4日の早朝から出かけた韓国(チェジュ島からソウル・チュンチョン)への旅
7日の夜10時頃帰宅しました。
韓国も梅雨があって、真っ青な空という訳ではありませんでしたが、
とりあえずはお天気。
チェジュ島の美しさや、ロケ地めぐりの楽しさ、そして、
ソウルのすごい活気、チュンチョンでのパク・ヨンハさんの追悼。。など
色々な体験をしてきました。
8年半ぶりの韓国でしたが、予想以上に楽しかったです。
また、そのうちに韓国旅行記も書きたいと思っています。
また、よかったら読んでみて下さいね。
今日は、ちょっと以前に書いた記事が眠っているので、
そちらを。。
子供の頃って、何になりたいと思っていましたか。。
私の夢は、なんだったかな~。。
お花屋さんになりたいとも思っていたし、
アクセサリーの絵を、一人で描いて、
大人になったら、アクセサリーのデザイナーに
なるんだと、夢見たりもしてた。
ピアノを習っていたので、何になりたい?と聞かれたら、
ピアノの先生って答えていた時期もあったけど。。
でも、これは、とりあえずというか、
あんまり本心ではなかったような気がする。。
だって、練習が大変だったもん。。
ピアノよりもどちらかというと、歌の方が好きで、
ミュージカルの舞台に憧れたこともあったっけ。。
でも、本当はもっとなりたいものがあった。
少年少女世界文学全集なるものを、
母が毎月とってくれていて、
そこで繰り広げられるお話の世界、
イギリスってどんなとこなんだろう。。
フランスの古城。。って。。
そして、地球儀を見ながら、
日本ってこんなに小さいんだ。。
地球には、こんなにたくさんの国がある。。
と、幼いころから海外に興味があった私。
いつか大きくなったら、いっぱい海外に行ける、
スチュワーデスさんか(子供の頃は、そう呼んでいた。)
旅行の添乗員さんになりたい。
色々なところに行けて、結構世話好きな私にはぴったりの仕事。
もちろん、なれる、なれないは別として。。
でも。。。
私には、スチュアーデスさんや、添乗員さんになれない
決定的な理由があった。
それは。。
車酔い。
小さい頃、車によく酔った私。
.わずか2~30分くらいの短い距離の移動の間にも、
気分が悪くなる私と母(母も当時は弱かったのです)を気遣って、
父は、途中1~2回、車を止めてくれたものだった。
たったそれだけの距離が、私には果てしなく遠いものに思えていた。
遠足も、行ったら楽しいのだけれど、着くまでは地獄。
一人、前の席に座り、酔い止めの薬を飲み、
それでも押し寄せる車酔いに、悶々と闘わなければならなかった。
そんなに、乗物に弱い私が、
スチュアーデスさんや、添乗員さんになれる訳がなかった。
お世話する方が、乗物に酔っていたのでは
お話にならないもんね。
そんなことで、スチュアーデスさんや、添乗員さんの夢は
私の選択肢からは、完全に消えてしまった。
あれから、何十年も時が過ぎ、
私はほとんど乗り物酔いしなくなった。
体調の悪い時の山道などは、別として。。
スチュアーデスさんや添乗員さんではないけれど、
今の私は、お客さんとして時々海外にも出かけられるようになった。
でも時々。。
今でも、もし、ああいう仕事についていたら、
楽しかっただろうな~なんて、思う事がある。
でも、終わってしまった時は取り戻せないしね。。
今、私は旅行好きの主人や、母、息子たちといっしょに
海外に出かけられているだけで、十分有難いと感謝している。
ただ。。
旅行中、ちょっと仕切ってしまうところがある私。
これは、かつて添乗員さん志望だったせいかもしれないな~。