昔に出会う旅

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北海道旅行No.48 国道229号 「にしん街道」で見た風景

2012年02月10日 | 北海道の旅
北海道旅行7日目 6/9(木)、寿都町にある二ヶ所の「鰊御殿」を外から見物し、積丹半島の「神威岬」を目指して走っていきました。

江差から小樽までの海岸を走る国道229号は、かつて鰊漁で栄えていたことから「にしん街道」とも呼ばれているようです。



寿都町の鰊御殿から約20Km、長いトンネルが連続する雷電海岸を走っていると、そびえる断崖が見えてきました。(下段の地図[1]の場所)

雄大な断崖を見上げていると、大自然の圧倒的な力を感じさせられます。

駐車場の案内板を見て立ち寄りましたが、東屋もある小高い丘で、地図では「雷電野営場」(キャンプ場)とあります。

この辺りの道路は、岩盤をくり貫いて造られた区間が多く、難工事だったことがうかがわれます。



積丹半島付近の地図です。

立ち寄った場所に赤い番号を付けています。

上段の断崖の風景は左下の雷電岬の近く[1]の場所で、左上の神威岬を目指して走っていきました。



水田の向こうに残雪の山が美しく輝いていました。

地図[2]の場所(協和町)から南側に見えた風景で、地図で見ると「岩内岳」や、「雷電山」の峰々だったのでしょうか。

北海道南部でも1000mを超える山頂には6月でも残雪が見られます。



屋根の上の煙出しが印象的な「鰊御殿とまり」の建物と、その向こうに泊漁港が広がっています。(泊村、地図[3]の場所)

ここからも彼方に残雪の山が望まれ、上段の写真と同じ峰々だったものと思われます。

時間がなく、建物の外観だけ見て通り過ぎました。



泊村の北部、興志内村‎に差し掛かると海岸近くに大きな岩の島「弁天島」がそびえていました。(地図[4]の場所)

岩の島に架けられた橋は、島の手前で広場に降りていく階段があり、島の右手に続くコンクリートの遊歩道も整備されているようです。

人家もなく、磯釣りくらいしか用のないと思われる島に立派な橋とは実に不思議に思われますが、これも大きな岩山に魅かれる人の習性によるものでしょうか。



神恵内村の小さな港にそびえていた奇岩です。(地図[5]の場所)

5~30cmの石が混じった堆積岩のようで、左下の拡大写真にあるように表面には一部露出した石がイボの様に突き出ていました。

不思議な岩の形と、カモメの遊ぶ風景が印象に残っています。



カモメの遊ぶ奇岩のそばにレンガ造りの倉庫がありました。(地図[5]の場所)

神恵内漁港のすぐ北の海岸で、鰊漁で栄えた明治の頃の建物でしょうか。



道の駅「オスコイ!かもえない」に立ち寄りました。(地図[6]の場所)

魚の干物や、海草などが安く、お土産に購入しました。



海岸近くにちょっと珍しい「柱状節理」の巨大な岩礁がありました。(地図[7]の場所)

岩石に出来る規則的な割目を「節理」と言い、柱状になったものが「柱状節理」です。

溶岩の表面が冷えて規則的な割目が出来、冷えるに従って割目が内部へ進行することで柱状となるようです。

巨大な鉛筆のような六角柱の岩は各地で見られますが、球状の岩が「放射状節理」になった根室市花咲岬の「車石」も珍しい節理の事例です。

眺めていると、酒のツマミにするエイのヒレの干物に見えてきました。



柱状節理の岩礁が見える場所から北に見えた「ジュウボウ岬」の美しい風景です。(地図[7]の場所)

右手に「西の河原トンネル」の入口が見え、左手に岩場の「ジュウボウ岬」が伸びています。

「ジュウボウ岬」の岩場の右に平地があるようで、トンネルの名にもある「西の河原」と呼ばれる浜と思われます。

地図では「西の河原」に地蔵尊が祀られ、あの世へ渡る三途川[さんずのかわ]の「賽[さい]の河原」をこの世に再現した霊場のようです。

アイヌの伝承では約5Km北の「神威岬」の沖を女性を乗せて航行する船は遭難するとされ、この一帯は海の難所だったことも関連しているのかも知れません。



「西の河原トンネル」の入口のそばの美しい断崖の風景です。

沖には「ジュウボウ岬」の岩場が見え、断崖の下に洞窟があるようです。



「西の河原トンネル」の入口のそばにある洞窟の風景です。

よく見ると「柱状節理」の中に出来た珍しい洞窟のようでした。

この他、国道229号沿いには荒々しい断崖の風景や、奇岩が見られ、ドライブを楽しませてくれます。