昔に出会う旅

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巨大噴火に消えた「貝文土器文化」

2007年01月13日 | 九州の旅
写真上は、上野原遺跡で発掘の貝殻で文様を付けた平底の「貝文土器」です。他地区の縄文時代の土器は、底の尖った土器から始まり、平底の土器が出現するのは、縄文前期の6000年前頃からのようです。円筒形や、四方の縁が尖った9500年前のこのデザインは現代人にも洗練された美しさを感じさせてくれます。
「石蒸し焼き炉」と思われる直径10~20cmの石を多く置いた「集石遺構」が104基発掘されています。石を焼き、葉で包んだイモ・魚・肉を置き、土をかぶせて蒸し焼き料理をする施設と考えられています。南太平洋の島々では今でも行われている調理方法です。
「燻製施設」と思われる連穴土抗も発掘されています。大小二つの穴を数十センチ離して掘り、両方の穴を地中でつないだ設備です。大きな穴で火を焚き、小さい穴から出る煙で燻製を作っていたようです。
南九州では縄文時代草創期から独特の「貝文土器」の文化が栄え、6300年前の鬼界カルデラ(屋久島の北、硫黄島付近)の巨大噴火で西日本の縄文人が壊滅的被害を受けるまで続いていたようです。


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1 コメント

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Unknown (山口玲子)
2007-01-17 07:52:21
縄文の時代に薫製という調理法がおこなわれていたことを知り驚きました。うちでもベランダの釜を置いて薫製を作っているんですが、煙の量の調整が難しく、いろいろ試行錯誤しています。大小ふたつの穴を数十センチ離して掘って。。という方法、縄文の人達の知恵に学ばなければなりません。

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