昔に出会う旅

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鳥取市鹿野町「茂宇気神社」創建の謎

2010年04月16日 | 山陰地方の旅
3月22日、鳥取県の日帰り旅行で、三仏寺の参拝を終え、鳥取市鹿野町河内の「茂宇気神社[もうけじんじゃ]」を参拝しました。



「茂宇気神社[もうけじんじゃ]」の参道口です。

石の鳥居は、比較的新しく、黒い扁額に「茂宇気神社」と刻まれています。

以前、このブログで鳥取県日野町金持の「金持神社」を紹介しましたが、この神社も「茂宇気」→もうけ→「儲け」と金運につながる神社として知られるようになりました。

神社名の発音が「もうけ」と言うだけで御利益を信じる人も少ないと思いますが、宝くじと同様、もしかしてと期待するささやかな願いと、遊び心の表れでしょうか。

神社は、鳥居の先に見える山沿いの道を進み、長い石段を登った山の中腹にあります。

■駐車場の入口に神社の案内板がありました。
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起源ははっきりしませんが、古くから地元河内の氏神であり妙見大権現と称しておりました。
明応年中の棟札が現存しております(一四九五年)。寛文七年(一六六七年)藩主池田家より社領六斗を寄進され、元禄五年(一六九二年)妙見茂宇氣神社と改称しております。
明治元年(一八六八年)神社改革にあたり茂宇気神社と改称しました。
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「茂宇気神社」がある鳥取県中央部付近の地図です。

米子自動車道湯原IC→国道482号→国道179号(天神川沿い)→県道21号(倉吉-鹿野町)→三朝温泉→三仏寺→茂宇気神社と走って来ました。

「茂宇気神社」は、県道21号と並行して流れる河内川沿いにあり、東に標高921mの「鷲峰山」[じゅうぼうざん]があり、その頂上からは鳥取県東部が見渡せるようです。

「茂宇気神社」の社務所は、約2Km北に走った場所にあり、社務所付近から右折して400m進むと「鷲峰神社」で、そこから鷲峰山の登山道が始まっているようです。(神主さん両神社を兼務)

■鷲峰山には大山と背比べをした伝説あります。
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鷲峰山と大山の背比べ
 全国の神様が出雲に集まる行事の帰り道、鷲峰山と大山の神様が背の高さを言い争い、背比べをしたそうです。
背比べに負けた大山の神様は悔しがり、鷲峰山の頭を杓子ですくいとったそうです。
この後の話はありますが、省略します。
 (鳥取県公式サイトを参考にしました)
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この伝説に「鷲峰山の神様」が登場していることから、「鷲峰山」は信仰の山だったものと思われます。



参道の途中から茂宇気神社の駐車場付近の様子を撮った写真です。 (3台駐車している)

河内川と並行する県道21号から橋を渡り、駐車場から山沿いの参道を進んで撮影場所まできました。

川の両側の狭い平地に水田が続いていましたが、民家は対岸の山のふもとに並んでいます。

戦国時代以前から続くこの神社への参拝は、洪水で橋が流されることもあったと考えられます。

この河内集落の人々が、なぜ不便な対岸の山の中腹を選び、神社を造営したのか興味のあるところです。



河内川に架かる橋から東北方向に雪をかぶった高い峰が見えます。

「鷲峰山」から北に続く峰と思われます。



最初の長い石段を登ると、道は左に折れ、更に長い石段が続いていました。

すぐ上に二番目の鳥居があり、はるか上の石段の先にはまだ社殿が見えてきません。

ここまで登ると、小高い場所にある並みの神社と違い、予想外に高い場所にあることに気付きます。

寒々として、息切れのする長い石段に、一瞬「くだびれ儲け」になるのではと不安がよぎりました。



長く続いた石段の上にようやく建物が見え始め、石段の左手には立ち枯れた大木や、倒壊して朽ちた大木がありました。

神社の長い参道や、社殿の周囲の森には枯れた大木があちこちに見られ、長い何百年も地域の人達が神様の領域を守ってきたことがうかがわれます。

上に見える建物は、社殿ではなく氏子の人達が集う施設のようです。



建物の下に「ガコの木」とかかれた標識と、その右手に「ガコの木」の大木がありました。

各地の神社をめぐっていますが、初めて見ました。

「ガコの木」は、くすのき科かごのき属の常緑樹で、薄い茶色の樹皮に鹿のような白い模様があることから「鹿子の木」と名付けられたようです。



下の駐車場に鳥取県が建てた自然環境保全地域の案内板があり、この図はその一部です。

「茂宇気神社」の原生的な森を保護するための案内板のようです。

図には大雑把な等高線が書かれていますが、国土地理院の地図で標高を確認すると、参道口約170m、本殿約240mで標高差は実に70mもあるようです。

又、神殿の背後には612mの無名の峰があり、その先には小富士山(標高769m)があります。

ここまで高く登らなくても周辺に適地があったと思われますが、信仰に関わる何らかの理由でもあったのでしょうか。

■下の参道口にあった環境保全地域指定の案内板の説明文を転記します。
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鹿野河内県自然環境保全地域
 指定年月日 平成十年十一月二十四日
 指定地域  気高郡鹿野町大字河内(茂宇気神社社叢)
 指定面積  1.2ヘクタール

保全地域の概要
 この地域は、スダジイ、ウラジロガシ、タブノキ、カゴノキなどの樹木からなる原生的な照葉樹林です。
 森林内には、巨木が数多く見られ、幹に鹿子模様のあるカゴノキは特徴的です。

注意
 この地域内では、許可なく樹木の伐採等はできません。 鳥取県
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石段の途中から見えていた建物の前に立つと一段上の場所に社殿が見えてきます。

最後の石段の下には、山の湧き水を引いたと思われる噴水の手水鉢がありました。

ふもとの石段の始まる付近の参道脇にも竹筒から流れ出る手洗い場所があり、参拝者への心遣いを感じます。

■建物の前に「茂宇気神社」の由緒記が書かれた案内板がありました。
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由緒記
祭神 天照大神、大山祇命、倉稲魂命、起原[きげん]詳[つまび]かならず。
往古より河内村の氏神にして妙見大権現と稱す。明應年中の棟札現存せり。寛文七年十月、藩主池田家より社領六斗を寄進せらる。當社祭神は、元禄十五年閏八月、天照大神を勧請合祀し、妙見茂宇氣神社と改稱す。同年當村字山神鎮座山神(祭神大山祇命)、同村字荒神鎮座荒神(祭神倉稲魂命)、境内末社稲荷大明神(祭神倉稲魂命)の三柱を合祀す。明治四年二月社領を上地し、翌五年三月村社に列格し、大正九年十月三十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
尚本殿の造営は総[けやき]造りにして明治二十五年十月十七日小別所村大工棟梁横山重平の作と云う。
 例祭日 十月十七日
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気が引き締まるような雰囲気の「茂宇気神社」社殿です。

予想を超える長い石段を何度も休みながら登り、寒い日でしたが少し汗ばんできました。

神社創建の時代は中世以前と思われ、これだけ高い場所に、しかも集落から川を隔てた対岸に神社が建てられているのかは今となっては分かりません。

もしかしてこの場所から神が鎮座する山を望み、遥拝する古代信仰の場であったのかも知れません。

社殿の周りは深い木立に囲まれ、社殿前方の周辺の山は見えず、神の山があったのかは謎のままです。



白木に金色の文字で書かれた「茂宇気神社」の扁額です。

改修当時、立派な社殿を造ろうとした氏子の意気込みが感じられます。



社殿の前から見上げると、森がぼっかりと開き、そそり立つ大木に神社の神聖さと、長い歴史を感じさせられます。

お金儲けの願望を満たしてくれそうな名称で話題となった神社ですが、この神聖な雰囲気の中で参拝すると「どうかお金を儲けさせてください」とは祈れず、家族や、周囲の人達の安全と、健康をお祈りしました。

今回の日帰り旅行で、「三徳山三仏寺」の参拝と、「茂宇気神社」の参拝で、なぜか心が安らぐ思いで帰途に着きました。


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