たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

発言力を得ること,正しく使うこと

2009-02-21 22:58:32 | 社会
村上春樹氏がエルサレム賞受賞式でガザ攻撃を批判したというニュース。
村上氏がエルサレム賞を受賞したというニュースは先月から聞いていて,Webとかでも賛否両論というか,受賞受けることとか受賞式に行くことに対して否定的な意見,それに対する反論をいくつか読んでました。受賞に行く前にTVでもどこかの団体が反対していたというニュースが流れていて,話が大きくなってるなぁという印象でした。
結果的に村上氏は受賞は受けたけど,しっかりエルサレムへ行ってガザ攻撃を批判するというかなり勇気がある行動をしたと思います。
…と書くのは簡単ですが,わたし自身は村上氏の作品をまったく読んだことがない人なので,まぁこれ以上どうこういう事は出来ません。ただ村上氏のファンは結構多いし,今回のファンの議論とかを読んでいても,たぶんしっかりとした考えに基づく行動であったのでしょう,と思います。
で,どうしてこの話題を取り上げたか?というと,わたしは今回の話を聞いて村上氏が持っている発言力の強さを感じたからです。その発言力はおそらく村上氏の作り出した作品の成功によるもの,また作品の内容によるもの,そして彼の普段の言動とかにもよるものかもしれません。わたしは彼のこれらのものを知りませんので,想像で書いてますが,周りの反応を見ていると,発言力があることだけはよくわかります。
世界の情勢,社会についていろいろ語る人というのは,今のブログ主体の世の中では山の様にいます。気軽に物事を語る人もいれば,しっかりいろいろ調べて意見を持って文章を書いている人もいます。でも,どんなにその文章の質が高くても,その発言が世の中に影響力を持つには,それ以外に,その人自身がもつ影響力が必要で,それを持つためには,長い時間をかけて,その人が何かの仕事で成功しなければいけないということなのだ,と思いました。
人が何のために成功を望むかというと,お金のためだったり,名声だったり,異性に持てるためだったり,作品を後世に残すためだったり…いろいろ人それぞれだとは思いますが,わたしは自分の発言の影響力を高めるため…というのが実は結構,そういう成功欲の根本にある気もします。発言力だけあれば,お金やモテがなくても意外に人は満足を得られるかもしれない…,などと思うこともあります。
なんとなく普段からそういうことを思っていたので,今回村上氏がまさに経済とか政治とかとは別のところで大きな発言力を手にしていて,それを非常に正しい使い方をするために,エルサレムまで行ったのだなと感じました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネットで書く文章力 | トップ | これからは日本のターン? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事