければならない理由はどうしても見出せなかった。

「子供あやめたその手を人を助けることに」

 発達障害は、障害が社会に広く認識されたことで、親として早めの対処ができるようになった。薬物療法などで症状を緩和させることもできる。

 一方で「障害」という言葉がひとり歩きして、過度に親が権利を主張してしまったり、その逆ということもあるといわれる。

 法廷では、被告の精神鑑定を担当した辻恵介武蔵野大教授(司法精神学、精神科医)も証言に立ち、こう話した。

 「被告の長男の障害は、程度としては軽いです。1歳半検診で発達の軽い障害を指摘されながらはっきりした病名がつけられていない。すぐに確定的な病名をつけられなかった程度だと思います」

 一方でこうも述べた。

 「ただ軽い障害でも親は苦しみます。発達障害は社会に適応させることはできるが、治りません。民間療法で治ると喧伝されているケースもありますが、治りません。言葉は悪いけれど重い障害ならば向き合うことができるが、軽い発達障害では自分ががんばれば何とかなると思ってしまう」

 被告については「真面目で完璧主義。被告が立ち直るために大切なことは、発達障害児を持つことの苦しみを家族が理解することと、罪を償った形をとることです」と述べた。

 17日の判決で、立川支部の毛利晴光裁判長は被告に懲役5年(求刑懲役7年)を言い渡した。「1人を殺害し、もう1人を殺害しようとした事実は重大」とした上で、「それなりに同情の余地がなくもないが、夫や親族が近くにおり、追い詰められた状況とはいえない。命を軽視するにもほどがある」と断罪した。

 毛利裁判長は判決言い渡し後、裁判員や裁判官からの言葉だとして、「あなたがやったこと、罪の重さを考えて、きちんと罪を償ってほしい。長男については冥福を祈って、長女に対してもきちんと謝った方がいい。うやむやにあなたたちで終わらせるのは良くない」と話し、こう声をかけた。

 「友人や家族に心を開いてほしい。子供を絞めた手を人を助けることに使ってほしい。障害のある子の手助けをしてほしい」

 ■広汎性発達障害(PDD) 先天的な脳の機能障害とされる。他人の感情を読み取るのが苦手だったり、言葉の発達に遅れがあるコミュニケーション障害▽読み書き計算などの学習障害(LD)▽注意力が散漫で、じっと待つことができない注意欠陥多動性障害(ADHD)-などさまざまな障害がある。長野県の平成23年の統計では、県内の公立小中学校の児童生徒の2・37%が発達障害だったと診断されている。

子育ての悩みアロマで癒やし 発達障害などの子持つ札幌の母親ら

2013-09-02 13:30:52 | ダイバーシティ
(以下、北海道新聞から転載)
========================================
子育ての悩みアロマで癒やし 発達障害などの子持つ札幌の母親ら 来月から講座 「寄り添い元気づけたい」(08/31 16:00)

9月の講座について打ち合わせをする代表の石田さん(左)と副代表の渡辺さん
 「友達と仲良く遊べない」「すぐにかんしゃくを起こす」―。発達障害があったり、障害と認定されなくてもそんな「育てにくい子」を持つ札幌などの母親ら4人が、「子育て支援セラピストの会」を設立した。同じような悩みを持つ母親をアロマセラピーなどで癒やしながら、寄り添うのが目的。9月に子育てや心のケアを学ぶ講座を開き、支援していく。

 メンバーは、代表の石田あやこさん(41)ら札幌の母親3人と北見在住の独身女性。

 石田代表は、小学4年の次男に発達障害と学習障害がある。副代表の渡辺花緒里さん(41)は長女がすぐにかんしゃくを起こしたり、人とうまくコミュニケーションが取れないことなどに悩んできた。北見の女性は、長年の不登校経験がある。

 もう1人の札幌の母親を含めた4人は、日ごろからブログで子育てについての思いを発信。互いにコメントするうちに親しくなり、4月に「気軽に子育ての悩みを打ち明ける場を持ちたい」と会を設立した。

 初の活動として9月に3回、「チャイルドケア養成講座」を開く。メンバーはそれぞれアロマセラピーやカラーセラピーの資格を持っており、アロマの香りを通じて自己肯定感を高める方法などを教える。子育ての経験も伝える。

 石田代表は、「子育てに自信をなくしたり、孤立しているお母さんたちを元気づけたい」と話す。今後も年に数回講座を続けていく。

 9月の講座は2、16、26日のいずれも午前10時から札幌エルプラザ(北区北8西3)で。受講料は各回3千円。申し込みは各回の前日までに渡辺さんの電子メールheal-wings@yj.raindrop.jpへ。(片山由紀)

空気は読むな! トラブルはオープンに! 日本一自殺率が低い町の空気とは

2013-08-29 09:42:47 | ダイバーシティ
(以下、livedoor NEWSから転載)
=======================================
空気は読むな! トラブルはオープンに! 日本一自殺率が低い町の空気とは

ダ・ヴィンチ電子ナビ2013年08月28日11時30分

『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』(岡檀/講談社)

 世知辛い世の中だ。「生きている意味が分からない」なんてつぶやきを耳にすることもしばしば。2012年の日本全国の自殺者数は約2万8000人だという。3年連続減少傾向にあるとはいえ、とてつもなく多い数値だ。人はどうしたら、自殺など考えずにのびのびと過ごせるのだろうか。

関連情報を含む記事はこちら

 徳島県南部の太平洋沿いにある小さな町、海部町(現 海陽町)。一見ごく普通の町に見えるこの町は全国でも極めて自殺の低い「自殺”最”希少地域」として知られている。地域間の自殺率を比較するには、人口10万人に対し何人が自殺により死亡したかを示す「人口10万対自殺率」が用いられるが、市区町村の全国平均25.2人に対して、海部町は8.7人。これは島をのぞけば、全国で一番低い数値だ。

 何故、海部町の自殺率がこんなにも低いのか。岡檀氏著『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』(講談社)によれば、海部町は、人の個性や自由意思が最大限尊重されている場所であるためだという。

 海部町は、自己信頼感が強く、自分なりの判断基準を持って生活している。例えば、この町では赤い羽根募金が集まらないらしい。他の町や村では周囲の人に合わせて募金するのが普通だ。だが、海部町では「あん人らはあん人。いくらでも好きに募金すりゃええが。わしは嫌や。」等と言って自分だけの判断で行動する。別にケチというわけではなく、そういう人は、祭りに使う山車の修繕費には大枚をはたいたりする。ただ、自分の意思でのびのびと行動をしているだけなのだ。

 しかし、個人主義とも取れる住民が多いこの町にもコミュニティはある。それは江戸時代発祥の相互扶助組織「朋輩組」だ。地域住民のコミュニティというと、会則が厳しく排他的なものが一般的だろう。だが、「朋輩組」に会則はほぼなく、新参者でも希望があればいつでも入退会もできる。村八分、ということはあり得ない。入らなくてもそのことで何ら不利益を被ることはないのだという。「みんな違ってみんな良い」という個性を重視する精神が根付いており、一人が他と違った行動をとったとしてもそれだけを理由に「浮く」ことやコミュニティから排除される心配がないらしい。そんな環境の中で町民同士は支え合いながら、ゆるく繋がり合っているのである。

 また、町民には「病は市(いち)に出せ」というモットーがあるという。「病」とは、単なる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振など、生きていく上でのあらゆる問題、「市」は公の場を示す。悩みやトラブルは隠すのではなく、周囲にさらけ出そう、という意味合いのようだ。そうすれば、助けてくれる人が必ずいる。やせ我慢や虚勢を張ることへの戒めが込められているらしい。だからなのか、「自殺最希少地域」であるのに、海部町はうつ病受診率が高い。罹患率ではなく、受診率であることに注目すべきだろう。少しでも気になることがあったらすぐに人へ相談する精神が海部町民には身に付いている。

 遠すぎず近すぎない距離でゆるく繋がり合い、人の個性、多様性を重んじること。他に惑わされず自分の意思を重んじるが、不安はすぐに他へと打ち明けること。空気を必要以上に読み、コミュニティから逸脱した行動を取るものをKYとして否定する現代社会とは逆行した生活がここにはある。

 どうすれば、海部町民のように暮らせるだろうか。岡氏が提唱しているのは、「どうせ自分なんて」と言うのをやめようというもの。一歩ずつ自己信頼感を高め、ストレスをはねのけられる内面の強さを手に入れよう。海部町の住民たちの生活は示唆的だ。

文:アサトーミナミ
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

災害時障害者支援へ手引

2013-08-28 15:58:48 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞【兵庫】から転載)
================================
災害時障害者支援へ手引


災害時に障害者の避難誘導をサポートするため、東灘区自立支援協議会がまとめたマニュアル
 大災害時に障害者の避難を手助けしてもらおうと、神戸市東灘区の障害者支援団体などでつくる区自立支援協議会が「障害者サポートマニュアル」を完成させ、住民らに配布している。障害の種別に応じた接し方や配慮すべき点をまとめており、同協議会は「いざという時に障害者に必要な支援が行き届くように助けになれば」と期待する。(畑中俊)

 マニュアルでは、▽肢体▽聴覚▽視覚▽知的▽精神――の5種類の障害の特徴と配慮すべき点、災害時に必要な支援をまとめた。表やイラストを多用し、よりわかりやすく構成した。

 例えば、聴覚障害者については、「緊急時の状況が本人に伝わりにくい時には、身ぶりや簡単なメモで危険を知らせて一緒に逃げる」と記載。視覚障害者には「避難所のトイレや救援物資の配布場所には誘導し、必要なことは音声で知らせる」とし、精神障害者や知的障害者には「常時服用している薬を忘れずに飲むように支援する」などと気を付けるべき点を列挙した。

 同協議会事務局の杉田和代さんは「障害の特性が人それぞれなので、マニュアルにはできるだけ広く当てはまる内容を選んだ」と話す。

 東日本大震災で、障害者の支援体制整備の必要性がクローズアップされたことがきっかけ。住民からも「災害時にどんな支援ができるのか」などと意見が寄せられており、協議会では障害者の意見も聞きながら、支援する際の注意点をまとめた。

 A3判。4000部を発行。地域の行事や会合などで実際に内容を説明しながら配っており、「簡潔にまとめてあって分かりやすい」と好評を得ている。問い合わせは同協議会(078・452・1510)。

(2013年8月27日 読売新聞)

発達障害児の進学、就職 「福井方式」で継続支援

2013-08-23 09:31:21 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞【福井】から転載)
=======================================
発達障害児の進学、就職 「福井方式」で継続支援


発達障害の疑いがある子どもを支援するために開発された記録・評価ファイル

 コミュニケーションが苦手といった発達障害が疑われる子どもたちを継続的に支援できるよう、県と県教委は症状や支援内容などを書き込む記録・評価ファイルを独自開発した。進学などで支援が途絶えると新しい環境で多くの問題を抱え、引きこもりなどにつながる恐れもあるためで、引き継ぎを円滑にするのが狙い。<福井方式>としての普及を目指し、県内全ての保育・教育機関に配布した。(酒本友紀子)

 発達障害の子どもは、人間関係や学習内容が一変する進学後などに、その子の特性に合った支援が受けられなくなると、孤立して疎外感を抱いたり、授業が理解できず劣等感に苦しんだりしがちだ。最悪の場合、引きこもりや、うつ病、問題行動などを招く恐れもあるが、発達障害の症状は多岐にわたって捉えにくく、引き継ぎが難しい。

 そこで、評価方式を考案した法政大学の黒沢礼子講師と共に、簡易版の基礎調査票を幼児期、学齢期などの発達段階ごとに作成。「一人遊びを好む」「我慢が苦手」などの項目ごとの点数を合計してグラフ化することで、症状の全体像が専門知識がなくても一目で分かるよう工夫した。

 さらに、個別の支援事例や、引き継ぎ後に配慮すべき留意点などをまとめるページも設けた。

 9日に鯖江市で開かれた研修会には約100人が参加し、越前市の保育士の女性(41)が「これまで市販のものを使っていたが、県内で統一の様式を使うので、引き継ぎやすくなる」と話すなど評判は上々だった。

 ただ、課題もある。昨年度に4市町で試行した結果、引き継ぎに対して保護者から同意を取るのが難しいと分かった。家庭内では集団生活での問題が目立ちにくく、保護者が「うちの子は大丈夫」と抵抗するケースがあるという。県の担当者は「保護者と信頼関係を築き、理解を得る努力が必要だ」としている。

 県教委はまた、入園や入学、就労などを控えて引き継ぎを行う支援者向けに、ガイドライン(手引き)も作成した。

 記録・評価ファイルを活用する上での留意点のほか、担当者間で開く連絡会の適切な時期や、招集すべき職種、検討内容などを解説。「公開授業や運動会などの行事に互いの職員が参加し、情報交換すると良い」といった助言を添えた。

 県内の教育現場や障害者就業センターなどに行ったアンケートの結果にも触れ、「新年度に入っても担当者の会議をもつ方がいい」「保護者にショックを与えないよう言葉を選ぶと、かえって真意が伝わらない」などと生の声を紹介した。

 県教委の担当者は「子どもたちへの適切な支援を続けるために活用してほしい」と話している。

※発達障害 生まれつきの脳機能障害。対人関係を築くのが不得意といった症状のある「自閉症」、読み書きや計算が苦手な「学習障害(LD)」、衝動的な行動を起こしがちな「注意欠陥多動性障害(ADHD)」などが含まれる。県が2008年度に行った調査では、発達障害が疑われる子どもは全体の6・2%だった。

(2013年8月22日 読売新聞)