蓴菜沼
2016-08-16 | 日記
イザベラバードさんのことは何も知りませんでした。
春先に蓴菜沼を訪れた時、ふと新しい小さな看板に気が付きました。それによると187
8年(明冶11)8月17日、イギリス人の女性旅行家イザベラバードさんがこの沼を訪れ
たとのことでした。
わざわざ看板を作るほどだから、きっと有名な人なのでしょう。
早速、町の図書館で探して見ると、ありましたありました。学術書の中にバードさんの日
本に関する著書、「日本奥地紀行・全三巻」が並んでいたので、直ぐに借り受けてきました。
そこには138年前の、明治維新からいくらもたっていない、しかも一年前には、西郷さ
んの西南の役があったばかりの、落ち着かない巷の様子がリアルに表現されていました。
船で横浜に着いて関東、関西、日光、東北、を旅しています。そしてその三巻目が北海道
の旅になっていました。
行程は函館から七飯、森を通って平取まで約一か月で往復しています。もちろん鉄道のな
い時代ですから、馬か徒歩しかありません。バードさんの場合は本国から自分専用の鞍を持
ち込んで函館で馬を手配しています。それと通訳の伊藤さんを同じく函館で雇っています。
この旅はかなり難儀だったようです。北上する道はあったとはいえ、内地のように参勤交
代のなかったこの地ですから、立派な街道などなかったのです。時には草を分けて進んだり
ちゃんとした橋が架かってなかったり、旅館を探すのもずいぶん苦労しています。
しかしこの間の風景の美しさには驚嘆して、そのことを何度も何度も書き綴っています。
またアイヌの人々に和人にはない魅力を感じたようで、の家に泊まり込み、日常生活
を共にし、儀式も体験しています。特に私がビックリしたのは、アイヌの人々の中に義経信
仰がしっかり根付いていたことです。これは単なる流言飛語と教わっていたので、本当に驚
きました。このことから、旅行というより民俗的な関心の高い人なのだと、だんだん分かっ
てきました。
この蓴菜沼では「・・水面には蓴菜のなめらかで柔らかな大きな葉が浮かんでいる、また
木々の生い茂る山々のその上には、駒ケ岳火山のほとんど何もおおわれずにギザギザに尖っ
た山頂が、夕陽を浴びて赤く輝いている」と繊細に表現しています。
歴史書と違って勝者の記録ではなく紀行文だから、風景の描写や町の様子、民衆の生活が
事細かに書かれていてアッという間に楽しく読み終えました。
しかし読み進む途中で「バードさんにとってこの旅の目的は何だったのでしょう? そし
てその膨大な費用はどのように調達したのでしょう? 四十七歳といえば昔は結構な年齢の
筈、その女性がこれ程の旅を思い立った動機は何だったのでしょうか?」といつものように
妙な考えにとらわれていきました。
動(yurugi)