昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.49 積丹半島「神威岬」の絶景

2012年02月13日 | 北海道の旅
北海道旅行7日目 6/9(木)早朝、函館のホテルを出発し、積丹半島の先端、「神威岬」へ到着したのは11時頃でした。

途中、日本海沿岸の雄大な風景や、鰊御殿を見物しながらここまで5~6時間のドライブです。



駐車場から坂道を登った峠にある神威岬[かむいみさき]の門です。

門の上には「女人禁制の地 神威岬」とあり、江戸時代まで女人禁制だった歴史を知らされました。

門の向こうに岬の先端付近に建つ「神威岬灯台」が見え、尾根をたどる長い遊歩道が続いています。

■門の近くに案内板がありました。
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梨本弥五郎と女人禁制の解除
その昔、神威岬の沖合は「魔の海」として多くの人々に恐れられており「婦女子を同伴して行けば神霊の怒りにふれ、その船は必ず転覆する」という迷信があった。
安政二年(一八五五)幕府が蝦夷地を直轄して開拓を計画してから、箱館奉行が神威岬以北に対しても移住民の土着を奨励した。
翌年の安政三年、箱館奉行調役下役元締の「梨本弥五郎」が幕府に宗谷詰めとして赴任するよう命じられた。この命を受けた梨本は下役や妻子を連れて赴任するのだが、神威岬を通過する時、海は荒れ舟子たちは恐れおののいた。
しかし梨本は毅然と立ち上がり、岬の岩角に向かって大声で叫んだ。
「私は征夷大将軍家定の家来である。今君主の命を受け岬端を通るになぜ神罰を受けなければならないのか」そして、その岩角めがけて銃を撃ち放った。
銃声が波濤を打ち破り岬に響き渡ると、神霊の怒りはおろか海は穏やかそのもので、全員無事に岬を越え赴任地に着くことができた。
この梨本の岬越えがきっかけで、神威岬の女人禁制が事実上解かれたことになすのだが、しばらくは迷信の影響を受けてか、女性たちは自分のために海が大荒れになることを恐れ、船艫の板子の下に隠れたり、筵をかぶって全身を隠して通ったといわれる。
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「梨本弥五郎」は、北海道の最北「宗谷」へ警備のため、初めて赴任した人で、2010年10月27日の記事、稚内市「北方記念館」でも女人禁制の解除が紹介されていました。



「神威岬」付近の地図です。

「神威岬」は、積丹半島の先端付近にあり、小樽から車で海岸線を西へ60~70Kmの場所です。

積丹半島の先端付近には「余別岳」(標高1,298m)「積丹岳」(標高1,255m)などの峰がそびえています。



「神威岬」の門がある峠から駐車場を見下ろした風景です。

国道229号から約1Kmの場所に広い無料駐車場があります。

駐車場から岬の先端まで約1Kmありますが、最初にこの長い坂をゆっくりと登り、体を慣らします。



「神威岬」を少し進んだ辺りから北側の断崖の下を振り返った「念仏トンネル」付近の風景です。

断崖の下の浜に「念仏トンネル」の入口が見え、その左に「水無しの立岩」がそそり立っています。(写真右下に拡大写真)

向こうにかすかに見えるのは東の「積丹岬」です。

かつて岬の先端「神威岬灯台」への道は、下に見える海岸を歩いていたようで、「念仏トンネル」はその途中に掘られたものです。

遊歩道の柵には「念仏トンネルが見える場所」の案内標識があり、見下ろしました。

■そばにある案内板に「念仏トンネルの由来」が書かれていました。
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念仏トンネルの由来
大正一年(一九一ニ)十月二十九日午前八時半ごろ、神威岬灯台の草薙灯台長夫人、及び土谷補員夫人)」その二男(三歳)が天長節(天皇誕生日)のお祝いの品物などを買い出しに余別市街へ行く途中、ワクシリ岬付近で荒波に足をさらわれ海中に落ちて溺死した。
ワクシリ岬は上は断崖絶壁、下は波打ち際の険しい地形で、なぎや干潮の時はわたることができるが、そうでないときほ容易に越えることのできない難所である。
土地の人々はこのような海難事故が再び繰り返されないようにするため、大正三年にトンネルを造る計画をたて着工した。
開削作業は岬の西側と東側の南方から同時に始められたが、測量計画の誤算か開削枝術が未熟なためか、トンネルの中央で食い違いが生じ工事が頓挫してしまった。ところが和人たちが犠牲者の供養をふくめ、双方から念仏を唱え鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向がわかりエ事を再開することができたのである。
このようにして大正七年十一月八日に開通となり、以来「念仏トンネル」の名がある。
また、この全長六十メートルのトンネルは割合低く中が真っ暗闇なため、「念仏を唱えながら通ると安全である」と言い伝えられている。
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見下ろすと、驚くほど美しい海が広がっていました。

晴天ならもっと美しい色だったものと思われます。



更に先端に進んで、岬の南岸を振り返った風景です。

中央付近に「神岬漁港」があり、右端の海岸近くに「たこ岩」がそそり立っています。(写真右下に拡大写真)

長さ3mにもなると言われる北海道名物「ミズダコ」の頭をイメージします。

残雪のある堂々とした台形の山に魅せられます。



遊歩道のほぼ中間の急な下りの階段の上から岬の先端を見た風景です。

遊歩道は意外に起伏が大きく、変化に富んだ風景が現れてきます。



先端近くの最後の坂を登り、振り返った風景です。

道の先には「神威岬の門」が見え、向こうにそびえる残雪の山は「余別岳」と「積丹岳」でしょうか。

雄大な風景に感動しました。

「神威岬の門」左の小高い場所は、展望台だったようですが見過ごしてしまいました。



上段の写真の右側に広がっていた風景です。

山の急斜面を巨大な獅子が駆けおりている姿にも見える岩です。

獅子の頭のような茶褐色の岩には大小の石が混じった岩で、下の白い岩は堆積した砂岩のようです。

遊歩道を歩く人と比べると岩の巨大さを感じます。



「神威岬灯台」を先端側から見た風景です。

灯台の後方に平地があり、かつて燈台守が住む家があったのでしょうか。

■灯台の前に案内板がありました。
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神威岬灯台
~女人禁制の地に建つ灯台~
この灯台は、北海道庁明治21年(1888)年から6年間にわたって20基の灯台を
建設した最初の灯台であり、明治21年(1888年)8月25日に初点灯しました。北海道の現存する灯台では5番目に古いものです。~

位置     北緯 43度21分00秒
       東経 140度20分51秒
光り方    単閃光 毎15秒に1閃光
光の強さ   17.0万カンデラ
光の届く距離 21.0海里(約39Km)
高さ     地上から灯台頂部 約12m
       水面から投火   約82m
管理事務所  小樽海上保安部
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「神威岬」の先端から見下ろした風景です。

斜め右の先端にある岩礁は、「メノコ岩」と呼ばれ、アイヌの娘が身を投げて岩となった伝説がありました。

平泉から逃れてきた義経と、アイヌの娘の物語で、北海道各地にある義経伝説がここにもありました。

■アイヌ伝説集(更科源蔵編著 北書房版)に掲載されていた伝説です。
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神威岬の神威岩とメノコ岩
 義経が日高平取の酋長の家に滞在中、酋長の娘と恋仲になったが、大望を抱く義経は北に行くことになり、それを知った娘はその後を追い、神威岬まで来たときに、すでに義経主従は帆を張って舟出したあとだったので、恨みのあまり神威岬から激浪の中に飛び込んで、ついに岩になったのがメノコ岩であるとのことである。それ以来和人の舟が女を乗せてこの先を過ぎようとすれば、必ず船を覆えし難船するという。それは酋長の娘が恨みの言葉の呪いによるもので、それ以来この岬から奥へ女人が入るのを禁じたのであるという。(北海道庁編「北海道の口碑伝説」)

 もう一説には音義経がここへ逃げて来たときは冬であったので、この岬の親方のところで一冬をすごすうち、この親方の一人娘と仲がよくなったが、春になって義経が北へ行くことになり、親方から舟を一艘もらったが娘も一緒に行くというので、義経は家へ行って針と糸をもって来るように言いつけ、娘が家に行っている間に逃げ出したので、帰って釆た娘は悲しきのあまり‥今燈台のある崖のところから身投げしてメノコ岩になった。岩が抱いているのは義経の子供で、それからはメノコ岩の所を女が通らなくなったのである。(深瀬春一「松前伝説」)
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雄大にそびえ立つ高さ40mの「神威岩」です。

「神威岩」には神が岩になったとする伝説もあり、神秘的に立つ姿が心に残ります。

■岬の先端に方角を示す円形の案内板がありました。
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神威岩は現在位置から北西の方向約四十メーターの位置にあり、その大きさは高さが四十メーター(現在位置は標高七十メーター)、胴回りは最大約五十メーターにもなります。
海面に見える岩の表面積はおよそ五百坪と広大で「千畳敷」と呼ばれています。
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