京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤした後の生活を
大好きな旅行を中心に綴っていきます。

あれから2年。。携帯よ天国に繋がれ!

2007-04-26 10:24:04 | Weblog
尼崎脱線事故から丸2年が経った。
JR史上最悪107人もの尊い命を奪い去った大きな事故だった。

私は、あの日の事故を、テレビの番組途中で流れるテロップで知った。
その後すぐに番組は事故のニュースに変わり、
事故現場の悲惨な映像を映し出した。

アナウンサーが「負傷者や死者が数名でているもようです。。」
オロオロしながら言っていたのを覚えている。
電車の形も分からないほどの、こんなにひどい事故で、
本当に数名の負傷者や死者。。。?
そんなはずはない。。。きっと電車の中に
もっともっとたくさんの人が残されているんじゃ。。。
と寒気がしたが、その悪い予感は時間の経過とともに事実となっていった。

事故の様子が、だんだんと分かってくるにつれ
私は突然、息子の事が気になり始めた。
下の息子は大阪で一人暮らし。
この時間は普通なら大学で授業中のはず。
でも、このところ色々な大学に野球の試合で出かけているらしいし、
まさかとは思いつつ、でも、ひょっとして。。
と思うと、急に心配で心配でたまらなくなり
息子の携帯に電話をした。

ツゥルルルーン、ツゥルルルーン、ツゥルルルーン。。。
呼び出し音を聞くわずかの間にも、何か起こってたらどうしよう。。
と怖くて、電話を持つ手が震えるのが分かる。
何度かの呼び出し音の後、
「もしもし、どうしたん。。?」
と、ちょっと戸惑ったような息子の声が返ってきた。
声を聞いた途端、ほっとして、力が抜けた。
事情を説明する私に
「僕やったら、大丈夫やで。」と息子はその時言ってくれた。

あの時、同じように息子の携帯に、娘の携帯に、
ご主人、奥さん、友人の携帯に何人の人が
心配して電話をしただろうか。

そのほとんどは、無事であることを確認できた電話だったろう。

でも、何かあったのではという不安と恐怖、
なんとか無事でいてくれという祈りの中

何度も何度も携帯に電話をしてもかからず、
会えない家族の無事を信じ必死に病院を探し回り、
最終的に遺体安置所での再会を余儀なくされた方が
何人もおられたのだ。

疲れ果てた様子で呆然と立ち尽くす人。
抱き抱えられながらも泣き崩れる人。
いつもと同じ朝を迎え、そして、いつもと同じ夜を迎えるはずだった
多くの人のこれからの人生を奪い、
残された家族に限りない悲しみ、
いいようのない苦しみを与えた事故。

あれから2年、亡くなられた方の携帯電話は
あの時も、今も、そしてこれからもずっとかかることはない。
でも、その電話は天国で暮らす人々に繋がっているかもしれない

忘れる事はできないけれど、
悲しくて、苦しくて、寂しいのは変わらないけれど、
でも、ちょっとだけ前向いて歩いていく事にしたよ。。


携帯電話よ、天国に繋がれ!
そして、そう天国の人々に話しかけられる
遺族の方が少しでも増えたらいいなと思う。
悲しみ、苦しみ、憤りの中だけで生きていくのは辛すぎるから。


最後になりましたが、
107名の亡くなられた方々のご冥福と、
今もリハビリに励む方々の一日も早いご回復をお祈りいたします。





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