森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

キイチゴ

2019-08-12 | 日記


 今年も期待どおりキイチゴの収穫ができました。
 わが夏がきたのです。
 日照不足のせいか、小ぶりで甘みもいまいちです。しかし甘い果物や野菜で溢れる時代
 にあって酸っぱい自然の味は貴重です。
 自生しているものを食べると、老体に大地の成分が吸収されて大変良いと聞きます。
 なので、できるだけ食べるようにしているのですが、茸にしても山菜にしても毒のある
 ものとないものの見分けがつきません。無知なのです。
 
 老体といえば、若い時は「老年とはただ空虚で辛いもの、老人のいわくありげな分別顔
 はただ体面を保つだけのもの」と思っていました。多くの老人が気だけ若くて体はガタ
 ガタ、それを若返らせようとするむなしいあがき。過去にしがみついて前を向けず柔軟
 性のかけらもない人種。こんなイメージでした。
 しかし自分が老人になってみると確かにそうなのですが、逆に老いを楽しんでいる人た
 ちが存在することも分かりました。
 
 『月と六ペンス』で有名なサマセット・モームは「完全なる一生、完全なる絵模様は、
 青年、壮年時代と同様に老年時代も含んでいる......老年には老年の愉しみがある。
 それは異なったものであっても、青年の愉しさに劣るものではない」と述べています。

 確かに朝の清々しい美しさや、真昼の草原の輝きはすばらしいものです。そして夕べの
 静寂さも決して悪くはありません。
 どうやら老いを学ぶことに価値はありそうです。



 キイチゴをいただいた帰り道、もうオオハンゴンソウが咲き乱れていました。
 夏の終わりの近いことを知らされて、少し淋しくなりました。

 今夜は都はるみさんじゃなく、小樽の野瀬栄進さんのピアノを聴きましょう。


                             動(yurugi)