昔に出会う旅

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益田市久城町「スクモ塚古墳」

2009年12月20日 | 山陰地方の旅
前々回掲載した益田市乙吉町「小丸山古墳」の案内板に「スクモ塚古墳」が、石見地方最大の全長100mもある古墳とのことで、訪ねて行きました。



島根県益田市久城町の「スクモ塚古墳」です。

小高い墳丘に祠[ほこら]が作られ、案内板も見えます。



益田市の地図です。

「スクモ塚古墳」は、海に近く、近くを小川が流れる場所にあり、「小丸山古墳」からほぼ北の方向に位置します。



案内板に描かれていた古墳の平面図です。[案内板の画像の角度を変え、北方向を上に修正しています]

この図や、説明文を見ると、「スクモ塚古墳」は、全長100mの石見地方最大の前方後円墳ではなかったようです。

それでも石見地方を代表する大型古墳ということで気を取り直して見学させて頂きました。

平面図で、円墳の北に突出した造り出し部分を見ると、前方後円墳の原形にも思えます。

■古墳の案内板を転記します。
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史跡 スクモ塚古墳
指定 昭和十六年十二月十三日
スクモ塚古墳は古墳時代の五世紀初め頃に益田地方を治めていた首長の墓として、四塚山古墳(下本郷町)、大元一号(遠田町)につづく時期に築造されたものと考えられ、石見地方を代表する大型古墳です。
これまで全長一〇〇mに及ぷ前方後円墳といわれてきましたが、最近は造出し付きの大型円墳と方墳が隣接したものと考えられています。
円墳は直径約五六m、高さ約七mの二段築成で、墳頂部には広い平坦面があり、墳丘の表面には葺石が全面に施され、周囲には円筒埴輪が巡らされていました。
北側に延びる造り出し部分は縦約一七m、横約一五mで高さは約二、五m、その両側に従臣のものと思われる小さな陪塚(円墳)がありましたが、今はほとんどその原甘形を失っています。
また、この古墳の北側に隣接している方墳は一辺一〇~一二m、高さ一、五mの大きさです。
 平成十年三月
   益田市教育委員会
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中央のスクモ塚古墳の北西にある陪塚です。

古墳の平面図で、古墳の北側にある突出しの両側にあったとされる陪塚の一つと思われます。



スクモ塚古墳の頂上から東方向の景色です。

下に祠や、案内板が見えます。

上の地図には見えませんが、この古墳に接して東西南北に道が走っていました。



スクモ塚古墳の頂上から北東方向の景色です。

古墳平面図にもありますが、角に畑があるようです。



スクモ塚古墳の頂上から方墳が見える北東方向の景色です。

写真では縮小されてよく見えませんが、この一帯は海岸に近い小高い場所で、地平線付近に日本海が見えました。

そういえば乙吉町の「小丸山古墳」からも日本海がよく見えていました。


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