たろの日記ページ,gooブログ版

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日本人と論理性

2005-10-05 11:49:07 | ココロ
極東ブログさんに天皇の現人神と進化論の矛盾に日本人が気が付かないって話が書いてあって,なるほど…と思い,いろいろ書こうかと思ったら,コメントのところが結構充実していて勉強になりました(^^;)。
日本人はもともと二つの相反する考えを両方受け入れる素養があるんだと思います。だから神道と仏教を同時に行うことができた…と。コメントとかトラックバックとかを見るといろいろ複雑な事を書いてるかたもいますが,わたしはそれくらいのざっくりとした実感。というか日本人ってそんなに論理的に物事考えてないと思います。そのときの空気とかに流されれやすいし…。西洋人が論理的なのかどうかは良くわかりません。ただキリスト教とかはそれなりに論理的…というか論理的に破綻してないのだと思います。だから信仰と論理が共存できる。日本の考え方は非論理的なので,西洋の考え方を適用するといろいろ破綻するのでしょう。
わたし自身が宗教と科学の両方を受け入れていて,一応それは論理的に帰結できてる(とはいっても言語的に表現は出来ない)し,西洋の宗教は科学と共存しやすいように出来ていると思いますが,天皇信仰と進化論の共存は論理的というよりは感覚的なものなのだと思います。漠然と受け入れているというか…。まぁそういう意味でいうと先日感想を書いた「痛快!憲法学」に書かれていた,天皇の元の平等のために現人神を伊藤博文がつくった,という考えは,必ずしもきちんと機能したか?ってことにもなりますが,まぁある意味現在より,明治・大正時代の方が日本人は論理的に思考できた…と言うこともできるかも知れませんね。大正時代の方が現在より民主主義が実現できていたらしいし:-p
そもそも日本における信仰というのが「有り難がる」信仰で,「契約」や「畏怖する」という宗教であるユダヤ系三大宗教とは根本的に違う気がします。まぁ日本にも末世思想とかはあったのですが,バチがあたるというよりはご利益がある…ことにより信仰がある気がします。
コメント
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